
美術家たちの太平洋戦争 ~日本の文化財はこうして守られたあ~
アメリカの美術家達が、組織したモニュメンツメン、日本の文化財のリストを作ったのが、ラングドン・ウォーナー氏。
中学の時に、歴史の授業で、アメリカ陸軍の日本空襲で、重要な文化財の地域を爆撃しなかった話を聞いた事があったけど~
実際に、アメリカ人の美術家二人と、ボストン美術館東洋美術部長の日本人が、日本美術の保護を目的に、日本全土の対象物のリストを作製して、陸軍に提出して、日本の文化財を爆撃からまもったのも、このような動きがあった事と。
戦後賠償の保証で、日本の文化財を賠償に充てると言う話しは知らなかった…
それと、ラングドン・ウォーナー氏が、GHQの日本の美術記念物課の顧問に就任して、になった時に、美術家のシャーマン・リー(孫弟子)が、実務担当になって、全国の文化財の調査してるときに、正倉院の所蔵されてるものを観て、感銘を受け、日本の美術品に対して、計り知れないほどの尊敬の念を持っていた、
他の国の文化よりもシンプルでありながら、
表現力が豊かであることに、感動していたみたいだね。
日本の美術の中にみいだしたのは
ヨーロッパや中国の美術とは、異なる
日本独自の素晴らしさだった。
日本人の為に奈良の正倉院を始め、貴重な文化財展を開いて、直近の悲劇的な戦争より
ずっと前の歴史に目を向け
自分達の文化がいかに力強いものかを
気付けるようにと思って、奈良の正倉院展を行い、溢れる人達が見に来て、国内外に、日本人の文化財が日本人にとって切り離せない大事な存在だと明白な事実~
GHQも、連合国の文化財の接収を反対する、電報を国務省に打ち、その後ニューヨークタイムズの報道で、日本の文化財の没収する提案にマッカーサーが反対すると記事にされ、すっぱぬかれて、アメリカ国民に明らかになり国務省の提案はどのような呼び方をしようとも
合法的な略奪であると記事に書かれる。
その後、極東委員会での戦後の賠償補償で、文化財賠償は廃案になる。
その結果、文化財の賠償の流も変わり、日本の文化財の流出が免れた。
歴史的なも、美術に関心の深い人物が
実際の政治に多くの影響をもたらした
まれなケース。
こんにち、日本の文化財がこうして、普通に見れるのも、戦前戦後の日本美術に係わってくれた方々のお陰で、日本の文化に触れる事が出来る事に、感謝だよなぁ~先人達の想いを感じる。[
ありがたさを知る、通りすがり~の~くまです。
今日は、良いものを観たよ~🎵