茨城県日立市水木町、 50年もの歳月が流れてしまった。 ボクは小学校の6年生だった。
小さな港町に初めての映画館ができた。 1週代りで、東映・大映・日活・東宝でしたかね。
3本立ての映画を、時には立ちづくめで見ていたものです。
常陸なる水木の森の
ふくろうの眸は忘れめや
少年の日々
時代劇の好きな父に連れられて、東映のチャンバラ映画を堪能した翌週は、溜め込んだ
お小遣いで「日活」のアクション映画を、食い入るように観たものだ。
裕次郎、旭・・・でも、ボクはトニーこと、赤木圭一郎に1番こころを魅かれたのだった。
ところが滋賀の中学校へ転校してまもなく、トニーは撮影所の鉄の扉へゴー・カートで突っ込んで
死んでしまった。 あの時の衝撃というものは今でも忘れるものではないのです。
天に棲む前衛の画家
なぐり描く雲のかたちよ
湖の落日
年に一度は必ず観る映画がある。 西郷さんの「この虹の消える時にも」、「星と俺とで決めたん
だ」、 清張の「砂の器」。 橋蔵の「風の武士」、錦之助の「瞼の母」・・・・・。
そして、トニーの 「紅の拳銃」 である。
64歳のボクが、21歳で死んでしまった赤木さんを、 今も尊敬語で語っている。
生きているならば、74歳ですね。 でも・・・若くして死んだトニーは幸せだったね。
こんな・・・最悪の世の中を見なくてすんだのですから。
ひと思ふ心いつしか
蒼く染め
あるがままにと越前の海