醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  496号  白井一道

2017-08-26 13:03:01 | 日記
  
  ベルギー生ビール「ヒューガルデンホワイト」を楽しむ

侘輔 今日楽しむのはベルギービールの生を楽しむんだ。
呑助 ビールの本拠地というとドイツですよね。特にベルギービールというのはどんな特徴があるんですかね。
侘助 単に日本でベルギービールというと上面発酵のエールビールと自然発酵のランビックビールを指して言う場合が多いんだ。
呑助 上面発酵ビールとは何なのですか。
侘助 大麦の麦芽(モルト)の中には糖化酵素(アミラーゼ)があるんだ。このため麦のでんぷんが糖分に変えられる。この麦汁の中にビール酵母を入れると発酵が始まる。アルコールが生成され、ビールが生まれて来る。
この時、酵母が麦汁の上面に浮いてくるのでこのビールを上面発酵ビールと呼んでいるようだ。
呑助 エールというとイギリスの飲み物という感じがしますが、ベルギーにもあるんですね。
侘助 もともとビールには長い長い歴史があるんだ。その大半は上面発酵のビールが主流だった。メソポタミアからエジプトにかけての地域で上面発酵ビールが造られ、ローマ帝国の時代にビール製造の技術がヨーロッパ全域に広がった。その代表的なビールがエールビールなんだ。そのビールがイギリスで作られ続けてきたということかな。
呑助 ドイツはビールの本場というイメージがありますよね。
侘助 ドイツビールの本拠地というとどこだと思う。?そこはミュンヘンじゃないかな。ミュンヘンはバイエルンの首都、高地ドイツの中心地だ。この地域はシュバルツバルト、黒い森と言われている地域なんだ。その一つの町、ピルゼンで造られていたビールがラガービールの発祥地だといわれるようになった。ここは高
 地なために気温が低い、発酵に時間がかかった。そのビールの酵母は発酵がほぼ終わると下面に落ちて来る。だからそのビールを下面発酵ビールというようになった。このビールの発見は十九世紀中ごろのことなんだ。それ以来、このタイプのビールが世界中に広がった。この冷やして飲むこのビールをピルスナーというようになった。ピルゼンで発見されたビールだからね。
呑助 今日楽しむベルギー生ビールはどちらのタイプのビールなんですか。
侘助 「ヒューガルデンホワイト」はピルスナータイプのビール、下面発酵のビールなんだ。だからベルギービールの特徴、自然発酵のランビックビールのようなタイプのビールじゃない。ランビックは実に酸っぱいビールで、慣れない人には美味しいなんてとても言えないビールかな。
呑助 ヒューガルデンとは、何ですか。
侘助 村の名前のようだよ。この村にある醸造所というようなことなのかな。
呑助 日本のビールも大半がピルスナータイプのラガービールなんでしよう。
侘助 下面発酵のピルスナータイプのビールは軟水に適しているようなんだ。
呑助 日本の水はヨーロッパの水と比べて軟水だといわれていますから、良いんですね。
侘助 黒い森の中を流れる山岳地帯にピルゼンやミュンヘンを流れる川の伏流水は軟水のようだから、下面発酵のピルスナータイプのビールに合っていたんだろうね。低地ドイツから北の方に位置するベルギーの川の伏流水はもしかしてなんすいなのかもしれない。だから実に滑らかで軽く薄いイエローのヒューガルデンは女性に人気らしい。

