醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  494号  白井一道

2017-08-24 13:09:36 | 日記

「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」延宝8年、芭蕉37歳

侘輔 「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」。延宝8年、芭蕉37歳。この年、芭蕉は日本橋大船町から深川の草庵に移る。なぜ賑やかな日本橋から場末の深川、その草庵に移ったんだと思う?
呑助 やむを得ない事情があったんでしょ。その事情は分かりませんけどね。
侘助 その事情を教えてくれる著書がある。田中善信さんが著した『芭蕉二つの顔』という本だ。田中氏によると芭蕉の甥、桃印と芭蕉の妾が駆け落ちした。伊賀上野を出た者は数年に一回、故郷に帰り、藩に届けなければならないと決められていた。その年が来た。がしかし桃印はいない。困った芭蕉は人目につかないところに移った方が安全かと考えたのではないかと述べている。
呑助 芭蕉には奥さんはいなかったんですよね。それでも妾さんがいたんですか。
侘助 江戸時代は独り者が妾をもっても不思議じゃなかったようだよ。
呑助 芭蕉は妾を持てるような経済力があったんですかねぇー。
侘助 神田上水の浚渫作業を請け負うような商売人としての才能を持った人だったから妾を持っても不思議じゃなかったのかもしれないなぁー。
呑助 清貧に生きた孤高の俳人じゃ全然なかったんですか。
侘助 妾奉公というような言葉があるくらいだから、江戸時代には経済力を持った男にはごく普通に妾がいるのが普通のことだたようだ。
呑助 豊かな生活を捨て、芭蕉は深川に隠棲したんですか。
侘助 その頃の芭蕉の気持ちを表現した句が「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」だったんじゃないかと思うんだけどね。
呑助 「一葉」とは何の木の葉なんですかね。
侘助 「一葉」と俳句で言う場合は桐一葉のこと。桐の大きな葉が落ち始めると秋の到来を感じるということのようだがね。
呑助 「恋に焦る身は浮舟の 寄る辺定めぬ世のうたかたや」ですか。
侘助 流れに身を任せていつ岸辺にたどり着けるのか、桐の葉の上の虫のような生活になったなぁーという感慨を詠んだのではないかと思うが、ノミちゃんが言ったように「浮舟の寄る辺定めぬ世のうたかたや」というような言葉には手垢がついているからね。芭蕉の独創ではないよね。
呑助 使い古された言葉に新しい意味が付け加えられていないということですね。
侘助 そうなんだよね。だからこの句はあまり力のない句になってしまっているんじゃないかと思うんだけどね。
呑助 平安時代、貴族に生まれた女性が頼れる男がいない哀しみを表現した言葉が江戸時代田舎から出稼ぎにきた地方の若者が仕事を失った時に感じる不安感を表現してはいるんじゃないかと思いますね。
侘助 今の東京にもそのような若者が大勢しるんじゃないかな。今、東京にはプレカリアートなんていう言葉があるらしいからね。
呑助 寄る辺ない若者のことをプレカリアートと言うんですか。
侘助 正規の仕事に付けない若者が大半だと今の東京ではいわれているようだからね。