醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  701号  豊久仁、試験醸造酒を楽しむ  白井一道

2018-04-15 15:54:46 | 日記


  会津坂下の酒、豊久仁、試験醸造酒を楽しむ


侘輔 今日のお酒は昨年十一月例会で楽しんだ福島県会津坂下の豊国酒造のお酒なんだ。
呑助 「豊久仁純米大吟醸」山田錦精米歩合四十%、全国新酒鑑評会金賞受賞酒でしたね。
侘助 酒造米山田錦の高級酒を楽しんだよね。
呑助 今回も何か特別なお酒が楽しめるんですかね。
侘助 今回は本当に特別なお酒なんだ。「試験醸造酒」なんだ。グレードは純米大吟醸、精米歩合四十%だ。
呑助 試験醸造とは、何を試験したんですか。
侘助 福島県農業試験場が品種改良した酒造米を用いて試験醸造してくれないかと依頼されたようなんだ。
呑助 酒造米の品種改良とは、具体的に何と何とを掛け合わせたんですかね。
侘助 静岡県が独自に開発した酒造米「誉富士」と山形県が独自に開発した酒造米「出羽の里」、まるで相撲の四股名のよう名称の米とを掛け合わせた酒造米を創った。まだ名称はない。この酒造米で酒を醸してくれないかと福島県から依頼を受け、豊国酒造さんが醸した酒なんだ。
呑助 日本中、それぞれの県が独自の酒造米を開発し栽培する。地産地消を訴える酒造りをしたいということなんですね。
侘助 東北各県には県毎の独自の酒造米がある状況になってきているからね。
呑助 各県は何を主に目的として酒造米の開発をしているんですかね。
侘助 まぁー、いろいろあるんじゃないかと思うけどね。一つは米を栽培する農家の方の負担をどれだけ軽減できるかということ。その上で農家の収入を少しでも多くするにはどうしたらいいかということなんじゃないかと思う。酒造米は飯米と違って、稈長(かんちょう)が高い。だから倒伏(とうふく)しやすい。風が吹いても倒伏しにくい酒造米を作りたい。
呑助 稲が台風などによって倒れてしまうと酒造米として出荷できなくなってしまうのかな。
侘助 まず、稲刈りが難しいからね。
呑助 福島県醸造試験場の狙いはそこなんですか。
侘助 酒造業界では、酒造コストを少しでも軽減できる酒造米を作りたいと言うことだと思う。だから飯米より大粒で心白の大きな酒造米が酒蔵は欲しい。その方が酒造コストを軽減できるからね。
呑助 そのような酒造米が安くて美味しい酒ができるということですか。
侘助 それほど米を削らなくても美味しい綺麗な酒ができるからね。更に蛋白や脂肪分が少ないと雑味のない酒が醸せるからね。
呑助 精米歩合を上げると雑味の少ない酒ができ、美味しい酒ができるということなんですか。
侘助 そうそう、そうなんだけれど、精米歩合を上げると米が割れやすくなるんだ。米が割れるとこの米で酒を造ることはできない。時間をかけ、ゆっくりゆっくり米が割れないよう削っていく。
呑助 酒造りとは、大変な重労働なんですね。
侘助 杜氏ともなると麹造りになると夜もまともに寝られないみたいだからね。麹の出来具合で数時間ごとに風や温度を調節しないといけないようだからね。今日は市場には出回らない特別な酒を楽しみたいと思っている。
  



