月・火曜は、学校教育について書いています。今回は、前回(R6.2.12)の続きで、「統一しましょう圧力」について書きます。
授業の進め方をはじめ、給食や掃除の方法、学級内のルールなど、様々な事柄を全校的に統一しましょう…と言う動きがあります。それを私は、「統一しましょう圧力」と呼んでいます。
全校的に統一されていれば、どの教師が担任してもルールなどが同じなので、子供たちの精神的な負担を減らす事が出来る…と言うのが、この考え方のポイントとなります。一見、とても納得できる考え方の様に思えます。
でも、もう少し考えてみてください。
どの教師も全く同じ方法やルールならば、教師の仕事を人間が行う必要性はないでしょう。AI搭載のロボットにすれば、皆、完全に同じ方法やルールとなります。
つまり、この考え方を推し進めていった先は、「教師の仕事には人間不要」となってしまう訳です。自分の首を自分で絞めている…そう考えるのは、私だけでしょうか。
私は、むしろ各教師によって違いがあるからこそ、様々な児童への対応が可能になると思います。A先生のやり方には馴染めなかった子が、B先生のやり方がドンピシャで生き生きと生活できる様になる…そんな例は、これまで幾つも見てきました。どの教師も同じやり方しかしないなら、それに馴染めない子は永遠に馴染めないままです。
そもそも昨今、「子供たちの個性を大事にしよう」と言われる事が多くなりました。子供たちの個性を大事にするためには、教師もまた個性を大事にされるべきではないでしょうか。没個性の教師しかいない学校で、個性を尊重した教育を行う…悪い冗談としか言い様がありません。
だから、学校には様々な教師がいて構わない…むしろ、様々な教師がいて多様性が担保される事が重要だ…と、私は考えます。そう考えると、「統一しましょう圧力」に対して、私は危険な香りを感じてしまうのです。
う~ん、この件については、もう少しだけ書きたい事があります。続きは、来週に書きます。
…と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。