湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

悲しきクリスマス・ソング

2013年12月22日 | 詩歌・歳時記

     

遠いむかし・・・・ふるさとでの恋に破れて、 作詞家を夢みて上京した折、 北関東を放浪した。

まったくの無銭旅行で、 教会に泊めてもらったその朝は、一宿一飯の珈琲とトーストを頂き

ながら、牧師が語るキリストの話を不承不承うなずきかねながらも、聞いていたものだ。

          新雪や牛首紬泣きて触れ

          菊活けて三月生まれの母の顔

またある夜は鉾田のお寺に泊めてもらった。 本堂に敷かれた蒲団が妙に冷たいのだった。

聞けば昨晩、葬式があったそうな・・・・。 まんじりともせず夜明けを待ったものである。

そのうちに所持金につまってしまって、霞ヶ浦の畔の町、土浦のある新聞社のデザイン室に

アルバイトで勤め始めたのであった。 つくづくと若かった!! 胸に抱いた夢のためなら、

臨機応変・・・今日いちにちを生きることに何のためらいもなかったのである。

          水郷や夢をあやめにきし旅ぞ    ★「あやめ」・・・菖蒲&殺め・・・掛け言葉

そのデザイン室に、別れたふるさとのひとに面影の似通うひとがいて、 ひそかに遠くから

観ていたのだった。 話しかける言葉も優しく・・・暖かいものが胸にあふれたのだが・・・。

 

クリスマス・イブの夜、 暖かそうなコートに光り輝く黒皮のブーツに身をつつんだそのひとは、

土浦の繁華街を恋人らしい男と腕を組みながら、 昂然と胸を張り、 歩きすぎたのだった。

呆けたように見送るボクは、着の身着のままの貧しい服をかき寄せながら、町に流れる

クリスマス・ソングをむなしく聞いていたのだった。

金もなく、明日への基盤も敷けず、見果てぬ夢だけに生きていた孤独なボクだった。

     

遠いむかし・・・・あの悲しいクリスマスの歌を、こころの糧として作詞家への夢に生きてきた。

けれども、シングル盤を1枚この世に残して、やがてボクは死ぬだろう。

           長浜やひとはむかしの冬の虹 

でも今、幸せな人生だったとつくづく思う。 夢をみた! 夢のひとかけらでも手に入れたのだ。

息子の大志がボクの目の前で、 尾崎豊を気取ってさ、

「ふたりのビートルズ」 をギターの弾き語りで歌ってくれたのだ。 

           雪みれば死すは魚津と思ひけり