進学のため長男を送り出す。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。
保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。
子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。
これから家を出て、自分の道に進む子供を見送るのは達成感と寂しさに溢れた春の風物とは言うものの、今まで毎日の弁当を作り、あれこれと気にかけていた状態から急に離れるのは、やはり先達の言うとおり寂しいものです。
保育所へはたった5年しか通ってないのに、永遠に続くかと思われるほど長かった。小学校はそれほどでもなくて、中学校は驚くほど短かった。高校はあっと言う間だった。
そんな話を知人から聞いたことがあって、当時中学生になったばかりの長男を思いながら「そうかもしれない」などと考えていましたが、今思えば確かにその通りだと感じます。
高校に入ってからの弁当作りも、ほんのわずかな間だけだったような気もします。
子供時代の我が子と過ごす時間は本当に短い。
子供を送り出す人は、今までも数多くいたわけで、自分がその立場になって初めて分かる事はまだまだたくさんあるのでしょうし、理屈では割り切れない感覚は、経験してみないと理解できないという新しい発見ではありました。
上の子を卒園させて、引き続き下の子をお願いして、
下の子が大きくなるにつれ手間も掛かり。
手のかかる下の子に気を取られている隙に、
気が付いたら上の子は5年生に。下の子が年長に。
ヨメは気が狂わんばかりの毎日が永遠に続くと
考えているようですが、あと10年で上の子は
成人、下の子も高校生に。
人生の時間軸を設定しないと、日々の生活
自分の精神を自ら破壊する、そんな感じがします。
まぁ、余裕がないと何事も大変、と言う事でしょうか。
で、あらゆる意味で、金の切れ目が縁の切れ目、と。
でも小さな子供と家族でいられるのは、思った以上に短いものです。そして時間は元に戻らない。
大変な中にも、今しかできない事とか今だけの楽しさってありますし、たまには立ち止まってそんなことを考えてみると、きっと子育てが楽しくなるんだろうなと思います。