醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  481号  白井一道

2017-08-10 16:13:18 | 日記
 
 鎌倉を生きて出でけん初鰹 芭蕉49歳 元禄五年

侘輔 「鎌倉を生きて出でけん初鰹」。元禄5年、芭蕉49歳の時に詠んだ句だ。
呑助 芭蕉は魚棚に初鰹を見て詠んだ句なんですかね。
侘助 元禄時代の深川に魚屋があったとは思えないから日本橋あたりに出かけたときに魚屋の店先に初鰹を見て、詠んだのかもしれないなぁー。
呑助 当時の庶民にとって初鰹は手の届かない高級品だったんでしょう。
侘助 そうなんじゃないかと思う。「まな板に小判一枚初がつお」と芭蕉の一番弟子の其角が詠んでいる位だからね。
呑助 初鰹は小判一枚に匹敵する魚だったんですね。芭蕉は初鰹を見て、唾をのみ込んだんじゃないですかね。山口素堂の句、「目には青葉山ほととぎす初鰹」があるくらいだから。庶民にとって初夏の憧れの魚だったんでしよう。
侘助 そうなんだろうね。たぶん芭蕉は食べたことのない魚だったのかもしれないなぁー。初夏の光の中の初鰹を芭蕉は詠みたいと思ったんだろうね。その生き生きした姿を表現したい思ったんじゃないかな。
呑助 当時は鎌倉から江戸までどうして運んだんでしょうかね。
侘助 舟で運んだんじゃないのかな。陸上を駕籠や馬で運ぶより遥かに船の方が速かったんじゃないかと思うけど。
呑助 あぁー、水運ですか。当時、江戸は水の都だったから、水運が発達していたんですね。
侘助 同じ年、元禄五年、芭蕉49歳の冬、「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店」を詠んでいる。この句も芭蕉は魚屋の店先で塩鯛を見て詠んでいる。「初鰹」の句と「塩鯛」の句、ノミちゃんはどっちの句の方が好きかな。
呑助 そうですね。私は明るく、元気な勢いのある句の方がいいから「初鰹」の句が好きですね。
侘助 芭蕉自身も「鎌倉を生きて出でけん初鰹」といふこそ、心のほね折、人の知らぬ所也。このように述べたと服部土芳が『三冊子』の中で書いている。「塩鯛」の句については、「師のいはく、心遣はずと句になるもの、自賛にたらずと也」
呑助 芭蕉は謙虚な人だったんですね。「塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店」。寒さが身に沁みてくるような句ですよね。こんな句がすらすらと考えることなく口から出て来るなんて、凄いですね。それに対して「初鰹」の句は詠むのに苦労しているんですね。
侘助 「初鰹」の句は中七の「生きて出でけん」に苦労したんじゃないのかな。この言葉がなかなかできなかった。
呑助 鎌倉と初鰹を結び付ける言葉を発見することが句を詠むということなんでしようからね。
侘助 そうなんだよね。この初鰹は鎌倉を生きたまま運ばれてきたんだろうなということを芭蕉に想像させるような新鮮さがあったということなんじゃないかと思う。この新鮮さをどのように表現しようかと芭蕉は思案しぬいたということなんじゃないかな。
呑助 「生きて出でけん」は芭蕉の想像なんですね。そうすると「鎌倉を」の鎌倉も想像なんですね。
侘助 当時、江戸では初鰹と言えば、鎌倉産だったんじゃないのかな。芭蕉は初鰹を見て鎌倉を思い浮かべた。