醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  500号  白井一道

2017-08-30 13:16:56 | 日記

「小野炭や手習ふ人の灰ぜせり」。延宝8年、芭蕉37歳

侘輔 「小野炭や手習ふ人の灰ぜせり」。延宝8年、芭蕉37歳。私はいい句だと思っているんだけどね。でもいい句だと言う人は少ないみたいだ。
呑助 昔は火鉢の灰に字を書いて覚えたんですかね。
侘助 火の熾った炭を火鉢にいける寸暇を惜しんで向学に燃えた少年は漢字を覚えた。そんな風景が目に浮んでいい句だと思ったんだけどね。
呑助 「小野炭」とは、普通の炭ではなく、何か特別の炭なんですか。
侘助 福島県阿武隈山地に小野と呼ばれる地域があり、そこで焼かれた炭を小野炭と言ったようだ。
呑助 ごく普通の火の熾きた炭を見て芭蕉は灰に字を書くような真似をして遊んだ少年の頃を思い出し、詠んだ句なんじゃないですかね。
侘助 そうなのかもしれないなぁー。「小野炭」の「小野」には小野道風を読者に想像させるような働きがあるのかもしれないなぁー。
呑助 平安時代の能書家ですか。「三跡」というんですか、「三筆」というのか、その一人でしたよね。
侘助 小野道風は「三跡」の一人のようだ。後の二人の藤原佐理(すけまさ)と藤原行成(ゆきなり)を合わせて三跡というらしい。
呑助 小野道風のように上手な字を書きたいと練習しているということですか。
侘助 小野道風を目標に字を一所懸命習っているということを詠んだのではないかと思っているんだ。
呑助 実際、昔の日本人は灰に字を書く練習をしていたのかもしれませんよ。
侘助 当時の日本の民衆の生活記録としての意義があるような句になっているよね。
呑助 今でも砂漠地帯に生きる子供たちは砂の上に文字を書いて覚えている映像をテレビで見たような記憶がありますよ。
侘助 「灰ぜせり」というから遊びとして字を練習していたのじゃないかな。
呑助 学校や寺子屋のような場所がなかった時代の平民、町人や農民の子供たちにとって字を書くことは遊びだったのかもしれませんよ。
侘助 そうかもしれない。学校という組織は子供たちに字を強制的に詰め込む拷問をするようなところだからね。
呑助 確かに、学校は嫌なところでしたね。勉強のできる子にとっては、良い所だったかもしれませんが、勉強の嫌いな子にとっては地獄以外の何物でもないようなところだったように思いますね。私なんか、そうでしたね。
侘助 学校で何か楽しかった思い出に残るようなことはなかったの。
呑助 休み時間ぐらいですかね。ほっとしたのは。
侘助 本来勉強というのは、自学自習だからね。勉強しようという気持ちがなければ、勉強は成り立たないからね。
呑助 ワビちゃんは何を勉強したんですか。
侘助 私は学校の勉強が大嫌いでね。小学校の頃は教師に叱られてばかりいたような気がするな。それが高校に入ると先生から怒られるようなことがなくなり。大学に入ると学問というものに興味関心が高まったような気がするな。それで、私は宗教というものに興味を持ってね、仏教やキリスト教の本を読んだような気がするな。いや小説を読んだのかもしれない。