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安心のための努力

2011-04-06 | 人間心理
『安心』には何も実体がない。
実際の状態がどうあれ、事象と全く関係なく「安心」は存在するのだと福島原発事故の成り行きを眺めながら考えていました。
東京電力が『安心』のための広報に力を入れていた事にも批判がありますが、安心とは個人の心の中にしかないもので、客観的事実とは関係なく生まれ出るものだとしたら安心感の広報をすることは間違ってはいないと思います。
問題は実際に『安全』のための対策がどうだったのかという事で。

「安全・安心のため・・・」という言い回しで並ぶ二つの言葉は、並べて使っている間に同じものとして認識され、「安全だから安心」から「安心だから安全」への変遷があったのかもしれない。
『安心』を強く求めるうちに前提となる『安全』は置き去りにされてしまった。
ほんらい求めるべきなのは『安全』であって、安心するために必要なのは意味を理解するための知識だったのだと思います。
そして『安心』のために必要な努力は際限がないのです。あくまで心の中の問題であるために。
原発の問題だけでなく、『安心』を過剰に求めるあまり、逆に大きな損失やリスクを作り出している場合も多いのではないでしょうか。







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