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障害の孤独

2010-03-01 | 人間心理
先日たまたまつけたテレビでこの番組が流れていました。
爆笑問題のニッポンの教養 | 過去放送記録 | FILE074:「私は ここに いる」
再放送だったのですが、ちょうど「津軽三味線」を読んでいるところで、障害を持ちながら生きる人の事を色々と考えていたので思わず見入ってしまいました。

目の見えない人の職業といえば按摩・マッサージを思い浮かべますが、「耳なし芳一」の話にもあるように音楽を生業とする人も古い時代からいました。
視覚野 Wikipedia
大脳皮質の広い部分は視覚情報処理のために働いていますが、視覚を失うとこの部分は他の働きをするともいわれます。
題名は忘れてしまいましたが、以前読んだ本には視覚障害者へのインタビューを通して脳の感覚に対する機能を考証する内容のものがありました。
その中で、視覚障害者が音によって周囲の状況を感じているという記述があり、たとえば室内の音の反響などでその部屋の大体の広さがわかったり、呼吸音や衣擦れ音から人数の多少がわかったりするということです。
視覚を失う代わりに聴覚が鋭敏になる、手の感覚が敏感になる。按摩や音楽という生業が視覚障害者の仕事になるのは理に適ったことなのでしょう。


話を「爆笑問題のニッポンの教養」に戻しますが、この番組の中で福島智教授は、突出した才能を持たない大多数の平凡な障害者の感じる孤独について言及していました。
身体障害や機能障害にかかわらず人は人と繋がりたい欲求を強く持っている、その方法を塞がれる苦しみを「宇宙の暗闇にただ一人」と表現しています。
考えてみれば自閉症というものも、目も耳も機能しているのに人とのかかわりにおいては暗闇の中に一人佇んでいるようなものなのかもしれません。
障害児を育てながら、私はこの孤独に対して思い巡らせたことはあったのだろうか、そんなことを考えていました。


ペンフィールドのホムンクルス








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