さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと 死んだひととはおなじさ桜!(林あまり)
坂本冬美が歌ってヒットした「夜桜お七」は、作詞家がもともと有名な歌人で、最初に短歌で発表したものをリメイクした。
作中主体のお七は、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処せられたとされる少女ということになる。この事件が史実かどうか定かではないが、一説によれば処刑される前に、遅れて咲いた桜の枝を渡されたという。
「短歌では、主人公を決めて、派手なドラマを作りたいと考えた。」と作者が語っているそうだから、作者の人生と物語とは無関係と思われるが、作者がこの主人公を選んだところに、やはり偶然と言って片付けられない、いくつかの因縁を感じる。
まず卑近なところから言うと、俵万智の短歌「さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園」との関係。俵の歌は1987年刊行のサラダ記念日という第1歌集に載っているそうだから、俵万智初期作品という訳で、同い年の林あまりが対抗心を燃やしたことが想像される。
次に「死刑を免れない犯罪とわかった上で思い詰めて決行する」というテーマが、熱心なキリスト教徒である作者には重要なテーマであるだろう。
今回真打ち登場となったが、「来ぬと来ぬ」つながりで拙歌。
カネボウの絹石鹸のCMで読み方知った古語「夏は来ぬ」(このコンテンツが初出)
(後日記)
短歌研究社刊行の「現代万葉集2023年版」(11月30日発行)の夏の部に上記拙歌が掲載された。これが紙媒体としては初出である。