醸楽庵だより  495号  白井一道

2017-08-25 15:04:20 | 日記

   孫崎さんへの手紙
2017年8月25日
白井一道
孫崎享様へ

 72歳になる老人が孫崎さんへのファンレターを書きます。私は岩上さんと同じように孫崎さんが書かれた『日米同盟の正体』を読んだのが初めてでした。その後『戦後史の正体』を初め読んできた。今、『日米開戦の正体』を読み始めた。読み始めたきっかけはIWJが放送した岩上さんと孫崎さんの話を聞いたからだ。トランプ政権が誕生した時にも岩上さんと孫崎さんの話を聞いたが、それ以来だった。
 印象に残った話は北朝鮮危機に関する孫崎さんの話だった。アメリカ政府首脳が北朝鮮問題について、危機を煽るようなことをしているということは、危機だとは認識していないということだときっぱりと発言した。その数日後、日本政府は防衛費の増額を発表した。2プラス2の会談のため、アメリカに行った小野寺防衛大臣はGDP1%枠突破もありうるというような発言をした。日本国民は止む無く受け入れるのだろう。これが狙いなんだと孫崎さんの話を聞いてわかった。そして思った。年金減額がやむを得ないこととして日本国民は受け入れるのだろうと思った。
 私は公立高校の世界史の教員を38年間してきた。『日米開戦の正体』を読み始めて思った。古代ギリシアの民主政治は衆愚政治となり、滅びていく。ソクラテスの死は民主政治の崩壊だった。民主政治が衆愚政治になったからである。嘘と詭弁のデマゴーグが民衆の支持を得て、ギリシアを滅ぼした。米軍艦に救助された母と子を日本は守らなくていいんですか。安倍総理はテレビに向かって話した。嘘と詭弁のデマゴーグになり果てた安倍総理の姿がテレビに踊っていた。これはまさに衆愚政治だ。ポプュニズムとは衆愚政治のことだ。衆愚政治の始まりは小泉政権からであろう。デマゴーグとして小泉氏は一級品だった。彼の演説会場には立錐の余地もなかった。大衆が彼の周りを何重にも取り巻いていた。それに比べ安倍総理の周りには「あべやめろ」の横断幕が取り巻いた。
 尖閣列島は日米安保条約第五条の適用範囲だとアメリカは承認している。だから尖閣列島に中国軍が進出したら日米安保条約に基づいてアメリカ軍は出動しないと孫崎さんは説明してくれている。孫崎さんの話を聞くと日本政府の答弁は説明を中途半端にして全体を説明したことにしていることがよく分かる。これも一種の嘘と詭弁ということなのだろう。安倍政権の政治は衆愚政治になり、亡国の政治なのだろう。
 このまま日本は滅んで行ってしまうのだろうか。なんとしてもこの今の政治を変えたいと思う。少なくとも教育予算や福祉予算を減額するのではなく、ミサイル防衛費を減額するような政治を実現したいなぁーと、思う。安全保障とは世界のどの国とも仲良くすることであるということを孫崎さんから学んだ。防衛費を増額することが安全保障ではない。日米同盟ということは、アメリカの敵を日本の敵にすることのようだ。日米同盟の強化とは、安全保障を強化するのではなく、反対に日本の安全を脅かすものであるということを孫崎さんから学んだ。
ささやかながら私も孫崎さんから学んだことを周りの仲間たちに知らせ、日本が少しでもいい社会になるように努めたいと思っている。
 孫崎さんの顔をパソコンのモニター画面を通して見ているととても元気そうなので、勇気づけられる。今でも皇居一周のランニングをしておられるのですか。素晴らしい。これからも元気に私たちに日本の国がより豊かに、生きることがいいなぁーと思えるような国にするために頑張ってほしい。私も孫崎さんのような活躍はできませんが、できる範囲で頑張りたいと思っています。