醸楽庵だより  700号  世の中は稲刈るころか草の庵(芭蕉)  白井一道 

2018-04-14 11:41:33 | 日記


  世の中は稲刈るころか草の庵  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「世の中は稲刈るころか草の庵」。貞享年間。「人に米をもらうて」と前詞がある。
華女 芭蕉に新米を届けてくれた門人がいたのね。
句郎 深川芭蕉庵に隠棲した芭蕉の暮らしが瞼に浮ぶ句だと思う。
華女 「めでたき人の数にも入らむ老の暮」。この句の前詞が「貰うて喰ひ、乞うて喰ひ、やをら飢ゑも死なず、年の暮れければ」だったわ。
句郎 芭蕉は人望があったんだ。人望のある人が俳諧師なのかもしれないな。
華女 きっとそうなのよ。人望のない人は俳諧師としての生活が成り立たなかったのじゃないかしら。
句郎 当時、深川あたりでは水田はなかったのではないかと思う。淡水の確保ができなかったから。
華女 一里か二里ぐらいか、分からないけど遠方から取り立てのお米をわざわざ届けてくれたということよね。
句郎 だから「世の中は稲刈るころか」ということになったんじゃないのかな。
華女 「稲刈ることか」の「か」は切字ね。
句郎 「きれ字に用いる時は四十八字皆切レ字也」と芭蕉は言ったと『去来抄』にる通りだね。
華女 深川芭蕉庵では、稲田がなかったから気づかなかったということね。新米を頂き、あぁー、もう稲刈りが始まっていたたんだと思ったということなのよね。
句郎 きっと芭蕉は古典の勉強をしていたのかもしれないな。
華女 世俗に気付いたということなのかもしれないわ。
句郎 世俗の温もりのようなものに感じ入ったことを詠んでいるのかもしれないと思うな。
華女 稲刈る仕事は腰が痛くなる。田んぼが広く広く感じる作業なのよ。辛く厳しい仕事は農民にとっては喜びでもあるのよね。家族が集い食事する喜びかあったのよ。
句郎 「稲刈るころか」という言葉には故郷、伊賀上野の稲刈りの風景が芭蕉の瞼には浮んでいたのかもしれない。
華女 草庵に閉じこもっている私は世の中から離れ離れになっているなぁーという感慨があったのよ。
句郎 「旅寝してみしやうき世の煤はらい」。この句も同じように旅に生きる者にとって「うき世の煤はらい」が眩しく見えたと言うことなんじゃないかと思う。世俗から隠棲した俳諧師の思いが詠まれている点で、「世の中は」の句と「旅寝して」の句は同じような思いを詠んでいるということかな。
華女 ごくごく平凡な生活をしている人に対する憧れのようなものが世俗から離れた人にはあったということなのよね。
句郎 いつの時代も、どこの世界にもこのようなことはあるんじゃないのかな。例えば、将棋の世界の神様のような存在、羽生永世七冠と言われている人もプロの棋士になった当時、自分は一般社会に生きる人とは違うということに悩んだというからね。
華女 孤独感ということね。
句郎 そう、孤独感なのかな。自分一人、独りで生きるしかないと言う孤独感だよね。誰にも頼ることができない孤独感かな。孤独感というものは近代社会のものだと思っていたが芭蕉にもあった。

