田一枚植て立ち去る柳かな 元禄二年芭蕉46歳
句郎 「田一枚植て立去る柳かな」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』葦野で詠んだ名句として知られているらしい。
華女 いろいろな解釈があるんでしよう。
句郎 そうらしい。「植て立ち去る」のは誰なのか?
華女 芭蕉じゃないの。
句郎 芭蕉は田んぼに入って田植えをしたの?
華女 早乙女が一枚の田植えするのを芭蕉は見ていたんじゃないの。
句郎 柳の影で田植えをしている早乙女たちを芭蕉は眺め、休んでいた。一枚の田植えが終わったので芭蕉は柳影から立ち去ったということなのかな。
華女 そうね。でも芭蕉の句には「植て立ち去る」とあるわよね。素直に読むと田を一枚植て立ち去ったのは早乙女たちかもしれないわね。
句郎 芭蕉は早乙女たちが田を一枚植て立ち去るのを柳の影で眺めていたということなのかな。
華女 それじゃ、ただごとね。なんでもないわ。そんなことでは句にならないわね。句というものは何か、作者の深い思い入れのようなものがなければ俳句にはならないわよね。そうでしょ。
句郎 『おくのほそ道』本文に「此の柳みせばや」とあるのは、西行が和歌を詠んだ柳影があるからご案内しましょうと郡守の戸部某に誘われて芭蕉はその柳影に連れて行ってもらったんだよね。
華女 芭蕉は西行の歌に憧れのようなものを持っていたのよね。西行はその柳影でどのような歌を詠んだのかしら。
句郎 「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と五百年前に西行が和歌を詠んだと言われている柳影に案内されて詠んだ芭蕉の句が「田を一枚」だった。
華女 芭蕉は郡守の戸部さんに案内された柳影に連れていっていただき、感慨に耽ったのね。
句郎 「今日此の柳のかげにこそ立ちより侍りつれ」と芭蕉は『おくのほそ道』に書いている。あたかも西行の和歌そのもののような文章になっているよね。
華女 「柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と詠んだ西行はこの柳影で何を眺めていたのかなぁー。そんなことを芭蕉は思っていたんじゃないのかしら。
句郎 「しばしとてこそ」だから、きっと早乙女たちが一列に並び歌を歌い元気に田植えする姿に息を飲んでいたんだと幻想した。これは私の想像なんだけれど。
華女 たおやかな娘たちの声ね。西行もうっとり眺めていたのかもしれないと芭蕉は想像したのね。娘たちの高く華やかな声でなければダメね。
句郎 一本の柳の大木の下に案内された芭蕉は西行がこの柳影で眺めていたものを想像した。その想像したことを詠んだ句が「田を一枚植えた立ち去る柳かな」という句なのではないかと私は考えているんだけどね。
華女 早乙女たちが田を一枚植て立ち去る姿を西行は見ていたのではないかということなの。
句郎 そうなんだ。西行は田を一枚植終った早乙女たちが立ち去る姿を眺め終わるとこの柳影から立ち去った。「植て立ち去る」のは早乙女たちであると同時に西行であり、芭蕉自身でもあった。そのようにこの句を解釈してはどうかな。