お疲れさま〜の〜こんばんわ🌆です😌
あぁ〜今日は暑い1日で…ヘトヘト君だったよ…
季節はもう10月なのに夏日と湿度の高さに、うわぁ…よ。
そして昨日の夜のCMでJR東海さんの東海道新幹線60周年記念CMを観て良く出来てて驚いたよ!
画像お借りしてます😌
東海道新幹線が1964年10月1日に誕生してから、今年の10月1日で60周年になるのかぁ〜いっときお世話になった新幹線さん😊
60周年おめでとうさんです😌
1954年に東海道本線の路線容量逼迫対策として計画さらたのが、線路幅を標準軌にして高速輸送を目指した新幹線計画で、世界初の高速鉄道計画。
何しろその当時誰も国鉄総裁を引き受ける人がいない時に口説かれて国鉄総裁になったのが、第4代国鉄総裁の十河信二氏、口説き落とした親子二代国鉄マンの島秀雄、副総裁格の技師長として復職させて、(お父さん(島安次郎)が、戦前の弾丸列車計画に携わっていた。)
十河信二は、政治と金を担当して、島秀雄は、新幹線建設計画を主導・推進して、実現出来る現行技術で推し進めたんだもんな〜
新幹線建設費、5年間で総額3000億円という予算問題に直面した十河信二は、国会で予算を通しやすいよう、1959年に1972億円で国会承認を受け、残りは政治的駆け引きで推していく
こうした十河信二の傍若無人を良く思わない、政治家・国鉄幹部との熾烈な駆け引きが始まったが、旧友の吉田茂の鶴の一声で、何とか国鉄総裁続投が決まり、一方では新幹線計画に耳を傾けていた大蔵大臣の佐藤栄作の助言により、世界銀行から1億ドルの鉄道借隷を申し入れたのである。今後の内閣の政策方針が変わろうとも、外圧かかれば、国の予算変更できず、新幹線計画は続行出来る趣旨のためであった。
結果、2年後に8千万ドルの借款を受ける事に成功した。「これによって新幹線はできたも同然!」と十河信二は喜んだ。
その後、1962年に三河島事故が発生し、この時は責任処理のために踏み止まったもの、最終的には東海道新幹線の予算超過の責任を背負う形で、総裁の再任されず、東海道新幹線の開通の前年の1963年5月19日に任期満了の形で退任した。在任8年は歴代国鉄総裁の中で最長だった。
だが、十河信二の退任後に佐藤栄作から大蔵大臣座を引き継いた田中角栄が日本鉄道建設公団の設立を宣言し、新線建設の弾みとする代わりに東海道新幹線のさらなる予算増加を認めるように働き掛けたことで、1963年度の補正予算審議ならびに翌年度の本予算審議で予算増加が承認され、新幹線の予算問題が解決した。
そんなこんなお話しを約10年前の50周年記念のBSの番組で観て、知らないことやらで驚かされたのを思い出す。
良い塩梅の時に、戦後の航空技術者さんが鉄道やら自動車へ転職したりしてその後の産業の礎を築いてこんにちに続いてるんだもんね。
昔のゼロ系新幹線は、乗り心地悪かったもんね…20年間で3000両造られ、その後100系は約1000両造られ、300系のぞみが登場して運転スピードも270キロで約1000両造られ、おまけで500系は製造コストが高額で全144両で16両編成9本と少ないだね!過去に3回乗った事あるけれど、狭い乗り心地はN700系にちょっと劣る。
下のJR東海さんの東海道新幹線誕生60周年のCMが凄い良かったよ!
共有させてもらってます😌
今日も通りすがり〜の〜くま🐻の備忘録を読んで頂いてありがとうさんです😌
コメントありがとうさんです😊🎶
確かに四国には新幹線が無いですよ😌
新幹線カッコ良いですよね😊🎶
いつもありがとうさんです😌
お互い良い塩梅で参りましょう〜です😊🎶
…四国には新幹線が無くて😭
新幹線、
カッコよくて大好きです(*´∀`*)
明日もお互い、
ステキな一日に
なりますように☆★☆
テル