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浅瀬石城跡 牛頭天皇社のポプラ

2012-05-15 | 巨木
神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈-には、明治時代に全国津々浦々の寺社を県庁職員などが『神社改め』として調べ、山の神・賽の神・道祖神・稲荷などの社を、祭神が山の神であれば大山津美など、地主神であれば大名持・少彦名神などと、記紀にまつわる神名へと変えていったと記されています。
羽黒修験であった戸川安章も、明治時代末に戸川安章の父が調べた山形県内の神主の経歴について書いていますが、元々修験者であった神主がほとんどで、元から神官であったのは千数百名中50人に満たなかったと記憶しています。
元が修験道であれば祭神も当然違っていたはずで、羽黒修験の多い山形県の数字ほどではなくとも、それに近い割合で主祭神も変わっているのでしょう。
現在は、神社といえば大概は記紀神話に登場する神を祭っているわけですが、小さな神社などはほとんどの場合は明治時代に祭神の変更があったと考えられます。
ですから現在の各地の神社で祭られている祭神は、明治時代に変えられたものだと思ってみる必要もあります。


黒石市の浅瀬石城址の片隅にある牛頭天皇社(ごずてんのうしゃ)は、鳥居のように二本のポプラの巨木がある神社で、社名が牛頭天皇であることが、とても興味を引きます。
黒石市内の羽黒神社の末社ということなので、元は修験道に関係する社であったと推察できますが、明治に社名を変えなかったとすれば、津軽のじょっばり精神からだったのでしょうか。
入内の石神神社でも感じた、自分たちの信仰に対する思い入れや信仰心の厚さは、ここでもまた感じました。

奇木でもあるポプラは、太い方が幹周4.7mで、国内でも10位内に入る巨木でした。
巨木の下調べに行っただけでしたが、地域の方々が集まって浅瀬石城の話や他にもある巨木の話などで大変盛り上がりました。
多くの方から歓待され、たくさんの話が聞けて、とても楽しい巨木調査でした。