醸楽庵だより  699号  エスカルゴの思い出  白井一道

2018-04-13 12:25:52 | 日記


  エスカルゴの思い出



 まだ若かった頃、妻と二人日本橋三越本店にあったフランス料理店に行ったことがある。店に入るのに物怖じしてしまうような薄暗く厳しいところだった。勇気を奮い、客がぽつんぽつんといる店内に入り、黒服を着たボーイに案内を受け席に着いた。
 吾々は本格的なフランス料理など食べたことが無かったので、メニューを見て一番安い定食を注文した。ワインももちろん一番安い赤を注文した。それで終われば何のことはなかった。メニューを見ていた妻が突然黒いスーツを着ている女性が傍を通ったとき、単品でエスカルゴを注文した。妻は胸を張り、堂々と注文した。いつも食べているような態度だった。注文を受けた女性は「エスカルゴでございますね」と腰を屈め微笑んで確認した。見るからにウェイトレスより格上という雰囲気が漂う中年の女性のその微笑にエスカルゴは初めてなんですねというようなものを私は感じた。いくら妻が胸を張ってみても吾々の正体は見抜かれていたのだ。
 悲劇はエスカルゴが運ばれてきて起こった。一口エ
スカルゴを口に入れた妻は吐き出してしまった。こんなもの食べられないと小さな声で言った。ニンニクの匂いが咽につかえ、むせると言い、エスカルゴの皿を私の方に押してくる。
 ボーナスが出たころだった。大変な散財を妻はしてしまった。やむを得ず私はエスカルゴを一人で二人前いただいた。赤ワインと一緒に食べると実に美味しい。そんな私を見て妻はよくあんなものを美味しそうに食べられるわねと憎らしそうに言う。私はついニヤニヤしてしまった。
やはり若かった頃だ。妻と二人、フカヒレを食べに気仙沼にいった。民宿の親父が養殖雲丹を捕りに行くという。誘われたので船に乗せていただき、同宿のカップルと一緒に夏の夕暮れ湾の水面を走った。しばらく行くと船を留め、海水から引き上げたばかりの海(ほ)鞘(や)を取り上げ、パンパンに張った海(ほ)鞘(や)にナイフを差し込んだ。水が海(ほ)鞘(や)から放物線を描いて海面に落ちた。親父は素早く海鞘をさばき、
切り身にすると海水で洗い、これがもっとも新鮮な海鞘の刺身だといって、食べさせてくれた。海鞘の切り身を口に入れた妻は突然親父に背を向け、手に海鞘を吐き出すと気づかれないよう海に捨てた。私も美味しいとは思わなかったが、海水の塩味と独特の味が強く印象に残った。
 海鞘を食べたのはその時が初めてだった。その後、何回か、海鞘を生で食べる機会があった。思い出すと海の上、海水で洗って食べた海鞘が一番美味しかったように思う。
 美味しいものとは、きっと食べ慣れたものなのだろう。いつだったか、ホテルオークラで七百二十ミリリットル五万円で売られている日本酒を飲み、普段飲み慣れた剣菱が美味しいと言った友人がいた。本当にそう思ったのだろう。
美味しさとは、見た目とか、器とか、場所とか、仲間とかいうようなものの総合したものなのだろう。
 空腹は最高の調味料というフランスの諺がある。この言葉は真実だが、職人の技が築いた文化財としての料理もまたあるに違いない。エスカルゴのような。

醸楽庵だより  698号  何ごとも招き果てたる薄哉(芭蕉)  白井一道

2018-04-12 14:43:00 | 日記


  何ごとも招き果てたる薄哉  芭蕉


句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「何ごとも招き果てたる薄哉」。貞享年間。「毒海長老、我が草の戸にして身まかり侍るを葬りて」と前詞がある。
華女 「毒海長老」を芭蕉は介護し、亡くなった時に詠んだ追悼句なのかしら。
句郎 芭蕉は放浪の乞食坊主を招き入れ、介護したのかな。
華女 何か、そんな感じがするわね。
句郎 「罷る」とは、もともと「おいとまする」という意味から「参る」という意味に膨らんだようだ。「身罷る」とは、この世を「おいとま」し、極楽へ「参る」というということなんじゃないのかな。
華女 この世の汚れをすべて受け入れてくれている海のような毒海和尚の行きついた果てが河原の枯れすすきということなのかしら。
句郎 何か、『船頭小唄』が思い出されるな。
華女 『船頭小唄』と言えば、
  俺は河原の枯れすすき
  おなじお前も 枯れすすき
  どうせ二人は この世では
  花の咲かない 枯れすすき
  死ぬも生きるも ねえお前
  水の流れに 何かわろ
  俺も お前も 利根川の
  船の船頭で 暮らそうよ
  枯れた真菰に 照らしてる
  潮来出島の お月さん
  わたしゃこれから 利根川の
  船の船頭で 暮らすのよ
  なぜに冷たい 吹く風が
  枯れたすすきの 二人ゆえ
  熱い涙の 出たときは
  汲んでおくれよ お月さん
  どうせ二人は この世では
  花の咲かない 枯れすすき
  水を枕に 利根川の
  船の船頭で 暮らそうよ
  という歌詞なのよね。ちょっと、情緒が違うように思うわ。芭蕉の句は人生に対する観照のような哲学的な言葉のように感じるわ。
句郎 「おふくろ」というのはなにでも受け入れてくれた。だから「おふくろさん」のお腹は膨らじゃったという話を中学生の頃、聞いたことがあったな。
華女 そう、私はその話にちょっと突っかかるものがあるわ。
句郎 そうかな。人の人生とは、社会の制約を自分の意思として受け入れなければ、生きていけないような所があるじゃない。
華女 家族とか、身の回りにいる人々が求めることを受け入れ、努めるということなんじゃないの。
句郎 自分としては嫌だなと思うことであっても、受け入れなきゃならないからね。
華女 そうなのよね。子供は子供として、母は母として、妻として、女として、それぞれ立場によってしなければならないことがあるから身の細るような苦しいことが人生にはあるということなのよね。
句郎 人が生きるとは働くことだからね。働くとは人のためになるために体を動かすということ。人は人のために生きることが実は自分のために生きていると言うことなのかな。
華女 長老と云われる僧侶は人々の苦しみの何事をも招き果て、芒のようになったということでいいのかしら。
句郎 僧侶に限らず、すべての人が生きるということは、与えれた条件の中でその条件を無条件に受け入れることなしには生きていくことができないからね。
華女 芭蕉には哲学的な句もあるのね。

