小学校時代、梅雨が終わると体育の時間はプールでの水泳になりました。
夏休みはプール開放があって、毎日プールに通っていました。
でも私は六年生まで金槌で、小学校最後の年はもう一生泳げなくてもいいと心に決めていました。
その年最初のプール授業で、他の学年を受け持つ先生が指導していました。
当時は一学年で二百人もいたので、他の学年の先生はなじみのない人でしたが何故かそこにいて、
「今年はあなたを絶対泳がせてみせる」
その時学年で泳げないのは私と少し知恵遅れの女の子の二人だけ。
その先生はひたすら私たち二人についてくれて、
「怖かったら私に掴りなさい !」
と声をかけながらバタ足が出来るまで指導してくれました。
指導のおかげで私はその夏の終わりまでに25メートルが泳げるようになっていました。
気が付くと、いつの間にかその先生は私の水泳の時間には顔を見せなくなっていました。
いつの間にか忘れてしまっていた遠い記憶。
もうずいぶん昔の事だったのになぜ思い出すのだろう。
きっと自分はすばらしい教育を受けていたんだと思う。
子供の未来に目を向けてくれるすばらしい教育を。
遠い夏を思い出しながら、涙が出るのは何故だろう。
夏休みはプール開放があって、毎日プールに通っていました。
でも私は六年生まで金槌で、小学校最後の年はもう一生泳げなくてもいいと心に決めていました。
その年最初のプール授業で、他の学年を受け持つ先生が指導していました。
当時は一学年で二百人もいたので、他の学年の先生はなじみのない人でしたが何故かそこにいて、
「今年はあなたを絶対泳がせてみせる」
その時学年で泳げないのは私と少し知恵遅れの女の子の二人だけ。
その先生はひたすら私たち二人についてくれて、
「怖かったら私に掴りなさい !」
と声をかけながらバタ足が出来るまで指導してくれました。
指導のおかげで私はその夏の終わりまでに25メートルが泳げるようになっていました。
気が付くと、いつの間にかその先生は私の水泳の時間には顔を見せなくなっていました。
いつの間にか忘れてしまっていた遠い記憶。
もうずいぶん昔の事だったのになぜ思い出すのだろう。
きっと自分はすばらしい教育を受けていたんだと思う。
子供の未来に目を向けてくれるすばらしい教育を。
遠い夏を思い出しながら、涙が出るのは何故だろう。
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