「秋来にけり耳を訪ねて枕の風」。延宝5年、芭蕉34歳
侘輔 「秋来にけり耳を訪ねて枕の風」。延宝5年、芭蕉34歳。俳句初心者のような句だとの批評がある。やはりそうなのかもしれないがね。
呑助 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」、古今集、
藤原敏行の歌のパロディーということですか。
侘助 そうかもしれないけれど、残暑の朝、寝床に吹いてくる風に秋を感じる。このことに気付くことを俳句にしたということでいいのじゃないかと思っているんだけどね
呑助 やっぱり、初心者の句だという批評は免れ難いようにも思いますよ。
侘助 「秋来にけり」が擬人化されているから初心者のように感じるのかな。
呑助 そうかもしれない。きっとそうなんじゃないですかね。
侘助 確かにそうかもしれないな。蕪村の句「うは風に音なき麦を枕もと」がある。蕪村の句と比べてみると確かに芭蕉の句は見劣りするね。
呑助 「音なき麦」ですか。真夏の静寂感が表現されていますね。広々と広がった麦畑の上を風が渡り、麦の穂が波打つ姿が目に見えますね。
侘助 芭蕉にも駄作があるということなのかな。
呑助 俳句初心者としてはなんか、元気をもらえるような句なんじゃないですか。
侘助 そうだよね。蕪村の句を萩原朔太郎は次のように評している。「一面の麦畑に囲まれた田舎の家で、夏の日の午睡をしていると、麦の穂を渡った風が、枕許に吹きむ入れて来たという意であるが、表現の技巧が非常に複雑していて、情趣の深いイメージを含蓄させてる。この句を読むと田舎の閑寂な空気や、夏の真昼の静寂さや、ひっそりとした田舎家の室内や、その部屋の窓から見晴らしになっているところの、広茫たる一面の麦畑や、またその麦畑が、上風に吹かれて波のように動いている有様やらが、詩の縹渺するイメージの影で浮き出して来る」と、このように評釈している。
呑助 芭蕉の「秋来にけり」の句では、朔太郎のような評釈はでてこないでしょう。
侘助 上五が6音、下五も6音。破調になっているしね。「耳をたづねて」の「て」も、だれているようにも感じるし。
呑助 ぼろくそに言いますね。
侘助 分かりやすさという点では分かりやすいかな。でも俳句としてははやりダメなんだと感じる。
呑助 まだ芭蕉は若かったんじゃないですかね。
侘助 そうなんだろう。多分ね。21歳の芭蕉が詠んだ句が残っている。「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」だ。月明りの中で宿の呼び込みを受ける旅人が目に浮かぶ。若い時の句のようだけれど、私の好きな句の一つだ。なかなかいいと思っているだけどね。
呑助 そうですね。芭蕉は天才型の詩人ではなく、努力型の詩人だったんじゃないですか。
侘助 そうなんだろうね。確かに芭蕉の句は年を経るに従っていい句を多く詠むようになっていっているように感じるね。
呑助 そうです。私もそう思います。「月ぞしるべ」の句は、月の明かりが表現されている所がいいように感じているんです。
侘助 旅人と宿の者とのやり取りが思われるよね。