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昨日の夜に、「追悼 高田賢三〜純粋に服を愛し 純粋に人愛した〜」を見たよ〜の巻

2021-02-06 10:31:14 | 好きな~テレビ番組色々と~
おはようさんです☀

今日も良い天気だわさぁ〜
これだと、洗濯物も乾くの早い〜ね!


BSプレミアムで、放送された「追悼 高田賢三〜純粋に服を愛し 純粋に人を愛した」再放送を録画したのを観る〜

確かに本放送の時は、録画しなかったんだけど、何故か高田賢三氏を知りたいと言うか気持ちで、今回録画したのである〜


まぁ〜昨年の10月4日に新型コロナウイルスの合併症で、亡くなってしまって享年81才。

写真は高田賢三さんです〜木綿の詩人〜色の魔術師〜パリの息子〜と最高のお言葉で称賛され、
2016年に、フランス最高勲章のレジオンドヌール受章


画像お借りしてます😔

何しろ、高田賢三氏は、姉の影響で、洋裁に興味を持ち、その当時、男子を受け入れてくれる洋裁学校は、無かったみたいで
外国語大学へ進学したんだけ、たまたま乗ってた電車の中吊り広告で、東京の文化服装学院に男子学生が入学した記事をみて、

アルバイトをして親の反対を押し切り東京の文化服装学院へ入学して、

同期がコシノ・ジュンコさんやらピンクハウス創業の金子功氏やら、ニコル創業の松田光弘氏と出会って、花の9期生と言われたみたい〜

文化服装学院に高田賢三氏の学生時代に装苑賞を20歳で受賞した貴重な作品が保管されてて、番組では見せてくれて〜

モダンなツーピース一つポタンが印象的で、繊細さと、きっちりしてる印象を受ける

その後東京のアパレル会社に就職して、その当時住んでいた、六本木のアパートが立ち退きになり、1年分の家賃を頂き、大金を手にして、会社に半年の休職願いをだし、

立ち退き料で、一度は行ってみたいと思ったフランスのパリへ、船旅で向かう、その船旅で、寄港する色々な国の服装に一つとして同じものはなくて、色とりどりの豊かな世界が、

後の高田賢三氏の綿の詩人と称賛と尊敬の称号を得る色の魔術師と言われる根源だったんだね!

それとフランスでの反体制運動の5月革命を現場まで見に行って〜

高田賢三氏は、政治論争やらイデオロギーにはあまり興味がない、典型的な”ノンポリ”人間である。
だが一般市民が世の中の何かに怒り、それまでの既成概念が音を立てて壊れつつあることだけは肌身で感じ取っていた。

60年代というのは若者がすごく大きい力を発揮していく時代で、
ファッションもせいとうはの人が着る
オートクチュールが牛耳っていたものを、
ちょっと違うんじゃないと、若者達が違うものを求めていく中で、

高田賢三氏が世界的なスターになる要因は
60年代という時代背景で、
これがなかったら、いくら才能があっても
時代に合わなかったら
そううまくは行かなかったですよね

価値観が急速に変化していって、

高田賢三氏が個人の店をオープンするにあたって、日本戻って親戚やら友人に資金借りて、そのついでに、日本で木綿安価な生地と浴衣の生地を買って、、ジャングルみたいな内装のお店を立ち上げる〜

店の名前は、ジャングルジャップ
日本で買って来た木綿の生地で、洋服を作って、お店でファッションショーをして、1ヶ月後に、ファッション雑誌のエルの表紙を飾る〜

オートクチュールは絹で、プレタポルテは木綿との意味合いで、エルの編集者が敬意を込めて、高田賢三氏を木綿の詩人と称賛される〜

確かに、閉鎖的なオートクチュール全盛のパリのファッション界に激震が走る〜


画像お借りしてます😔


何しろ高田賢三氏の型破りのファッションショーは、大きな会場わ借りて音楽を流して、踊りながらのファッションショーだから、若者が食いつくよね!

その中でも、フランスを代表するプレタポルテのジャンポールゴルチェ氏も高田賢三氏に憧れ影響を受ける人。

下の写真がジャンポールゴルチェ氏

画像お借りしてます😔

確かに昔にオンワードの倉庫でのバーゲンで、ジャンポールゴルチェ氏の奇抜なファッションは凄いと感じたのを思い出す!


その後パリへ初めて向った時の船旅で各国の文化やら色合い豊かな服装やらそれをうまく高田賢三氏は、うまく融合してファッションショーに反映して行った〜


共同経営者フランソワ・ボーフュメ氏を招いて、アルマーニを急成長させた豪腕の方を〜


画像お借りしてます😔

商標もKENZOに変更して、ビジネス拡大で年商は急激に上がって行くが、会社が大きくなるに連れて、共同経営者の強引なライセンス商法にも気が咎める世界で…

時代の波に乗り切れてなくなって、90年代には、世界的なグローバル経済の波に呑み込まれてKENZOブランドが岐路に、

ブランドと従業員を守るために、フランスの実業家のベルナール・アルノーが引きあるLVMHのグループに全株式を売却。

売却に寄って経営は安定して、高田賢三氏はオーナーから雇われデザインに

60歳でブランドKENZOを引退!
ラストのショーで、300点の作品を2時間かけて〜盛大なファッションショーで締めくくる〜

何しら人を喜ばす喜んでもらうことに、情熱を注いでいた高田賢三氏

東日本大震災の復興支援で、福島の起き上がりこぼしプロジェクトを世界の著名人の絵を描いてもらって復興への想いを〜

世界各地で起き上がりこぼしプロジェクトの展覧会を開いて、多分チャリティーしてるんだろうね。


興味深い高田賢三氏の番組でした。


亡くなる4か月前に、NHKのロングインタビューを受けてると言うのも、めぐり合わせなのかもね!

木綿の詩人、パリの息子、色の魔術師、誰からも愛された高田賢三氏、ご冥福を〜


ホントに高田賢三氏の名前は知っていたけど、見るのもライセンス契約の商品だったから、その当時〜花柄のイメージ〜



今日もお互い前向きにコツコツと、楽しく笑顔忘れずに、参りましょう〜だね!(^o^)/⭐ファイト🎶








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