高校は彦根市郊外にあった。
朝は汽車と電車を乗り継いで、登校した訳だが、
帰りは親友とふたり、彦根駅までゆっくりと歩いたものだ。
芹川の堤を進み、やがて道は「七曲り」と呼ばれる一角へと入る。
やたら曲がり角が続く。
両側はびっしりと仏壇屋が並び建つ。いわゆる「彦根仏壇」の産地の中心地だ。
指呼の間に、天守閣が望める。だが、なかなかに辿り着けぬ。
これは城下町の縄張りの設計の鉄則だ。敵の攻撃に対する防御の一戦略である。
もう一度芹川に架かった橋を渡ったところが、当時の繁華街、銀座だ。
今はご多分にもれずシャッター通りだが。映画館が三つあった。
親友は「眠狂四郎」「座頭市」のファンであった。
雷蔵の冷徹な様式美。円月殺法のゾクッとくる刀身の回転の輝き、緊張感にあふれていた。
また、勝新の人間味に満ちた、それでいて目にも止まらぬ早業のリアリティー。
「破れ唐人剣」は忘れられない一作だ。
いわゆる「青春歌謡映画」が華やかなりし頃。勿論、お目当ては西郷さん。
「涙をありがとう」「この虹の消える時にも」……。一度に二回観たものだった。
その度に胸をよぎるのは、「早く東京へ帰らねば」という思いだった。
曲がヒットすると、こぞって映画化だった。園マリ「逢いたくて逢いたくて」。渡哲也が主演。
「あんこ椿は恋の花」。香山美子がヒロイン。はる美ちゃんは妹役だったかな。
同級生に映画館主の息子がいた。ピンク映画専門館。
そっと、入れてくれた。胸ドキッもので、淫靡な期待に震えながら見た銀幕。
何か変。いきなり鳥の大群が襲ってくる。ヒッチコックの「鳥」だった。
急激にしぼむ高揚感と裏腹に、一気に引き込まれていった。
本格的に洋画に触れた、最初だった。
朝は汽車と電車を乗り継いで、登校した訳だが、
帰りは親友とふたり、彦根駅までゆっくりと歩いたものだ。
芹川の堤を進み、やがて道は「七曲り」と呼ばれる一角へと入る。
やたら曲がり角が続く。
両側はびっしりと仏壇屋が並び建つ。いわゆる「彦根仏壇」の産地の中心地だ。
指呼の間に、天守閣が望める。だが、なかなかに辿り着けぬ。
これは城下町の縄張りの設計の鉄則だ。敵の攻撃に対する防御の一戦略である。
もう一度芹川に架かった橋を渡ったところが、当時の繁華街、銀座だ。
今はご多分にもれずシャッター通りだが。映画館が三つあった。
親友は「眠狂四郎」「座頭市」のファンであった。
雷蔵の冷徹な様式美。円月殺法のゾクッとくる刀身の回転の輝き、緊張感にあふれていた。
また、勝新の人間味に満ちた、それでいて目にも止まらぬ早業のリアリティー。
「破れ唐人剣」は忘れられない一作だ。
いわゆる「青春歌謡映画」が華やかなりし頃。勿論、お目当ては西郷さん。
「涙をありがとう」「この虹の消える時にも」……。一度に二回観たものだった。
その度に胸をよぎるのは、「早く東京へ帰らねば」という思いだった。
曲がヒットすると、こぞって映画化だった。園マリ「逢いたくて逢いたくて」。渡哲也が主演。
「あんこ椿は恋の花」。香山美子がヒロイン。はる美ちゃんは妹役だったかな。
同級生に映画館主の息子がいた。ピンク映画専門館。
そっと、入れてくれた。胸ドキッもので、淫靡な期待に震えながら見た銀幕。
何か変。いきなり鳥の大群が襲ってくる。ヒッチコックの「鳥」だった。
急激にしぼむ高揚感と裏腹に、一気に引き込まれていった。
本格的に洋画に触れた、最初だった。