今夜はDVDの東映 「遊侠一匹」 を久しぶりに見て、 身体と心に残っていたすべての涙を
流し尽くしました。 昭和41年の公開作品。 主演の沓掛時次郎に中村錦之助、 一宿一飯の
恩義のために切り殺すのが六ツ田の三蔵の東千代之介だ。 今わの際に頼まれたのが、
かみさんとひとり息子を親戚に送ってくだせいと言うひとことだった。
一合の米研ぐ夜の鰤起こし
その恋女房のお絹と太郎吉との道中の切なさ。 お絹の池内淳子の美しさ、可憐さ・・・・画面に
池内さんが映るたびに涙がこみあげるのである。
さて、しかし・・・・ボクにはもうひとりの時次郎がいるのである。 これはフジテレビの製作した、
大川橋蔵のドラマであるのだが・・・・。 三蔵役が林与一、お絹さんは山本陽子である。
やがて死ぬいのち愛しき冬の星
この時の橋蔵はもうすでに、銭形平次を引退した最後の炎であったろうか。 けれども、この時の
橋蔵は枯れて、山本陽子とのからみも素晴らしかった。
正直言って昔から苦しんできたのだ。 つまりは 「オイ、お前よ! 錦之助でゆくのかい? それとも
橋蔵スタイルかい?」 動の錦之助、静の橋蔵。 むかし昔、寺山修二がこんな比喩を並べたこと
があった。 すべてのことは覚えてはいないけれども、 この世の二つを対比したのだった。
鉄橋=土橋、 トウショウボーイ=テンポイント、 そしてボクはその中へ、ジョン・レノン=ポール・
マッカートニーという訳である。
つまりは叙事詩か抒情詩のどちらを取るのかい? と言うことである。
ジョンとポールのどちらも決められやしない。 それがボクの創作活動での弱みだったのかな?。
男たるもの、選ぶ道はひとつでなければならん。 だが、ボクには選べなかったんだ。
けれど5.5で「橋蔵」だったかな? だがインパクトのあるのは常に錦之助の演技であり、ジョンの
作品ではあった。 ポールの曲はほとんど好きではあるが、 結局は「イエスタディー」 だよね。
けど、ジョンは違う!! 「ジェラスガイ」「しっかりジョン」「イマジン」・・・・永遠の曲が多いのだ。
けれどもジョンの曲を聴くのは命がけ、 錦之助の映画を観るのは正座である。
ポールと橋蔵は気が楽さ・・・・。 この歳になっても、さて? どちらの路線を目指すべきなのか?
未だに濃霧のなかを、手探りにさまよっている私です。