醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  706号  「日本ナショナリズムの歴史」を読む④  白井一道

2018-04-20 10:39:37 | 日記


  「日本ナショナリズムの歴史」を読む④


華女 奈良の東大寺が出来たころ、聖武天皇が君臨した奈良時代は確かに天皇が絶対的な君主として日本を統治していたといえるとしても徐々に天皇自身ではなく外戚というのかしら、天皇と姻戚関係にある人が政治の実権を握るようになっていくのよね。
句郎 平安時代の藤原氏のような人々が政治の実権を握っていたと言えると思う。
華女 鎌倉時代になると政治の実権を握るのは武士よね。
句郎 そう、鎌倉時代から江戸時代まで武家政治の時代からね。
華女 武家政治の時代であっても京都には天皇がいたのよね。天皇の血筋は奈良時代から江戸時代まで延々と続き、現代に至っているのよね。凄いわ。世界に類を見ない血統なんじゃないのかしら。
句郎 文明の誕生地、中国では、王朝の交代が何度もあったからね。だから中国より日本の天皇制の方が遥かに優れているんだということを本居宣長は述べていると梅田さんのご著書から教えてもらった。
華女 日本の武家政治家たちは、何故天皇制を廃止しなかったのかしらね。
句郎 天皇が持っている権威というものを武家政治家たちは利用したからだと梅田さんは述べている。
華女 織田信長なんていう人もそうだったのかしら。
句郎 武家政治家たちの中で足利義満と織田信長は天皇の権威を認めなかった政治家だと梅田さんは述べていた。
華女 でも天皇制を廃止することはしなかったのよね。
句郎 足利義満も織田信長も天皇制を廃止する前に死んでしまったからできなかったのかもしれない。
華女 豊臣秀吉はどうだったのかしら。
句郎 豊臣秀吉は関白になった後、太閤になっているからね。秀吉は天皇の権威を利用して、自分の権威を誇ったと梅田さんは述べている。
華女 天皇はどうしてそのような権威を持つようになったのかしら。
句郎 天皇は征夷大将軍という位を付与する権限を持っていると武家政治家たちは考えていたようだから。
華女 武家政治の時代、日本の民衆は天皇を崇拝するような状況があったのかしら。
句郎 よくヨーロッパ中世世界は楕円の二つの中心点のように二つの中心点をもつ世界だと言われているんだ。ローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝という二つの中心を持つ世界だといわれている。権威を持つローマ教皇と権力をもつ神聖ローマ帝国皇帝の二つの中心があると言われている。しかし日本の中世世界は違うと思う。確かに権威を持つ天皇と権力をもつ武家政治家、二つの中心がある世界だと言えるような気がするが違う。大きな違いはヨーロッパ中世の民衆にはローマ教皇に対する熱烈な崇拝があったが、日本中世の民衆は天皇の存在さえ十分知られていない状況のようだったからね。
華女 源頼朝から徳川家康までの武家政治家たちは天皇の権威を利用したということにすぎないということなのね。自己満足のようなものかもね。
句郎 天皇を中心にした律令の位階制を利用し、徳川幕府は各藩を律令の位階制で規律したと梅田さんは述べている。