醸楽庵だより  494号  白井一道

2017-08-24 13:09:36 | 日記

「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」延宝8年、芭蕉37歳

侘輔 「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」。延宝8年、芭蕉37歳。この年、芭蕉は日本橋大船町から深川の草庵に移る。なぜ賑やかな日本橋から場末の深川、その草庵に移ったんだと思う?
呑助 やむを得ない事情があったんでしょ。その事情は分かりませんけどね。
侘助 その事情を教えてくれる著書がある。田中善信さんが著した『芭蕉二つの顔』という本だ。田中氏によると芭蕉の甥、桃印と芭蕉の妾が駆け落ちした。伊賀上野を出た者は数年に一回、故郷に帰り、藩に届けなければならないと決められていた。その年が来た。がしかし桃印はいない。困った芭蕉は人目につかないところに移った方が安全かと考えたのではないかと述べている。
呑助 芭蕉には奥さんはいなかったんですよね。それでも妾さんがいたんですか。
侘助 江戸時代は独り者が妾をもっても不思議じゃなかったようだよ。
呑助 芭蕉は妾を持てるような経済力があったんですかねぇー。
侘助 神田上水の浚渫作業を請け負うような商売人としての才能を持った人だったから妾を持っても不思議じゃなかったのかもしれないなぁー。
呑助 清貧に生きた孤高の俳人じゃ全然なかったんですか。
侘助 妾奉公というような言葉があるくらいだから、江戸時代には経済力を持った男にはごく普通に妾がいるのが普通のことだたようだ。
呑助 豊かな生活を捨て、芭蕉は深川に隠棲したんですか。
侘助 その頃の芭蕉の気持ちを表現した句が「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」だったんじゃないかと思うんだけどね。
呑助 「一葉」とは何の木の葉なんですかね。
侘助 「一葉」と俳句で言う場合は桐一葉のこと。桐の大きな葉が落ち始めると秋の到来を感じるということのようだがね。
呑助 「恋に焦る身は浮舟の 寄る辺定めぬ世のうたかたや」ですか。
侘助 流れに身を任せていつ岸辺にたどり着けるのか、桐の葉の上の虫のような生活になったなぁーという感慨を詠んだのではないかと思うが、ノミちゃんが言ったように「浮舟の寄る辺定めぬ世のうたかたや」というような言葉には手垢がついているからね。芭蕉の独創ではないよね。
呑助 使い古された言葉に新しい意味が付け加えられていないということですね。
侘助 そうなんだよね。だからこの句はあまり力のない句になってしまっているんじゃないかと思うんだけどね。
呑助 平安時代、貴族に生まれた女性が頼れる男がいない哀しみを表現した言葉が江戸時代田舎から出稼ぎにきた地方の若者が仕事を失った時に感じる不安感を表現してはいるんじゃないかと思いますね。
侘助 今の東京にもそのような若者が大勢しるんじゃないかな。今、東京にはプレカリアートなんていう言葉があるらしいからね。
呑助 寄る辺ない若者のことをプレカリアートと言うんですか。
侘助 正規の仕事に付けない若者が大半だと今の東京ではいわれているようだからね。

醸楽庵だより  493号  白井一道

2017-08-23 15:41:33 | 日記

雨の日や世間の秋を堺町(さかいちょう)」。延宝6年、芭蕉35歳。

侘輔 「雨の日や世間の秋を堺町(さかいちょう)」。延宝6年、芭蕉35歳。神田上水浚渫作業関係の仕事を辞め、俳諧宗匠として生きていこうと決意したのがこの年のようだ。
呑助 句の上手さだけでなく、その他にも何か、人を引き付ける魅力のようなものを兼ね備えた人が俳諧宗匠としての生活が成り立った人なんでしょうかねぇー。
侘助 十七世紀の後半の江戸庶民にとって、「堺町」と云えば、そこがどなところか分ったんじゃないのかな。
呑助 「堺町」とは、どんな場所だったんですか。
侘助 今なら、さしずめ新宿歌舞伎町と言ったらいいのかな。
呑助 歓楽街、江戸時代の色町ですか。
侘助 日本橋に「堺町」という色町があったようだ。
呑助 芭蕉は伊賀上野から江戸日本橋小田原町にやって来たんでしたよね。
侘助 芭蕉にとって「堺町」は馴染みの町だったのかもしれないな。今の三十代とは違っていただろうけれど、たまには「堺町」のお世話になっていたんだろうね。
呑助 十七世紀の後半になっても江戸の町では、女性より男の方が多かったんでしよう。出稼ぎにきた男たちが大勢いたから。
侘助 江戸城の建設やら町づくり、武家屋敷、道路作りなど土木建設工事の仕事があったから、出稼ぎ作業員が周辺地域から仕事を求めて集まってきたんだろうね。
呑助 女を求める男たちがいたから、その需要にこたえる業者が生まれたということですか。
侘助 秋雨の降る日、芭蕉は堺町に行った。雨だというのに男たちが大勢集まっていた。雨が降っては仕事にならない独り者の男たちが行くところと言えば、今も昔も同じ色町だったのかもしれない。
呑助 赤提灯とお色気を求めて誘蛾灯に集まる虫のように男たちが集まってきたんでしよう。
侘助 誘蛾灯に吸い寄せられた男の一人として芭蕉は遊郭に上がったのかもしれないな。
呑助 そこで芭蕉は句を詠んだんでしようか。中七の「世間の秋」とは、何を意味しているんでしようね。
侘助 秋は、収穫の秋だよ。冬を迎える準備で忙しくなっていく頃だよ。人は皆忙しく立ち働く季節が秋なんじゃないのかな。
呑助 堺町では世間の秋のように大勢の男たちが行き来していたということですか。
侘助 雨の日にもかかわらずに賑やかだったということなんじゃないのかな。
呑助 雨の日だよ、それにもかかわらず、堺町には大勢の男たちが女と酒を求めて集まっていたよと、いうことですか。
侘助 そのようなことを詠んでいるんじゃないかと思っているんだけどね。
呑助 たいした意味のない句ですね。こんな句を詠んで、芭蕉は俳諧宗匠になろうとしていたんですかね。
侘助 そう、誰にでもすぐ分かってもらえるような句を詠んで俳諧を楽しみましょうという気持ちで芭蕉は句を詠んでいたんじゃないのかな。
呑助 芭蕉には商売人としての資質があったんですかね。
侘助 孤高の俳人ではなかった。俗世間に生き、その世界の真実を求めた俳人だったのでは、とね。

