母とプロ野球のホークス戦をテレビで見ていた時だ。 「わたしー、この選手、好きやわー」 と
まるで乙女のような、かすかな恥じらいを含ませて母がつぶやいた。
当時は中継ぎの投手・攝津正であった。 「なるほど! さもあらん」 と腑に落ちたのだった。
5歳という幼少で死んでしまった、次の弟の浩が青年になったならば、
こういう風貌になるであろうという、摂津投手なのである。
ああ海よ
おまえのなかに母がいて
永久に寄せくる波はなつかし
ノートにひそかに和歌などを書き付けていた、母の血を色濃くひいた私に比べて、
かの人見絹江選手と同じトラックで、陸上競技に明け暮れて、卒業後は職業軍人の道を
歩んだ父のDNAを完璧に受け継いだ、弟・浩は男らしい気の強い子供であった。
友だちにいじめられて、泣きべそをかきながら帰ってきた私に代わって、
「兄ちゃんを泣かせたのは、誰だ!!」 と、
やおら履いていた下駄を右手に振り上げて、表へ飛び出していくような弟であった。
雨けむる流れも速き梓川
こしかたの夢
ゆくすえの道
それにしても、若くして亡くなった人間とは、実に素晴らしいひとが多いものだ。
赤木圭一郎、山川登美子、尾崎 豊・・・・・・。 弟も生きてさえあらば、何事かをなし遂げた
人物になれたやもしれぬ。
攝津投手は今やホークスのエースに成長し、最多勝のタイトルをほぼ掌中にしている。
その投げる姿を見るたびに、みまかった母と弟の面影を、偲んでいる今日この頃である。
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