遠いむかし・・・・ふるさとでの恋に破れて、 作詞家を夢みて上京した折、 北関東を放浪した。
まったくの無銭旅行で、 教会に泊めてもらったその朝は、一宿一飯の珈琲とトーストを頂き
ながら、牧師が語るキリストの話を不承不承うなずきかねながらも、聞いていたものだ。
新雪や牛首紬泣きて触れ
菊活けて三月生まれの母の顔
またある夜は鉾田のお寺に泊めてもらった。 本堂に敷かれた蒲団が妙に冷たいのだった。
聞けば昨晩、葬式があったそうな・・・・。 まんじりともせず夜明けを待ったものである。
そのうちに所持金につまってしまって、霞ヶ浦の畔の町、土浦のある新聞社のデザイン室に
アルバイトで勤め始めたのであった。 つくづくと若かった!! 胸に抱いた夢のためなら、
臨機応変・・・今日いちにちを生きることに何のためらいもなかったのである。
水郷や夢をあやめにきし旅ぞ ★「あやめ」・・・菖蒲&殺め・・・掛け言葉
そのデザイン室に、別れたふるさとのひとに面影の似通うひとがいて、 ひそかに遠くから
観ていたのだった。 話しかける言葉も優しく・・・暖かいものが胸にあふれたのだが・・・。
クリスマス・イブの夜、 暖かそうなコートに光り輝く黒皮のブーツに身をつつんだそのひとは、
土浦の繁華街を恋人らしい男と腕を組みながら、 昂然と胸を張り、 歩きすぎたのだった。
呆けたように見送るボクは、着の身着のままの貧しい服をかき寄せながら、町に流れる
クリスマス・ソングをむなしく聞いていたのだった。
金もなく、明日への基盤も敷けず、見果てぬ夢だけに生きていた孤独なボクだった。
遠いむかし・・・・あの悲しいクリスマスの歌を、こころの糧として作詞家への夢に生きてきた。
けれども、シングル盤を1枚この世に残して、やがてボクは死ぬだろう。
長浜やひとはむかしの冬の虹
でも今、幸せな人生だったとつくづく思う。 夢をみた! 夢のひとかけらでも手に入れたのだ。
息子の大志がボクの目の前で、 尾崎豊を気取ってさ、
「ふたりのビートルズ」 をギターの弾き語りで歌ってくれたのだ。
雪みれば死すは魚津と思ひけり