湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

檎子ちゃん

2011年07月17日 | 詩歌・歳時記

冷房の効いた図書館で、おそらくは人生最後の履歴書を書き上げ、一階の自販機の取り出し口に、
ペットボトルのお茶がコロンと落ちた時、声を掛けられた。檎子ちゃんだった。


少し太って、血色の良い頬、満ち足りた生活を送っている事をうかがわせる、10年ぶりの再会だった。
東京ではほとんどが電算化された写植も、田舎では未だ健在だった。で、23年前に滋賀へ帰って来て、
長浜の会社に写植オペレーターとして就職した。入力の下請けで、出入りしていたのが彼女だった。


彦根の名門校を卒業した後、恋愛、結婚した相手が、伊吹山の麓の農家の長男だった。
当初、農作業はしないということで、嫁に入った訳けだが、何せ父君は市会議員という、
お嬢様育ちである。ひとには言えぬ苦労・悩みもあったことだろう。


仕事の合間の雑談で、俳句の話しになった時、私も創ってみたいと、彼女がいいだしたのが、
付き合いの深まるきっかけだった。当時、東京の親友と句会「湧燈」を運営していた。
          

月に一度、投稿句を東京へ送り、親友が編集したものを、写植の弟子が打ち上げて、印刷した 
両面二つ折りの句集を、また送り返して来る。天、地、人、一位から五位までの8句を選句し、
東京へ送り返す。                                                  そして、句会が後楽園の完徳亭で行われる。東京勢は7~8人ほどで、
関西勢の私、母、大阪の弟、そして檎子ちゃんの4人の披稿は、親友がやってくれる。
その模様を録音したテープと共に、作者名と各自が選した結果を入れた句集が、再び送られてくる。
なんと手間のかかる句会ではあった。檎子ちゃんの処女作品「衣替え衣裳缶より夏をだす」。
この感性が素晴らしい。何度目かの句会で、私が天に抜いた句「山芋や産着の如く添え木解く」。
      
檎子ちゃんの妹は、世界中で活躍中のソプラノ歌手である。自ずと音楽の血が騒ぐのだろう。
今、地域の主婦の先頭でハンド・ベルのサークル活動中だ。知性と感受性に恵まれた美しいひとである。