醸楽庵だより  705号  「日本ナショナリズムの歴史」を読む③  白井一道

2018-04-19 11:30:20 | 日記


  「日本ナショナリズムの歴史」を読む ③



句郎 今の天皇は誰が考えても神であるはずがないよね。日本人の一人にすぎないよね。
華女 まぁー、そうね。私は美智子妃のファンだったのよ。若かった頃、高貴な美しさがあったでしょ。憧れていたのよ。
句郎 そういう人は多かったよね。私が入学した高校ではテニス部に入部する人が多かったのを覚えているよ。
華女 軽井沢でのテニス、憧れ以上のロマンに胸のときめきがあったわ。
句郎 私たちにとっての天皇は神でも何でもない存在になっているのかな。
華女 天皇もテニスした美貌の女性に恋をして結婚する普通の男だっていうことが明らかになっているんでしよう。神様も恋をするのかもしれないけれど。天皇を崇拝するという気持ちは、どこからくるのかしら。
句郎 そうなんだよね。天皇崇拝というのはフェティシズムだと思っているんだ。
華女 フェティシズムとは、何?
句郎 物神崇拝とか、呪物崇拝というんだ。霊力があると人々が認めるものを崇拝することをフェティシズムと言うんだ。
華女 足フェチなんていう言葉を若い女の子が話しているのを聞いた事があるわ。それもそういうことなの。
句郎 そうなんじゃないのかな。足の綺麗な女の子に恋をする男の子を足フェチなんていっているんじゃないのかな。
華女 女の恰好が良い足には男の子を引き付ける魔力があるということなのね。
句郎 そうだと思うよ。そのような霊力というか、魔力のあるものが呪物なんだ。
華女 『おくのほそ道』にでてくる「殺生石」も呪物ね。その石に近づく虫は皆死んでしまう。そのような魔力がある石だと昔の人は「殺生石」と恐れたわけよね。実は那須岳の噴火で出た硫化水素や亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスによって虫たちは死んでしまったのよね。
句郎 魔力や霊力の実態が分からないものを人間は呪物として恐れると同時に崇拝するようなことがあるということなのかな、
華女 句郎君は天皇崇拝もそのような呪物崇拝、フェティシズムだと言いたいのね。
句郎 『古事記・直毘霊(なおびのみたま)』の注釈をした本居宣長は神代の奇蹟の結果、天皇が生存するようになったと説明している。このように梅田さんは述べていると私は理解したんだ。例えば、芭蕉は『おくのほそ道』紀行の中で栃木県にある「室の八島」を訪れている。ここには木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の伝説が伝わっている。コノハナサクヤヒメは燃え盛る火の中で無事子供を産んだと『古事記・直毘霊(なおびのみたま)』にある。その子孫が神武天皇になる。このような奇蹟の賜物としての天皇は全能の神ということになると本居宣長は言っていると梅田さんは述べている。
華女 天皇は神様だと『古事記』を研究した本居宣長は主張し、神である天皇の支配する国は「神の国」だということを述べているということね。
句郎 天皇を崇める国学が日本ナショナリズムの源流だと梅田さんは述べていると私は読んだんだけどね。

