堤防だより

またぼちぼち更新していくぞ、と。

V. Monti: Csardas チャルダッシュ

2012-02-25 22:37:51 | ヴァイオリン
V. Monti: Csardas チャルダッシュ


夏の対戦相手デス!
昨年のラ・フォリアもそうだったけど
女子小学生にライバル心めらめらなワタクシ

なんて嘘
とても参考になるのです
丁寧に楽譜通りに弾いてくれるので
音程ばっちりだし、も~
しかも今回の彼女
小学生ながら大人っぽくもある
このあたりの色気は
すでにワタクシ枯渇しているので戦いにならないが
せめて眉間に皺はナシで弾きたい
出来れば楽しげな余裕を見せて

とにかく練習しますワ

3月5日現在
自虐ネタで選んでみたけど
聞くたびに、自分が練習するたびに
洒落にならんほどの差を感じている
細部にわたりニュアンスをしっかり表現しているし
確かに彼女はうまいデスぞ

マラソン大会とバケツ理論

2012-02-25 10:14:50 | ラン・run・らん


何度かマラソン大会を経験して思ったこと

見ず知らずの人でも応援されると「嬉しい
そしてもうちょっと頑張ろって思う
応援が確かなパワーになる

昨年5月の裾野の大会の時に気付き
1月の谷川真理ハーフマラソンで確信し
先週の伊豆マラソンでは積極的に応援してくれる人
例え自分だけに声を掛けてくれているのではないにしても
その人に向かって笑顔で頷くようにした
ありがとーの感謝を込めて
子供たちとは積極的にハイタッチした

これって何だろな~と考えていたら
偶然見つけたこの本が教えてくれたヨ



ドナルド・O・クリフトン(著
心の中の幸福のバケツ

正確には「バケツと柄杓理論」
人は皆バケツと柄杓を持っていて
自分のバケツの水の量が幸福度の目安
柄杓は自分のバケツから水を誰かに分け与える事もできるし
人のバケツから奪うことも出来る

自分のバケツから水を出す行為は
それだけだと水が減る一方ではないかと思うが
大事なのは皆が柄杓を持っている事
気がつくと誰かが私のバケツに水を入れてくれている

マラソン大会に話を戻すと
一人で黙々と走る時はバケツの水の交換はない
走った自分の満足感がバケツに貯まるかもしれないし
それはバケツの水をより透明にしている行為なのかもしれない
応援される・返すはバケツの水の交换だ
先週走り終えた私のバケツには
澄んだ綺麗な水で満たされていたと思う
だからお金出して申し込み、
朝早く電車に乗って苦しい思いをしに行くんだな

私を追い越していったおじさんは
応援してくれてる人たちに「ありがと!」と
逆に声を掛けてたよ、スゴイな

そして私が思ったことは
いつでも誰かに水を渡せるように
自分のバケツの水は綺麗にしておこうという事
前向きな言葉を使おう
自分に素直にいよう
自分を信じて友を信じる
普段の姿勢が一番大切なんだな~
…うん