草原の四季

椎名夕声の短歌ブログ

HPはhttps://shiinayuusei-1.jimdosite.com/

推理

2020-03-11 09:43:52 | 和歌・短歌

万葉集巻10歌番号1994

夏草の露分け衣着けなくに我が衣手の干る時もなき

 

万葉集全解では、特別な衣があるわけではない、と解説されているが、例えば氷雨降る中武者が長時間戦闘したら「露払」を着用している方が勝つのではないか?
細川ガラシャが夫のために自ら仕立てた「露払」が現存するが、戦国時代に実際存在したのだから、万葉集の時代にもあったのではないか?

近世以降軍人で古典文学研究者の人が少ないので、そういう当然のことが見過ごされてきたことだろう。

農民だったら蓑を着るだけだろうが、武人の幹部なら専用の雨具を身に付けるのが自然なことだろう。

同じことは枕草子にも言えるのではないか?

 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる

 

後半はいかにも春の景だから、安易に納得して通り過ぎている読者が多いだろうが、冬について「早朝が良い」と言っていたのを思い出して欲しい。

早朝も曙も、宮仕えの若い女性にとっては、起床して働き始める時刻。当時日の出時刻まで照明もなく真っ暗だったので、日の出前は眠っていただろう。
長い冬の間習慣になって固定化されていた目覚めの時刻に同じように目覚めたら、昨日と違って冬の季節風も吹いておらず寒くなくて、しかも日の出時刻がようやく早まったため昨日より空が明るいことに気付き窓を開けてみた状況だろう。(当時はガラス窓もなく、寒い時期は閉め切っているので、わざわざ開けないと曙を鑑賞する状況にはならないだろう)
春と言っても、1月下旬頃開花する梅、3月上旬頃開花する桃、3月下旬頃開花し4月上旬頃満開になる桜と、花でみても2か月を超える幅があるが、昔の常識からすれば立春になれば立派に春なのだから、立春の頃の朝の可能性が高い。であるなら、太陽暦2月初めだから平均的季節感としてはまだ寒い時期だが、その年の立春は暖かかったのかもしれない。
つまり「やうやう」は夜の長さでもあるが冬の長さをも言っていると、私(椎名夕声)は考えます。

 

うつむいて歩いていると水たまりに青空があり明るい気分(椎名夕声。短歌人2020年2月号)

 

水たまりは、住宅密集地の舗道にできた長辺1メートルちょっとの楕円形の極く浅いものだが、路面が黒いため見事に鏡として機能した。

初句2句はともかく、4句は状況説明がないとわかりにくかったかも知れない。

青空に気付かず歩いていたのか、という読みは、間違ってはいないが必ずしも正確ではない、という意味だ。

家を出たときは日の出前で、青空は見えなかったのである。

そんなことは読者にわかるはずないだろう、なんて言わないで欲しい。今の説明を聞いて、なるほどそうだったのか、と思ったはずだ。

つまり、その気になって推理すれば選択肢としてあったのに、推理しなかったという側面は厳然とした事実なのである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする