毎日幸せに in青森

ヒトはどんなときに幸せを感じるのか?
形而上の話を形而下に

人間として

2010-06-04 | 思うこと
父が亡くなりました。
葬儀の翌日、遺品整理をしていると、父の箪笥からは遠い昔の名残が出てきました。
それは私たち兄弟の小学校時代の通信簿や幼稚園の卒業証書、独身時代の母の写真、父が武道で取った免状などでした。

昔は子供に対して厳しい時代でしたが、子供心にも不条理と思える躾をされていた私は父が憎かった。
反発もしていましたし、父の葬式には出ないと公言もしていました。
それでも自分が親の立場になってからは、少しずつ理解はできるようになってもいましたが、感覚としては大きく変わりはなかったと思います。
渋々出席した葬儀でしたが、久しぶりに顔を合わせた親戚とは楽しい昔話に花が咲きました。
深く考えずに明るく和やかな葬儀を終えた翌日、出てきた遺品を眺めながら、父が歩いていた人生は、実はごくありふれたものだったのだと感じていました。
結婚する人の写真を大切に持っていたり、小さい子供の記録をまとめていたり、生前は思い出などを大切にする人には見えなかったのに、本当は所帯を持ち家族を持つことが人並みに嬉しかったのだろうな、と。
昔の男気質で嬉しさを隠していただけで、見栄っ張りで自分勝手で少し臆病な人間だっただけだ、そう思ったらいつの間にか、憎んでいた気持ちはどこか遠くへ消えてしまったように無くなってしまいました。

見つけた写真を母に見せると
「あら、綺麗じゃない」
「これをお母さんの遺影にしたら ?」
「そうだねぇ」
「じゃあそのまま黒い額装しとこうか(笑)」
「まったくもぉ(笑)」

いくらなんでもそれは図々し過ぎるんじゃないか、とチャチを入れる弟とみんなで笑う何時もの時間に戻っていました。




最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (OHAMARO)
2010-06-05 05:45:54
おはようございます。

素敵な内容ですね。
とても胸にぐっとくるものを感じました。

どんなことでも無駄なことなどなく人生おかげさまですっていきたいものです。
返信する
御愁傷様です。 (ポン太)
2010-06-05 08:08:12
親は亡くしてしみじみ思うものでしょうかね。
自分の親父は小学1年の冬になろうかという頃に釣りに行って逝っちゃいましたよ。
寒いからと車中で豆炭使ってたんですね。
寝たまま逝っちゃいましたから幸せな死に方だったのかも。
そんな親父の記憶は殆どありません。
微かな記憶ではちゃぶ台をひっくり返すような親父だったような・・・。
返信する
おはまろさま (shouske0)
2010-06-05 16:06:00
ありがとうございます。
人並みに親の看取りをすると気持ちにも変化があると初めて分かりました。
人は世代交代を重ねて今に続いているという、当たり前の事を考えてしまいました。
返信する
ポン太さま (shouske0)
2010-06-05 16:12:19
釣りに行って、という所が親子なんですね。
親子や家族は意識しなくても似てくるものなのでしょうか。
亡くしてしみじみ思うというより、自分も親になってからしみじみ思うものかもしれませんね。
返信する

コメントを投稿