お疲れさま〜の〜こんばんわ🌆です😌
今日は、お天気予報通り、朝の冷え込みがやんわりで、それに合わせてアウターの中に着るフリースをやめて、スポーツトレーニングウェアの薄いのにして、日中も気温が20度に上昇して‥ダルい世界で‥作業着の上着を脱いだよ‥
変な気温上昇で体がおっかなくて‥参るよ…ね。
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そして昨日、初めて知った、こんな事が昔に有ったのかと驚く!
会社のなんでも博士は知っていたぁ〜驚く!
1974年(昭和49年)11月9日に起きた「第十雄洋丸事件」
その日、世界屈指の過密航路として有名な東京湾の中ノ瀬航路で大事故が起きた。
LPG、ナフサ、ブタンなど総計5万7千トンを満載した「第十雄洋丸」と、大量の鋼材積載した貨物船「パシフィック・アレス」との船舶同士の衝突事故が起きた。
「パシフィック・アレス」が「第十雄洋丸」の右舷船首側に突き刺さる形で衝突、「第十雄洋丸」に積載されていた可燃性の高いナフサに引火し瞬く間に大爆発を起こすと、両船は猛火に包まれて、この一瞬で「第十雄洋丸」側が5名亡くなられて、生存者34名、正面からナフサを浴びた「パシフィック・アレス」側の死者が28名、生存者1名という大惨事となった船舶衝突事故。
第三管区海上保安庁の消防船と巡視船のほか、東京消防庁、横浜市消防局、民間の港湾作業船も出動して消火活動にあたりますが、ナフサは海上にも流れ出し、現場は文字通り火の海に、さらに悪いことに折からの強風に煽られて炎上する2隻は漂流を始め、横須賀方面へと流され出してしまった。
このままでは、横須賀港に激突、陸上に被害が及びかねない為、海上保安庁は、未曾有の二次被害を前に決死の覚悟で、「パシフィック・アレス」を引き離し何とか消火、「第十雄洋丸」を曳航して千葉方面の浅瀬にさせることに成功しました。事故発生から10日後のことでした。(※海上保安庁には、大型船舶を曳航する機材が無かった為、深田サルベージ建設に曳航を依頼してる。)
座礁した「第十雄洋丸」は、ここでナフサやLNGを燃やし尽くす予定でしたが、養殖業者などが反発し、結局、炎上しながら太平洋上まで運び、そこで燃やし尽くす事なる。
こうして太平洋へ向けて再度の曳航を開始し、東京湾を抜けて、目的地まであと少しのところで再び大惨事が、再度ナフサが大爆発を起こし、曳航索が切れて再び漂流し始める‥。
炎は船の全タンクに回り、大炎上。さらに黒潮の流に乗って漂流を開始したため、危険性が前回の比では無い状況に‥。
海上保安庁では手に負えない状況で、これを寛大な災害とし、「第十雄洋丸」の処分を求めて自衛隊の出動を要請した。
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こうして海上自衛隊始まって以来の、武器を用いた災害派遣が実施されるこのになった。
海上保安庁からの要請を受けて、防衛庁長官より海上自衛隊への出動命令が下された。
派遣される事になったのは、護衛艦「はるな」「たかつき」「もちづき」「ゆきかぜ」、潜水艦「なるしお」そしてP−J2対潜哨戒機となり、
計画では護衛艦の艦砲射撃や爆撃により、タンクに穴を開けて、ナフサなどをすべてを燃やし尽くして、その後、潜水艦の魚雷攻撃で船体に穴を開けて撃沈処分。
この方法あれば、強靭な特殊鋼(ハイテン鋼)で造られたタンカーでも何とか穴を開けられるんじゃないかと考えられた。
最初の事故から2週間以上が経過した11月26日。
最終調整ののちに自衛艦隊が燃える「第十雄洋丸」を目指し、横須賀海上自衛隊基地から出港し、27日に現場に到着。
そこでは、時折火柱を盛る「第十雄洋丸」がゆっくり漂流し、その回りに海上保安庁の巡視船が監視してて、海上自衛隊のP−2J対潜哨戒機(約10機)と護衛艦「はるな」から飛びたったHSS−2対潜ヘリコプターが状況調査に加わり、やがて艦砲射撃の準備が整い。
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まず、「第十雄洋丸」の右舷側に4隻の護衛艦が単縦陣(各護衛艦が縦一列に並ぶ陣形)を組み、合計9門の5インチ(127mm)砲で一斉砲撃を行った。合計36発の砲弾は狙い違わず右舷外板に命中し大きな火柱が上がる。
艦隊は左舷側に移動し、同じく36発の砲弾を船体に叩き込み、狙い通りに大爆発を起こす事に成功し、その火柱は100mの高さに上がり、黒煙は高さ2500mにまで達した。
複数のタンクを持つ浮力のタンカーで、船体外板や上甲板及び各タンクには、8〜20mmの厚さの強固な高張力鋼板(ハイテン鋼)が使用されてて、船体は極めて強固な構造であるうえにあ、LPGを爆発させるには空気との相当の混合が必要で、砲弾をタンク內で炸裂しても誘爆は期待出来ないことも判明する。
中々沈めることが出来ず‥問題になったとか同僚が語っていた。
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翌朝、新たな攻撃を4機のS2F艦上対潜哨戒機が2機ずつの編隊に分かれて127mmロケット弾射撃をし、その後に続いてP−2Jの対潜爆弾による爆撃を行なった。P−2Jが潜水艦に爆撃する時は高度200フィート(61m)での低空度爆撃を行なっていたが、今回の攻撃では高度3000フィート(910m)からの水平爆撃を行うことになっており、データが無く照準器が使えなかったこたから、航法用の偏流測定儀を使って照準することになり、太平洋戦争中の艦上攻撃機の乗務経験者を中心に徹夜で射表を作成された。
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その後、潜水艦「なるしお」による雷撃が開始し計4発発射して2発命中
当初、最新鋭の直進魚雷で炸薬量が多い72式魚雷の使用を検討したが、制式化されたばかりで、整備に約1か月期間を要するとが判明して、急遽Mk37魚雷(第2次世界大戦時の魚雷)を使う事になった。この魚雷を調整出来る水雷調整所は呉だけであったため、現場最寄りの横須賀所属の潜水艦ではなく、呉基地所属の「なるしお」が派遣された。
そのMk37魚雷の誘導機能を備えた、ホーミングだが、漂流する「第十雄洋丸」にはその目標になるドップラーがないことから、ホーミング魚雷ではなく、直進魚雷として使用する必要があり、急遽、三菱重工業が突貫作業で改修を検討・実施した、この改修作業のために、潜水艦「なるしお」の到着は航空機・水上艦よりよ遅れる。
その後も、「第十雄洋丸」が健在だったため、護衛艦「ゆきかぜ」単艦が同航対勢で右舷1番タンクに対して砲撃を実施したのちに、単縦陣反航対勢で左舷への砲家を実施し、20日間炎上し続けた「第十雄洋丸」が犬吠埼灯台の南南東520kmの海域に沈没した。
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今日も通りすがり〜の〜くま🐻の備忘録を読んで頂いてありがとうさんです😌
この「第十雄洋丸事件」は知らなかった。