自主夜間中学と前川喜平さん
侘輔 前川喜平さんの講演をネットで見たよ。立派な人だね。四国・高知からわざわざ前川さんの講演を聞きたいと来ていた女性の方が質問していた。また宮城県から来た人も質問していた。
呑助 熱狂的な前川ファンが日本全国に出現しているんですか。
侘助 日本の官僚は捨てたものじゃない。本当に国民のための行政をしたいと思っている役人がいると前川さんの発言を聞いて思った人が感動して高知県から福島県まで講演を聞きに来る。この情熱にビックリした。
呑助 今、前川さんは何をしているんですか。
侘助 「今、私は名刺を持たずに生活している。強いて名刺をつくるとしたら福島駅前自主夜間中学・前川喜平」ということになるかなと、言っていたから、週に一度、福島の自主夜間中学の講師をボランティアでしているみたいだよ。交通費自腹で日本語の読み書きを教えているようだ。
呑助 自主夜間中学というのは何なんですか。
侘助 前川さんは自主夜間中学の歴史を講演会の中で話していた。夜間公立中学があるのをノミちゃん知っている。
呑助 公立の夜間中学があるですか。
侘助 うん。あるんだ。東京に区立夜間中学がある。戦争直後から公立夜間中学はあったんだ。
呑助 へぇー、知りませんでした。
侘助 日本の識字率は100%だと言われているが、そうじゃないようだ。戦争直後には親を失った子供たちがたくさんいたからね。また中国からの帰還者が1950年前後はまだあった。さらに1965年には日韓条約が成立すると韓国との民間交流が実現すると朝鮮半島に住んでいた日本人が敗戦直後帰りそこなった人々が大量に日本の帰ってきた。それらの人々に日本語を教える場として公立夜間中学があった。
呑助 第二次世界大戦の被害者が1960年代の後半までいたと言うことなんですね。
侘助 しかし1960年代になると当時の文部省は夜間中学を廃止する方向に方針を変えていくんだ。そこで夜間中学に働く教職員たちが自主的に勉強したいと思う生徒たちが居る以上存続を求めて運動していくようになるんだ。
呑助 偉い先生方がいたんですね。
侘助 教育というのはまず生徒・学生のものだからね。生徒・学生の要求に応えるのが教師たちの役目だと思う。
呑助 嫌がる生徒に無理やり教え込もうとするところにいろいろ問題が出て来るんじゃないですか。
侘助 そうなんだよね。勉強したくない生徒は、特に勉強しなくてもいいような社会になるといいなと思うね。
呑助 福島駅前に自主夜間中学があるんですね。
侘助 そうらしい。前川さんはボランティアで運営されている自主夜間中学が公に認められるよう協力していきたいと言っていた。前文部科学省事務次官という肩書がどのくらい影響力があるのか分からないけれど、講師を兼て運営スタッフになっていくんじゃないかと思う。素晴らしいことだと思う。定年退職後、大学教授のような職では、自主夜間中学の先生だよ。