母が生きていた頃、例えば美容院に行く時に、車でつれていこうか? と言っても老人車を押して
30分かけて歩いていったものだ。 帰ってきたら車にはポイ捨ての空き缶やゴミが満載であった。
母にとって、それはなんら特別の行為ではない。 ごくあたりまえのことなのであった。
美しき花火や母の在るごとく
母はひそかに「徳を積む」ということを、心がけていたのである。
終戦後に、丸山敏雄という偉人が、「倫理研究所」という団体を立ち上げて、各地に「朝起き会」と
いうイベントを始められた。 父も母も、丸山先生を信奉して勉強をしたのである。
祖先がもし、悪徳を重ねて・・・・その因果が現代の私たちに及んだとしても、
ひそかに「徳を積む」行為を、しているならば、子や孫の代にて解消するであろう。・・・・母は、
そう信じていました。 決して自分のためではない。 子や孫や見るはずもない子孫のために、
誰も見ていないところで 「徳を積んで」 いた母でした。
帰省の子酔って寝転ぶ遠花火
茶の間や寝室や応接間に、常に母がおりますよ。わたしの命のなかにいつも母は住んでいます。
例え死んだ人間でも、 敬愛するこころには永遠に生き続けるのです。