醸楽庵だより  697号  留学生に俳句を紹介した  白井一道

2018-04-11 11:45:31 | 日記


  留学生に俳句を紹介


 古池(ふるいけ)や蛙(かわず)飛び込む水の音  芭蕉


 これは日本で一番短い詩の一つです。このような詩を俳句といいます。この俳句を作った人は今からおよそ三百年前の松尾芭蕉という人です。
「古池(ふるいけ)」とは、今では使われなくなった池のことです。池とは、農業用水として人間が作った水を貯めておく所です。「蛙(かわず)」とは、カエルのことです。古池やの「や」は、文法用語では間投助詞と言います。誰かに呼びかけたりする場合に使います。この俳句の場合は自分自身に作者である松尾芭蕉は呼びかけています。蛙が飛び込む水の音を芭蕉は聞きました。そのとき、私の心に古池のイメージが浮かびました、というのです。日本人はこの俳句を読むとひっそりとして静かで寂(さび)しい気持ちになります。ここに詩があると感じるのです。皆さんはこの俳句を読んで日本人と同じような気持ちになりますか。
この俳句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」という意味ではないのです。しかし「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」と理解している人もたくさんいます。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句が何を言い表しているかは読む人の自由です。このように自由勝手に理解することができます。ここに俳句という詩の面白さがあるのかもしれません。ドナルド・キーンというアメリカ人は俳句の面白さに興味をもち芭蕉についての本を書いています。英語で俳句を作っているアメリカ人もたくさんいると聞いています。このように俳句はグローバル化してきているのですが、しかし日本語の俳句とは違うようです。
 俳句には季語というものがなければ俳句ではないといわれています。季語というのは、季節を表す言葉のことを言います。「古池や蛙飛び込む水の音」という俳句の場合、季語は「蛙」です。蛙は気温が少しずつ暖かくなり、春になったころ鳴き始めます。秋になっても鳴いていますが、「蛙」の季語は春と決められています。なぜなら蛙の鳴き声を聞くと日本人は春になったんだと実感するからだと思います。蛙の鳴き声を聞くと日本人には春のイメージが心に湧いてくるのです。このような季節感を表す言葉が日本語にはたくさんあります。それに対して英語には季節感を表す言葉が日本語に比べてとても少ないようです。だから英語では俳句の味わいを感じることは難しいようです。
 さらにもう一つ、俳句には「切れ字」というものがあります。切れ字とは、文を切る言葉がなければ詩としての俳句にはなりません。「古池や」の「や」が切れ字です。この「や」は「古池」と「蛙飛び込む水の音」とを切っているのです。こうして二つに文を切ることによって「間」を設けるのです。この「間」によって詩になると感じるのです。英語でも文を切ることはできるので韻(いん)をふむことはできます。しかし五文字、七文字、五文字という日本語のリズム感と英語のリズム感には大きな違いがあるように思います。
 俳句が味わえるようになったら、なんと心が豊かになることでしょう。