醸楽庵だより  492号  白井一道

2017-08-22 12:57:03 | 日記

 「秋来にけり耳を訪ねて枕の風」。延宝5年、芭蕉34歳 

侘輔 「秋来にけり耳を訪ねて枕の風」。延宝5年、芭蕉34歳。俳句初心者のような句だとの批評がある。やはりそうなのかもしれないがね。
呑助 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」、古今集、
藤原敏行の歌のパロディーということですか。
侘助 そうかもしれないけれど、残暑の朝、寝床に吹いてくる風に秋を感じる。このことに気付くことを俳句にしたということでいいのじゃないかと思っているんだけどね
呑助 やっぱり、初心者の句だという批評は免れ難いようにも思いますよ。
侘助 「秋来にけり」が擬人化されているから初心者のように感じるのかな。
呑助 そうかもしれない。きっとそうなんじゃないですかね。
侘助 確かにそうかもしれないな。蕪村の句「うは風に音なき麦を枕もと」がある。蕪村の句と比べてみると確かに芭蕉の句は見劣りするね。
呑助 「音なき麦」ですか。真夏の静寂感が表現されていますね。広々と広がった麦畑の上を風が渡り、麦の穂が波打つ姿が目に見えますね。
侘助 芭蕉にも駄作があるということなのかな。
呑助 俳句初心者としてはなんか、元気をもらえるような句なんじゃないですか。
侘助 そうだよね。蕪村の句を萩原朔太郎は次のように評している。「一面の麦畑に囲まれた田舎の家で、夏の日の午睡をしていると、麦の穂を渡った風が、枕許に吹きむ入れて来たという意であるが、表現の技巧が非常に複雑していて、情趣の深いイメージを含蓄させてる。この句を読むと田舎の閑寂な空気や、夏の真昼の静寂さや、ひっそりとした田舎家の室内や、その部屋の窓から見晴らしになっているところの、広茫たる一面の麦畑や、またその麦畑が、上風に吹かれて波のように動いている有様やらが、詩の縹渺するイメージの影で浮き出して来る」と、このように評釈している。
呑助 芭蕉の「秋来にけり」の句では、朔太郎のような評釈はでてこないでしょう。
侘助 上五が6音、下五も6音。破調になっているしね。「耳をたづねて」の「て」も、だれているようにも感じるし。
呑助 ぼろくそに言いますね。
侘助 分かりやすさという点では分かりやすいかな。でも俳句としてははやりダメなんだと感じる。
呑助 まだ芭蕉は若かったんじゃないですかね。
侘助 そうなんだろう。多分ね。21歳の芭蕉が詠んだ句が残っている。「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」だ。月明りの中で宿の呼び込みを受ける旅人が目に浮かぶ。若い時の句のようだけれど、私の好きな句の一つだ。なかなかいいと思っているだけどね。
呑助 そうですね。芭蕉は天才型の詩人ではなく、努力型の詩人だったんじゃないですか。
侘助 そうなんだろうね。確かに芭蕉の句は年を経るに従っていい句を多く詠むようになっていっているように感じるね。
呑助 そうです。私もそう思います。「月ぞしるべ」の句は、月の明かりが表現されている所がいいように感じているんです。
侘助 旅人と宿の者とのやり取りが思われるよね。