忘己利他

書道をやっています。大切な仲間に恵まれ、ふれあい、共に楽しむために・・・

努力は裏切られる時もある

2015-07-31 23:52:48 | 書道
高校生の生徒たちに
「努力は裏切らない。
繰り返し書く事が大切」と
いつも言っている。

でも、裏切られる時もある



何がいけなかったのか?

自分を信じ、
間違いなくやってきた。

思いを込めて書き上げた。

でも、違った。

結局は、才能がない。
センスがない。
能力がない。
力量が足りない。
それが原因だ。



途端に作品は色あせた。

何も伝わらないものになっていた。


野球の王貞治さんは、

「努力しても報われないことがあるだろうか。
たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。
それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」
と。


やっぱり努力が足りないのか・・・


陸上の為末さんは、

「人生の前半は努力すれば夢は叶うでいいと思う。
でもどこかのタイミングでそれを客観視しないと人生が辛い。
努力すれば夢は叶う→叶っていない現在の自分→原因は自分の努力不足。
努力原理主義を抜けられなかった人は、
こんな自分を許せなくて何かを呪って生きていく」


なるほど・・・
もう努力したって、才能が伸びるわけではないのだ。
私も自分が許せなくて仕方なかった。

明日からは、努力なんて言葉は使わない。
所詮、大したことない作品なのだ

産経国際書展 席上揮毫

2015-07-26 21:56:00 | 書展
うだるような暑さの中、
第55回記念 現日書展の搬入作業で、
本日は朝から都美術館地下の作品整理室で仕事をしていました

午後2時頃、上の階へあがり、
都美術館で開催されている
「第32回 産経国際書展」へ。

作品を拝見するのは勿論ですが、
産経国際書会常任顧問・現日会理事長であられる
竹澤玉鈴先生の席上揮毫を見せていただくことができました。





席上揮毫会場は、大勢の人だかり。
でも、とても和やかな雰囲気で、
笑顔あり、歓声あり、拍手あり

なにより竹澤先生らしかったのは、
墨を入れる容器が、お味噌を入れてあったプラスチックだったり、
お手伝いの方は数名いるけれど、下敷きが汚れると
御自分で反故紙で下敷きを拭いていらしたり、


(御自分で四つん這いになって下敷きを拭いておられます)


庶民的で、温かく、人を気遣われるお人柄が
しみじみ感じられる
席上揮毫のお姿と、
意志の強い迫力の作品や、
ほっとする作品の数々を
観せてくださいました。




(産経国際書展 幹部の先生方の作品)





産経国際書展は、31日まで
それが終了すると、8月2日よりいよいよ第55回現日書展です



今日の東京はあつかった

2015-07-22 21:37:53 | 書展



銀座のど真ん中、午後1時過ぎ。
人が多いので、さらに暑く感じます。

人の波から、聞こえてくる会話は、
中国語が大きな声で、
日本語は小声です。

「石飛博光書展 2015 ―奏でる・ことば―」(24日まで)







4丁目交差点、
和光のショーウィンド。

その中の一点



和光6階のギャラりーには、
石飛博光先生の作品が所狭しと
飾られていて、
多数の観覧者の熱気が溢れていました。

銀座のど真ん中で、
こんな大きな個展ができるなんて、
さすが、石飛先生です。

熟達の技、
書への情熱、
純真で誠実なお人柄から、
この作品群が出来上がっていると感じました


銀座へ行く前に、
大崎のO美術館での
「第44回 龍峽書道会小品展」へ(本日最終日)



フェイスブックでお友達になった
R子さんが初めて出品されたというので、
伺いました。



「開帙抱琴」書物を開き、琴を抱き吟じ、楽しむことの意

初出品にもかかわらず、
堂々としたものです。
彼女の熱い思いが伝わってきます。

どんな熟練者であっても、
たとえ初学者であっても、
書は、同じように皆が楽しめるもの。

書は万人のものです













第55回記念 現日書展 

2015-07-15 16:33:30 | 書展


私が所属している「現日会」
最大イベントである「現日書展」が、
今回は第55回記念展を迎える。

8月2日(日)~10日(月)
AM9:30~PM5:30
8月3日は休館 最終日はPM1:00まで
上野恩賜公園内 東京都美術館 
ロビー階第1、第2展示室 
1階第1、第2、第3展示室

例年数名が
全紙縦2枚継(270cm)、横10枚幅(700cm)の
特別枠で出品するのだが、
今回私がその枠をいただき、
昨年の10月から、大作制作を続けてきた。

今年は、終戦70周年の年であることから、
故 峠三吉氏の
広島 原爆詩集より「八月六日」
という詩をモチーフとしている。



あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した錬兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群れも
焼けつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟や町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、
誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか


 
言うまでもなく、原爆被害の悲惨さを伝える詩。
被爆直後の壮絶な様子を表現し、
核兵器の恐ろしさ、
争いを無くしたいという平和への祈り・
人間への愛を、
現代に訴えることを主眼としたが、
戦争を知らない世代の私が、
戦争の恐ろしさを伝えることは、
とても足りない部分が多い。

両親や祖父母から聞いた
戦争体験は生々しいものだった。
戦争体験者の高齢化が進み、
現代の人々にどれだけ戦争の悲惨さ、
むごたらしさを伝えることができているのだろうか?

国会では、
本日安保法案が可決され、
憲法の見直し、集団的自衛権、
先の戦争の痛みを忘れたかのような方向に進みつつある。
他国からの脅威と言っているが、
日本が自らこぶしを振り上げているように感じるのは、
私だけだろうか?
人間が作ってしまった原子力の恐ろしさ、
福島であんな事故があったのに、
政治家はその痛みを忘れてしまったのか?

この峠三吉の詩の解説を読むと、
「三吉の詩は、被爆直後の様子を十分表すことが出来ていない」
「それは、三吉が詩を書く能力が足りなかったわけではない。
その筆舌に尽くせぬ状況を表すだけの言語がなかったのだ」と。
日本語には、その悲惨で壮絶な様子を表す言葉がなかったのだ。
言葉がなかったのであれば、その三吉の思いを「書」で・・・
と意気込んでみたが、
果たしてどうであろう?

まだまだ足りないところだらけの作品であるが、
この夏、私の作品の前に立っていただき、
現代の日本を考えるきっかけであったり、
平和への祈りであったり、
人間を大切に思う気持ちであったり・・・
様々に感じていただければ、幸いと思う。

ちょっとだけ 上機嫌

2015-07-12 23:43:57 | 書道
暑くなりました。

汗が滴り落ちます。


でも、汗をかくことが心地よくて。

今日は一日作品制作に没頭していたんです。



8月に大船で開催のグループ墨花展の作品制作真っ最中。




加えて、9月に東京芸術劇場の書TENの作品の下書きをば。




10月はじめには、麗川会の社中展があるのでして・・・

そんなこんなで、

下手くそ顧みず、作品を排出しています。


今日は、少し調子がよかったので、

ちょっとだけ上機嫌


夜は、8月2日からの現日書展の準備をしています。

出品者全員の釈文のチェック

ここ数日かかって、やっと終わりました