湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

そして、長崎の日。

2015年08月07日 | 詩歌・歳時記
トラックの仕事で広島へ納品に行ったおりに、走りまくった広島の町は美しかった。幾すじもの川と橋との光景を横目にして、けれども仕事だものね。原爆ドームもちら観して、私なりに「広島」を理解したのだった。



長崎は高校の修学旅行ってやつ。いわゆる名所を巡るくだらないスケジュールの旅でした。その後俳句を創るようになって、長崎出身の評論家「山本謙吉」氏に傾倒してからは、長崎の歴史も随分知りました。

当時の日本の軍部は、広島への原子爆弾投下でいまだ目が覚めなかったのか?
勿論たった2日である。情報もゆきとどなかったのか? そんな日本に戦争を続ける資格さえなかったのは当然ではあるが。長崎へは理不尽であると思うのだ。

前回にボクは「広島への原子爆弾投下は必然であり、アメリカは当然な戦略を行った」と書いた。それゆえ、戦争は悲惨であり二度と起こしてはいけないのである。ボクの父と母は戦争の話しは、けっこう聞かせてくれたのだ。

戦前の軍歌や歌謡曲も歳のわりには、随分知っている。被爆されたお年寄りが涙ながらに語るのを、お涙頂戴で感じ入るのは危険である。日本もアメリカ本土へ風船に結んだ爆弾を飛ばしたんだ。もっとも小さな山火事を起こしただけであったが★ たが戦争である。原爆と風船爆弾にどれ程の違いがあるか!

天皇家の謝罪こそ待ちたいものだ。

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