「いづく時雨傘を手に提げて帰る僧」。延宝8年、芭蕉37歳
侘輔 「いづく時雨傘を手に提げて帰る僧」。延宝8年、芭蕉37歳。この句を芭蕉百句に選んでいる人がいる。
呑助 六八五の句ですね。
侘助 この句を読むリズム感は五七五音なのかもしれない。
呑助 「五七五」というのは文字数ではなく、音なんですか。
侘助 定型というのは何が何でも文字数が五七五になっていなければならないというものではないんじゃないのかな。だって芭蕉の句には「五七五」の定型になっていない句があるからね。
呑助 問題は句になっているか、どうかということなんですね。
侘助 そうなんじゃないのかな。「いづく時雨」という語句が季語「時雨」を表現しているのかもしれないなぁー。
呑助 どこで時雨にあったのか、びっしょり濡れた番傘をもって寺に帰ろうとしている僧侶がいるということですよね。
侘助 時季は初冬の夕暮れ、肌寒く感じる頃なんじゃないかな。質素な衣を身に付けた僧侶が一人下駄音もなく、歩いて帰る姿が目に浮かんでくる。
呑助 その番傘は借りてきたものかもしれませんね。
侘助 紙に塗ってある油も剥げ落ち、紙に雨水が沁み込んで重くなっているのかもしれないな。
呑助 いろいろ想像が膨らんできますね。
侘助 みすぼらしい僧侶のイメージだよね。
呑助 高僧のイメージはないですよね。
侘助 市井に生きる貧しい僧侶を芭蕉は表現している。これが芭蕉の俳諧というものだったんだろうね。
呑助 ごく平凡な当時の庶民の姿を詠んだのが芭蕉の俳句だったんですか。
侘助 そうなんだろうね。和歌が詠んだ対象は貴族の生活や高僧の世界を詠んだのに対して芭蕉の俳諧は当時の庶民、平民、下層な社会に生きる人々の中に美を発見したのが芭蕉の俳諧だったんだろうね。だから新しい文学が創造できたんじゃないのかな。
呑助 芭蕉の俳諧を楽しんでくれたのも町人や農民など当時の庶民たちだったということなんですね。
侘助 だから、当時の庶民が読めるような言葉で俳諧を表現した。
呑助 漢文の読み下し文のような文体ではなく、より口語に近い言葉で書いているんですね。
侘助 「いづく時雨傘を手に提げて帰る僧」。現代日本に生きる者にでも日常語として読めるような文体になっているよね。この句を詠んだのが今から三百年前の人が書いた句だということが凄いことなんだと思う。
呑助 明治になってから言文一致体の文体ができてきたというようなことを高校の頃教わった記憶がありますが、そうじゃないですね。言文一致というのはすでに俳諧に於いて行われてきていたというなんですね。
侘助 そうなんじゃないかな。芭蕉にも漢詩文調の句があるが、それらの句はまだ芭蕉本来の句ではないようだから、今の高校生が何の抵抗もなく読めるような句が芭蕉の句なんじゃないのかな。
呑助 そのような句の一つとして「いづく時雨傘を手に提げて帰る僧」があるということなんですか。
侘助 そうなんだと思うね。難しい言葉がないからね。