醸楽庵だより  704号  日本ナショナリズムの歴史②  白井一道

2018-04-17 12:44:58 | 日記


 『日本なしょなリズムの歴史Ⅰ』を読む②  梅田正己著



句郎 梅田正己さんの著書『日本ナショナリズムの歴史Ⅰ』には、十世紀の国風文化については述べられていないけれども、日本における民族文化の誕生だと言えるように考えているんだ。
華女 仮名文字の発明は日本人の民族意識の誕生だと私も思うわ。
句郎 そうだよね。日本人が日本人になっていく。私は日本人だと言う気持ちが生まれて来る。これは素晴らしいことだと思うよね。
華女 普段使っている言葉を文字にする。私たちは日本人だという気持ちを互いに持つようになる。そういう仲間意識をもつことは大事な事よ。
句郎 日本という言葉がうまれたのは八世紀ぐらいの事らしいが、十世紀ぐらいになって初めて私は日本人だと気持ちが生まれて来たんだと思う。
華女 仮名文字の誕生は同時に日本人という民族意識の誕生だったのね。
句郎 この時に生まれた民族主義はナショナリズムというものとは、少し違うようなんだ。
華女 梅田さんがおっしゃっているナショナリズムというものとは、違っているということなのね。
句郎 そうなんだ。十八世紀に生まれた本居宣長の国学研究が日本ナショナリズムの源流ではないかと主張している。
華女 本居宣長が日本ナショナリズムの始まりだというのは、定説ではないということなの。
句郎 そのようだ。今までの定説では、江戸末期、黒船の来航という事件から始まる尊王攘夷運動が日本ナショナリズムの始まりだと言うのが定説のようだ。
華女 今でも覚えているわ。高校一年の古典の授業が本居宣長の『玉勝間』だったわ。何が書いてあったのか全然覚えていないけど、チンプンカンプンだったことだけ記憶にあるわ。
句郎 本居宣長は万葉仮名を読み解き、『古事記伝』四十四巻の注釈書を完成させた。
華女 日本最古の歴史書『古事記』は太安万侶が著したのよね。中学の頃、教わったわ。
句郎 八世紀中ごろのことだったから、まだ仮名文字がなかった。太安万侶は万葉仮名を用いて天孫降臨の来歴を書いた。それが『古事記』だった。考えてみると太安万侶に民族意識の萌芽があるということなのかもしれないな。
華女 日本民族の歴史を書こうとしたことは、民族意識の表れだと思うわ。
句郎 『古事記』以外の日本の歴史書はすべて漢文で書かれている。更に奈良時代から江戸時代に至るまで公の文章はすべて漢文で書かれていた。だから漢文の読み書きができないものは公の仕事に就くことができなかったようだ。
華女 今の英語のような存在が漢文だったのね。
句郎 梅田正己さんは本居宣長の『古事記伝』の本質は『直毘霊(なおびのみたま)』にあると述べている。
華女 『直毘霊(なおびのみたま)』とは、何なの。
句郎 『古事記・直毘霊(なおびのみたま)』で本居宣長が述べていることは、天皇は神だということを歴史的に来歴を記し、説明している。
華女 天皇陛下は神様なのね。だから戦後天皇の「人間宣言」があったのね。

醸楽庵だより  703号  「日本ナショナリズムの歴史」を読む  白井一道  

2018-04-17 12:28:12 | 日記


  『日本ナショナリズムの歴史Ⅰ』を読む


句郎 梅田正己著『日本ナショナリズムの歴史Ⅰ』を読んだ。副題に「神国思想」の展開と明治維新とある。
華女 「神国思想」とは、何なの。
句郎 日本は「神の国」だという考えだと言っている。
華女 そう言えば何年前だったかしら。「日本は神の国だ」と述べ、顰蹙をかった首相がいたわね。誰だったかしら。
句郎 二〇〇〇年五月十五日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣(当時)が挨拶の中で述べた。「日本の国は、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々、神政連関係議員は頑張って来た」。
華女 「神の国」とは、天皇を中心にまとまっている国ということなのかしら。
句郎 神である天皇が臣民としての日本人を支配する国が戦前の日本国だった。
華女 森元首相は戦前の日本国にしたいと主張していたということなのね。
句郎 そうなのかもしれない。戦前の日本国民は天皇の臣民として絶対服従することが義務付けられていたからね。為政者たる森喜朗氏たちにとっては具合がいいからな。
華女 「神国思想」とナショナリズムとは関係があるのかしら。ナショナリズムとは民族主義ということでいいのよね。
句郎 日本語で意味する民族主義と英語のナショナリズムが意味する内容が同じ所と違っているところがあるようだ。ナショナリズムという言葉が意味する内容が大きいようなんだ。だから、ナショナリズムと梅田さんは言っているんじゃないかと考えているんだ。
華女 ナショナリズムとは、どのような考えを言っているのかしら。
句郎 日本の歴史を考えてみると文明の誕生地中国黄河中流域に成立した漢帝国への朝貢を通して国家を形成してきたという歴史があるでしょ。
華女 漢字文化圏が東アジアにできたということ。
句郎 そうなんだ。東アジア地域、日本、朝鮮、満州、モンゴル、チベット、ベトナムは中国の文化、律令や、仏教、儒教、漢字を受け入れ、国家形成したきた経過があるんだ。
華女 遣唐使の派遣ということは、中国の文化を輸入していたということなのね。
句郎 八世紀、中国の唐王朝文化を受け入れ、律令国家体制を整えたと言えるように思うんだ。
華女 残念ながらまだ日本独自の文化は誕生していないのね。
句郎 十世紀になると漢字から日本独自の文字、仮の文字、仮名文字を発明する。この仮名文字が国風文化を創造するんだ。それが『源氏物語』に代表されると言っていいんじゃないのかなと思う。
華女 その国風文化が日本独自の民族文化ということなのよね。
句郎 世界に誇る日本民族文化としての『源氏物語』だよね。初めてといってもいい日本独自の民族文化は女性によって築かれた。輝かしい民族文化を築いたのは男ではなく女性だった。
華女 女性は一貫して文化の担い手だったのかもしれないわ。そうじゃないの。    (続く)

