醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  480号  白井一道

2017-08-09 15:59:08 | 日記

「髪はえて容顔蒼し五月雨」芭蕉44歳

侘輔 「髪はえて容顔蒼し五月雨」。芭蕉44歳の時に詠んだ句だ。とても近代的な句だと思うんだ。ノミちゃんはどうかな。
呑助 ワビちゃんがこの句を近代的だという意味が分からないんだ。
侘助 芭蕉は鏡を持っていた。鏡に映った自分の顔を見て、青白い自分の顔をじっと見ている。薄気味悪い顔だと感じていたんじゃないのかな。このような自分を自分が見て感じる。自分を対象化して見ている。このような自分像を持つということが近代的なんじゃないかと思うんだ。
呑助 私がこのような青い顔をした私がいると感じることが近代的なことなんですか。
侘助 そうなんじゃないかな。加藤楸邨は「ゴッホの自画像は、この句から季感を抜いた感じであろうか」(『芭蕉全句』昭和44)と評しているし、山本健吉も「ゴッホの自画像を見るようだと評しているのを読んだ記憶があるな。
呑助 自画像というのは近代以前には描かれることはなかったんですか。
侘助 近代以前の社会には、私という存在が許されなかったんだ。
呑助 どうしてなんですか。
侘助 例えば、赤ちゃんには私という自覚はないじゃない。ただ泣くだけ。だんだん大きくなってくると自分に気が付いてくるでしょ。それでも親に歯向かうようなことをすると物置に入れられたりするじゃない。
呑助 あぁー、そんなことありましたね。私を主張できない苦しみがありましたね。
侘助 そこで私は私だ。親の言うことは聞きたくない。家を出よう。家を出て、駅まで行って今夜どうしようと、切符を買うか、どうしようと迷った挙句、家に帰り、そっと忍び込む。そんなことをした経験があるでしょ。
呑助 そうですね。中学生の頃だったかな。オヤジにひっぱたかれたことがあったんですよ。オヤジのことが憎かったですね。それで電車に乗って渋谷まで行ったことがありましたね。
侘助 私は私だと戦前の社会では言うことができなかった。「家制度」というのがあってね。私は私だと言えるのは家長、父親一人だけだった。家族はただ父親に従属する母と子供たちしかいなかった。社会にあって国民は天皇に従属する臣民だった。臣民に私が存在する空間はなかった。
呑助 そう言えばそんな話を聞いたことがありますね。志賀直哉の小説ですかね。私を主張する苦しみを表現した小説のように感じたのを覚えていますよ。
侘助 私は私だと堂々と主張できるようになったのが近代社会のようなんだ。
呑助 芭蕉は江戸時代に私はこんな蒼い顔した男ですと句を詠んだことは凄いことなんですね。
侘助 そうなんだよね。芭蕉は生まれ故郷の伊賀上野、藤堂藩に縛られていた。藩主の半ば奴隷のような存在であったが、江戸に出る許しを得て、独り江戸で俳諧宗匠として暮らしをたてていた。見知らぬ土地、江戸での一人暮らしが私は私だという意識を形成していったのかもしれないな。当時江戸に出稼ぎにきた人々の住む街が長屋街。その長屋に住む住人の一人が芭蕉だった。