万葉集巻第1歌番号4の中皇命の歌
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 〔巻一・四〕 中皇命
この歌が斉藤茂吉の「万葉秀歌」冒頭に載っているのは万葉集の冒頭付近の歌だからだが、万葉秀歌に次のように書いてある。
「たまきはる」は命(いのち)、内(うち)、代(よ)等にかかる枕詞であるが諸説があって未詳である。仙覚・契沖(けいちゅう)・真淵らの霊極(たまきはる)の説、即ち、「タマシヒノキハマル内の命」の意とする説は余り有力でないようだが、つまりは其処に落着くのではなかろうか。なお宣長(のりなが)の「あら玉来経(きふ)る」説、即ち年月の経過する現(うつ)という意。久老(ひさおい)の「程(たま)来経(きふ)る」説。雅澄(まさずみ)の「手纏(たまき)佩(は)く」説等がある
仙覚・契沖・真淵説によればTAMAKIWARUで、茂吉はそれが妥当なところかと言っているが、当時この説は有力とは見られていなかったようだ。
いっぽう宣長・久老説によればTAMAKIHARUであり、雅澄説もH音であってW音ではない。
当時の言葉が韓半島由来とする立場からはBARUであり「正す」の意味と言われている。
また、「萌る」の意味ではないかという説もあるが、その場合発音がどうなのかはわからない。
この問題は現代でも決着がついていないようだが、Wikipediaには、いともあっさりと「発音:たまきわる」と書かれている。
基本的に日本語のひらがな・片仮名は表音文字だが、「は・へ」は数少ない例外となっている。「私わイギリスから来ました」ではなく「私はイギリスから来ました」と書くきまりになっている。例外部分は慎重に扱わなければならないにもかかわらず、能天気に「正解はTAMAKIWARUですよ」とやられたらたまらない。
実は、この件で僕は二度サプライズに会った。「はる」=張る・春と認識していたのが、Wikipediaやネット上の辞書に「魂極まる」と書いてあるので、自分の認識が誤っていたかというのが一度目のサプライズ。ちなみに、春は蕾が張るというのが語源と言われている。
Wikipediaなんかを信じたのが悪かったのだが、改めてネットを調べてみたらH音で説明している記事が沢山ある。そういう人たちがWikipediaに無関心なのか、Wikipediaが記事の訂正に応じないのか、真相は定かではない。たぶんWikipediaに無関心なのだろうと思う。
(2022年5月初め記)
NHKのチコちゃんに叱られるという番組で、「waを書く時に、わじゃなくて、はと書く理由」をやっていた。
万葉集の時代にはpaと発音し「波」等と表記していたが、平安時代faに変化し、次いでwaに変化した。これらは、人間が楽をしようとした結果である。
第二次世界大戦直後に現代仮名遣いを定めるときに、基本的には発音と表記とを一致させる原則の例外として、歴史に配慮し「は」のままにしたとのこと。
だからと言って解決にはならないが、waと発音するという説が、平安時代以後の発音に影響されたものかも知れない、という憶測が過ぎる。
改めて多田一臣著の「万葉集全解」を見ると、万葉集で初句「たまきはる」は5首あり、「きはる」の表記は上記歌では「剋春」、他の歌では「剋」が2首、「寸春」、「切」が1首ずつであるが、多田一臣氏が巻2歌番号1043に付した現代語訳では「たまきはる」と書いており、現代語訳は現代仮名遣いだからhaに肩入れしているようだ。「剋」は「きーめる」らしい。