醸楽庵だより  702号  消炭に薪割る音かをのの奥(芭蕉)  白井一道

2018-04-16 11:29:51 | 日記

 
 消炭に薪割る音かをのの奥  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「消炭に薪割る音かをのの奥」。貞享年間。脚注を見ると「寒を侘る茅舎の三句」中の一句とある。
華女 茅舎とは、深川芭蕉庵のことでいいのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。
華女 「寒を侘る三句」とは、何なの。「冬月江上に居を移して寒を侘ぶる茅舍の三句、其の一」として「草の戸に茶を木の葉かくあらし哉」をあげている。
華女 二句目が「消炭に」の句なのね。
句郎「草の戸に」の上五を後に芭蕉は「柴の戸に」へと推敲し「九年の春秋、市中に住み侘びて、居を深川のほとりに移す。「長安は古来名利の地、空手にして金なきものは行路難し」と言ひけむ人の賢く覚えはべるは、この身の乏しきゆゑにや」と前詞を書いている。
華女 三句目はどんな句なのかしら。
句郎 「艪の声波を打って腸凍る夜や涙」。「深川三股のほとりに草庵を侘びて、遠くは士峰の雪を望み、近くは万里の船を浮
ぶ。朝ぼらけ漕ぎ行く船のあとの白浪に、あしの枯葉の夢と吹く風もやや暮れ過ぐるほど、月に坐しては空しき樽をかこち、枕によりては薄きふすまを愁ふ」と前詞を書いている。
華女 深川芭蕉庵の冬は寒かったのね。この句は七・十・五になっているわ。ものすごい字余りの句よね。
句郎 この夜の寒さを表現するには五七五では表現しきれなかったんじゃないのかな。
華女 大の男が寒さに震え涙をこぼしているのよね。
句郎 それでも乏しさと寒さとを楽しんでいる余裕がどこかにあるんじゃないのかな。
華女 男一人、俳諧への熱い情熱があったんでしようから。妻や子供がいなかったから生活の乏しさも寒さも楽しめたのかもしれないわ。
句郎 この句は、「消し炭に薪割る音か」の「か」が切れ字なっているんだね。
華女 消炭というと中学の頃を思い出すわ。これといった暖房器具が無かったので火鉢だけだったわ。机の横に火鉢を置き、手を暖めては鉛筆を握った覚えがあるわ。消し炭を持ってきて火を熾し、炭をつぐのよ。灰をかけては温度を調節するのよ。
句郎 消し炭を持ってきて火を熾していると薪を割る音が聞こえてきたんだろうな。その薪割る音を聞いていると小野の奥を思い出したということなんだろう。
華女 「小野の奥」とは、どこのことなのかしら。
句郎 京都では炭というと小野炭が有名だった。大原のことを昔は小野といったらしい。大原の炭焼き小屋から薪割る音が聞こえてくることを芭蕉は経験していたんじゃないのかな。
華女 大原の冬も寒いわよ。特に風が寒いのよ。隙間風よ。寒いのは。障子に目張りなんかをしたのを覚えているわ。
句郎 芭蕉はきっと江戸深川芭蕉庵の川風の寒さに京都大原、当時は小野の奥の寒さを思い出していたのかもしれないな。
華女 江戸深川沖の海から吹いてくる川風の寒さに小野の奥、炭焼き小屋から吹いてくる山おろしの風にも負けない寒さに代の男が涙を伍したのよね。
句郎 芭蕉は普通の男だ。