醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  482号  白井一道

2017-08-11 14:34:02 | 日記

 命なりわづかの笠の下涼み 延宝4年芭蕉33歳 

侘輔 「命なりわづかの笠の下涼み」。延宝4年、芭蕉33歳の時に詠んだ句だ。炎天が見事に表現されていると思わない?
呑助 炎天の行脚をした者でないと分からない句かもしれませんよ。
侘助 芭蕉は東海道を何回も往復しているからね。真夏の東海道を歩いた経験がこの句を生んだのかもしれない。
呑助 東海道のどこでこの句を詠んでいるんですかね。
侘助 「小夜の中山にて」と詞書があるから、小夜の中山で詠んだんじゃないのかな。
呑助 小夜の中山はどこにあるんですかね。
侘助 静岡県掛川市にある峠のようだ。東海道の三大難所は箱根峠、鈴鹿峠と小夜の中山峠だったというからね。
呑助 山登りするような峠だったんですかね。
侘助 広重が小夜の中山を描いた浮世絵が残っているんだ。これを見ると山を登っているよ。
呑助 歩いて旅した人間の句ですね。何を考えてこの峠道を芭蕉は上って行ったんでしようね。
侘助 芭蕉は西行に憧れていたからね。西行がこの峠道で詠んだ歌を思い出していたんじゃないかなと思うんだ。
呑助 芭蕉は西行の歌を覚えていたんですかね。
侘助 覚えていたんだろうね。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」。新古今和歌集にある歌なんだ。西行はなんと69歳になってまた東国への旅に出て、小夜の中山峠を越えたときに、こんな年になってまたこの小夜の中山峠を越えて旅するとは思わなかったなぁー。命があってこそのことだと感慨に耽った歌のようだ。
呑助 西行は源平合戦のころの人ですよね。今から800年も前に69歳の老人が東海道を旅しているですか。現代の三浦雄一郎みたいな人だったんでしようかね。
侘助 三浦雄一郎は80歳でエベレストに登頂しているからね。
呑助 現代の歌人というイメージじゃないですね。登山家のような人だったんじゃないですかね。西行は現代の登山家ですよ。
侘助 芭蕉は西行の歌から「命なりけり」という言葉を継承し、この言葉に俳諧の命を吹き込んだんじゃないのかな。
呑助 芭蕉は西行の精神を継承しているということなんですね。
侘助 芭蕉の俳諧は日本の伝統的な文学の伝統の上に成り立っている文学なんじゃないのかなと思っているんだけどね。
呑助 きっとそうなんでしょうね。だから高校の国語で万葉集、古今集などと一緒に芭蕉の俳諧も習っているんでしよう。
侘助 「命なり」という言葉に西行の面影を詠み込み、「笠」という言葉にも西行の心を詠み込もうとしていると安東次男は主張しているんだ。「笠はありその身はいかになりぬらんあはれはかなきあめの下かな」。西行が詠った歌の「笠」に、「わずかの笠の下涼み」という「即妙の俳」を芭蕉は吹き込んだ。このように安東は『芭蕉百五十句』の中で述べている。西行の「年たけて」の歌ではなく、「笠はあり」の歌に俳諧を芭蕉は吹き込んだと安東は主張している。芭蕉は西行の歌を暗唱し、その心を芭蕉は継承し、新しい文学を創造した。