子供には、学校の先生など目上の人に話すときは敬語を使わなければいけないと教えています。
敬語には体系が在る事はいずれ社会で学んでいくのですが、家庭でできることは「そういうものだ」という感覚を身に付ける事です。
ではなぜ敬語を使わなければいけないのでしょうか。
私は子供の頃、年をとって行けば自然と大人に成れると思っていました。
今はちょっと違うと考えています。
ちゃんと経路を通らないと大人にはなれないと。
多くの民族で成人に成るための儀式があります。
共同体はその中で子ともを成人させようとし、子供は成人としての自覚を持つようになります。
でも、一度の儀式だけで全員が成人に成れるのでしょうか。
物事には取りこぼしも多くあります。
日常の中で常に自分のあり方を考えさせるのが敬語の持つ効果のようです。
敬語を使われる側は、常に敬われる人間であるかという問いかけをされているのでしょう。
年齢や立場だけでなく、人として敬語を使われるべきか如何なのかという厳しい圧力が込められているようです。
社会の中に組み込まれた大人を作るシステムかもしれません。
敬語には体系が在る事はいずれ社会で学んでいくのですが、家庭でできることは「そういうものだ」という感覚を身に付ける事です。
ではなぜ敬語を使わなければいけないのでしょうか。
私は子供の頃、年をとって行けば自然と大人に成れると思っていました。
今はちょっと違うと考えています。
ちゃんと経路を通らないと大人にはなれないと。
多くの民族で成人に成るための儀式があります。
共同体はその中で子ともを成人させようとし、子供は成人としての自覚を持つようになります。
でも、一度の儀式だけで全員が成人に成れるのでしょうか。
物事には取りこぼしも多くあります。
日常の中で常に自分のあり方を考えさせるのが敬語の持つ効果のようです。
敬語を使われる側は、常に敬われる人間であるかという問いかけをされているのでしょう。
年齢や立場だけでなく、人として敬語を使われるべきか如何なのかという厳しい圧力が込められているようです。
社会の中に組み込まれた大人を作るシステムかもしれません。
縦社会を経験しなくては
生きてはいけません。
それを小さなころから学んでいくことは
とても大事なことです。
強制すべきではないと
おっしゃいますが
社会に出ても
そういったことが身に付かないで
いつまでも横社会の言葉を使っている子は相手にされません。
究極ですが
先人を敬うことは
長く生きてきた人間に対する敬意です。
それは先の時代は何も言わずに出来たことかも知れませんが
今の時代はそういったことを
教えずには身に付かない時代だと思います。
今の大人が敬意の払われない
軽率な無責任の大人になっているのは
その人が大人になる前の大人が
作り出した功罪です。
今の子供たちに
謝った道徳を教え込まぬように
そして、これからの日本の教育を案ずれば
ある程度の強制力は必要かと感じます。
子供には目上の人には敬語を使うものだと教えています。敬語とはどういうものかはいずれ知っていくことなのですが、敬語を使わなければいけないという感覚は子供の頃から持ってもらいたいものです。
おはまろさまのおっしゃることはまさにその通りなのですが、その上の世代で勘違いしている部分もあると思います。
自分ではちゃんとしていないのに目下の者に敬語を要求するのはおかしいと思います。
敬われる人間であるのか、人としての立ち位置を問われているように思います。
年上だからこそ年下に見せるべきものがあるのだと思います。
大人の側もちゃんとしなければいけないのだと。
一般的に敬語を使う事と敬語を受ける側の覚悟の問題が混在しているように思います。
まず、一般的に敬語を使うことですが、敬語は、実社会では必須ですよね。
僕は、敬語、謙譲語は日本社会の潤滑油だと思います。
基本は、「相手に失礼のないように。」という発想だと思っています。
「我」を主張する大陸文化と違い、「和」を重視する独特の日本的な文化の表れなのでしょう。
「我」を主張するのは、赤ん坊や子供でも出来ます。
しかし、「和」は子供では出来ません。
高度になればなるほど、駆け引きが必要です。
ここからは、「敬語を受ける覚悟」の問題に重なります。
年配者に限らず敬語を強制されたなら・・・
利害関係があるなら、素直に敬語を使えましょう。
誰でもそうでしょう。
それ以外では・・・
僕は、敬語を使います。
その人が、無駄に生きてないから、何か得ることがあります。
もし、得るものがなければ、僕は、そのような人生に敬意が払えます。
それはそれで、非凡だからですし、そうなりたくないと、教えてくれてます。
生き方の見本として感謝です。
ツールのようでツールでありません。
「思い」がないと使いこなせません。
僕自身も、未だに難しいのですよ。
子供は中学生くらいから、部活などを通して先輩後輩の関係を学んでいきますよね。
学年が上がって先輩として見られる立場になったとき、どうあるべきかや後輩に対してどのように接するのかも学習していきます。
そういう立場になったと自覚させるものの一つが敬語なのだと思います。
敬語に限らず、たとえば「信頼」でも、人に信頼されればそれに応えられるように振舞おうと努力します。
周りからの評価が人を成長させるのかもしれません。
敬語は自分が使うときの用法に目が行きがちですが、違う見方をすればこのような効果もあると思います。