東京では知事選が盛り上がっているのか、ネットを見ていると選挙関連の情報が多く流れてきます。
そんな中で、「東日本大震災はチャンスだ」という選挙演説への反論も流れてきます。
個人の意見は人それぞれですから、選挙はさておき、その一言が気に入らない人もいるでしょう。
子供の頃に、父親から申し渡された教えがあります。
ちょうど関東大震災から何十年目だったか、関東地方に何時大きな地震がきてもおかしくないと話題になった頃の事です。
父親は
「もしも大地震が来て、家でなくとこかでそんな事になったら、誰でもいい、近くにいる大人に助けてと言いなさい。一緒について行って避難しなさい」
そう、私たち兄弟に言いました。
私が小学生の時分だったと思います。子供の判断だけでは危ない時に、誰でもいいから近くにいた大人に頼れと。
それからずいぶんと経って私が親になった時、世の中は、知らない人は不審者であるというのが一般常識になっていました。
あの頃はそう言われたけれども、今はもう違うんだよ。
そんな風に感じていた、そしてそういう世の中になってしまったと信じていた時に東日本大震災は起きました。
大変悲惨な震災であった事は確かです。
ただ、その時の私の周囲の人々が取った行動や、伝え聞く話の中で、他人の事を心配し他人のために行動したという話は多々ありました。
全く面識のない他者への信頼というものは、資本経済の中で消えてしまったかのように感じていましたが、本当はまだまだ残っているのかもしれない。
「東日本大震災はチャンスだ」
という選挙演説の一言は、他者への信頼、社会への信頼がまだ残っているかもしれない事に気が付いた、そんな意味合いじゃないかと感じています。
無くなってしまったと思っていても、本当はどこかに残っているかもしれない本能のような物。
パンドラの箱に最後に残っていたのは何だったでしょうか。
そんな中で、「東日本大震災はチャンスだ」という選挙演説への反論も流れてきます。
個人の意見は人それぞれですから、選挙はさておき、その一言が気に入らない人もいるでしょう。
子供の頃に、父親から申し渡された教えがあります。
ちょうど関東大震災から何十年目だったか、関東地方に何時大きな地震がきてもおかしくないと話題になった頃の事です。
父親は
「もしも大地震が来て、家でなくとこかでそんな事になったら、誰でもいい、近くにいる大人に助けてと言いなさい。一緒について行って避難しなさい」
そう、私たち兄弟に言いました。
私が小学生の時分だったと思います。子供の判断だけでは危ない時に、誰でもいいから近くにいた大人に頼れと。
それからずいぶんと経って私が親になった時、世の中は、知らない人は不審者であるというのが一般常識になっていました。
あの頃はそう言われたけれども、今はもう違うんだよ。
そんな風に感じていた、そしてそういう世の中になってしまったと信じていた時に東日本大震災は起きました。
大変悲惨な震災であった事は確かです。
ただ、その時の私の周囲の人々が取った行動や、伝え聞く話の中で、他人の事を心配し他人のために行動したという話は多々ありました。
全く面識のない他者への信頼というものは、資本経済の中で消えてしまったかのように感じていましたが、本当はまだまだ残っているのかもしれない。
「東日本大震災はチャンスだ」
という選挙演説の一言は、他者への信頼、社会への信頼がまだ残っているかもしれない事に気が付いた、そんな意味合いじゃないかと感じています。
無くなってしまったと思っていても、本当はどこかに残っているかもしれない本能のような物。
パンドラの箱に最後に残っていたのは何だったでしょうか。
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