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Saya suka ASIA ~アジアの中の日本から愛を込めて

台南日帰り旅行 Vol.1 (烏山頭ダム)

2012年09月01日 | 2012.8月台湾

 

 

いつの日か、台湾に行ったら行ってみたかった場所があります。

それが、「烏山頭ダム」です。実はここには、台湾と日本との深い関わりの物語があります。

日本統治時代、台湾総統府に技師として来た八田與一さんは、

日本政府を説得して、この地に壮大なダムを建設しました。

この地方は温暖な気候なので、今では1年に3回もお米がとれるそうです。

嘉南平野は以前は雨が降ると大洪水となり、サトウキビすら育たなかったといわれる

不毛の地で常に旱魃の危険を抱えていました。

八田技師は、この地に当時アジア最大と言われたダムを建設し

1万6000キロにおよぶ網の目のような用水路を張り巡らせました。

私が聞いた話では、八田さんの当時の仕事ぶりを知っている台湾の方が

八田さんがどれだけ熱意があって、素晴らしい取り組み方をしていたか

言葉では語りつくせないが、自分は一緒に仕事をして八田さんの

背中を見て生きてきたので、わかると・・・・。

日本では、八田與一氏のことを知っている人は少ないでしょうが

台湾ではほとんどの方がご存知です。

 

 

天壇文化展示会館

ダムのいろんな資料が展示されていました

 

 

 

 

烏山頭ダムの中は、すごく広いです~

 

途中でこんな河川敷のような景色が広がっていて

風に草がそよぎとても素敵でした

 

日本語

 

台湾の若者たちが、湖に向かって何かを叫んでいました

なんだかとっても楽しそうでした

 

 

 

残念ながら、つり橋は渡れませんでした

 

 

すべてが生き生きとしています

 

 

 

 

とても静かな場所です

 

八田さんは、穏やかにダムを眺めていらっしゃいました

この後方に八田ご夫妻のお墓があります。

 

この八田さんの銅像には、エピソードがあります。

台湾の独裁時代、日本統治時代のものは全て壊されました。

八田像も壊されてしまうことを心配した村人がこれを隠しました。

更に、もし見つかってしまった時のために、型まで取ってあったそうです。

やがて時代は変わり、独裁政治も終わり、再び八田像は日の目をみることになりました。

1942年陸軍に徴兵された八田さんはフィリピンへ船で向かう途中で

アメリカの戦艦に撃沈され帰らぬ人となりました。

その後奥様も後を追うように、この烏山頭ダムに身を投げました。

台湾では離婚が多いそうですが、このご夫婦の在り方に敬意を感じる

台湾人も少なくないと聞きます。

 

 

八田さんの像から見える景色。

 

 

八田技師記念室

(月曜日で休館でした・・・残念)

 

 

 

 



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