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べき論と確率論

2011-04-21 | 人間心理
べき論は巷にあふれていて、その内容は物事を的確に指摘している場合が多いと感じます。
しかし「誰が」実行するのかが曖昧であり、現実的に実行に移すための行程が見えないので、言葉だけが表面を流れていってしまいます。
そして何かがあった後によく出てくるのも「べき論」です。
同じように事後に出てくるのが「確率論」で、「○○パーセントの確率はあった」という文脈で語られています。
確率を考えるとほぼゼロに近くても起きる可能性はありますが、現実的に形にするときどこまでを考えるのかは経済から考えるのが普通です。

たとえば10個のサイコロを振ったとして、すべての目が1になる確率は6の10乗の約6千万分の一で、ほとんど無いと言える確率になります。
この10個のサイコロを一つ一つ違う10色のサイコロにして、振ったとします。
赤は2、白は3、緑は・・・・と、てんでに出た目をひとつの組み合わせとすると、それは6千万分の一の確率で現れている事になります。
全部が同じ数字だと分かり易いだけで、何気なく振った一回ごとの数字の組み合わせはそれぞれ6千万分の一。
確率論では、ある組み合わせがいつ起きるのかがわからないだけで、非常に低い値でもゼロでなければいつかは起こる。それが数秒後なのか数百年後なのかの違いなだけで。


日本の技術や安全性が作り上げたジャパン・ブランド。
電力などのエネルギーが必要なのはジャパン・ブランドによってたつ製品を作り出し、ブランド力によって売る事です。
信用のための基盤が信用を壊してしまう現在の状況は、「ちびくろサンボ」で自分の尾を追いかけながらバターになってしまったトラを連想します。
この事故と災害から検証しなければいけない事はたくさんあるのだと思います。


原発事故考(上)失敗学会理事長・畑村洋太郎
「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性 山口浩



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