いくつもある万里の長城でも、ここ八達嶺長城は
もっとも有名な長城だ。北京から約60Kmという
アクセスの良さもある。1987年世界遺産に登録された。
中国は世界遺産の宝庫で世界第2位に当たる47件もの
世界遺産を保持している。(2014年)
万里の長城へ行くには駐車場からしばらく
ゆるやかな坂道を上がっていく。
その歩道は中国一の人気観光スポットの為か広々として
素晴らしく整備されていた。ここを歩いても
中国の発達進歩を実感した。
前のブログでも記したが、道中に飾られた
植栽のモニュメントも素晴らしい。
まさに国力のゆとりが伝わってくる。
坂の途中にはこのような立派な石張りの壁に彫刻が
施された巨大な壁の前を通っていく。
思わず一つ一つのレリーフに目が行き足が止まってしまう。
いよいよこの重厚な門を抜けると万里の長城への登り口に入る。
入ってみると門というよりはトンネルに近く、
とても存在感のある門だ。
この日は殊の外、警察と軍隊が大勢いた。
その理由は後程記すが、この警察官の姿勢は素晴らしい。
手のひらがズボンの縫い目にピタリと当せ、しかも手の指が
倫理法人で言う密指に成っている。
こういう点は共産国のマニュアルがすごい。
北方異民族の侵入を防ぐための全長約2万1200Kmに及んで
築かれた万里の長城。その起源は秦代の紀元前214年に
始皇帝によって建設されたと言われている。
現存するのは主に明代の造営で中でも観光整備が進んでいるのが
ここ八達嶺。全長3700m最高地点の標高は1050mに及ぶ。
この記念碑が何なのかわからないが、御覧のように記念写真を
撮る為に長蛇の列ができていた。
きっと価値ある石碑なのだろう。
万里の長城は竜の背中と呼ばれる道・階段を登る。
一生に一度は行きたいと言われている万里の長城を
今この足で歩いているのだと思うと2度目とはいえ
感慨深いものがある。それにしても場所によっては
きつい坂・階段があって途中で息が切れた。
ここは北三桜という砦みたいな所の内。
以前、万里の長城は宇宙から肉眼で見える唯一の建造物と
言われていたが、実際は見えないことが宇宙飛行士により
実証された。
万里の長城は農耕民族と遊牧民族の境界線と言われている。
又、2007年に新世界七不思議に選ばれた。
その七つは
①中国 万里の長城
②ヨルダン ペトラ
③イタリアローマ コロッセオ
④メキシコユカタン州 チチェン・イッツァのピラミッド
⑤ペルークスコ マチュ・ピチュ
⑥インド タージ・マハル
⑦ブラジルリオ コルコバードのキリスト像
もうヘトヘトになって上を見上げるとまだまだ長城が続いている。(当然だが)
一番先の楼に向かっている人達はまるで蟻の行列の様だ。
ご覧のような長さからピラミッド・戦艦大和と並ぶ
世界三大無用の長物とされたこともある程だ。
長城の材質は建造当初は版築によって突き固められた土壁であったが
明の時代にレンガで改造されたとの事。
この世界遺産の文化財にほとんど落書きが書かれている。
歩行の注意書きに「小心慢行」とある。
これはゆっくり歩いてくださいとの意だ。
なんとなくこの四字熟語はそんなイメージがある。
しかし、この日の天気はこれ以上無いという
最高に気持ちが良い天気だった。
楼の窓に立つとやさしく肌を包む爽やかな心地よい
冷気が当たり、この思いは一生忘れられないものになった。
こちらは軍隊の兵士がいた。
こちらはなんとなく緊張感がなく歩いていた。
こちらはノルウェーの団体さんが一生懸命記念写真を撮っていた。
こちらのグループは静かでマナーの良い人達であった。
八達嶺の万里の長城には勾配が緩やかなこの女坂と
我々が登った急な男坂がある。
我々が到着した時の女坂は閉鎖されていて
ご覧のように人気が全く無い。
これは国名はわからないがどこかの国家元首一行が
来訪する為の規制らしい。
そうゆうことでこの日は警察と軍の人達が大勢警備
に当たっていたという事でした。
という訳で行きの時は女坂サイドの売店には入れなかったが
帰路はここに入ることができました。
駐車場近くには沢山のみあげ店が並んでおり、
いかにも中国的なみあげ物が売られていた。
その一つがこの京劇の仮面。
そして毛沢東の人民服のコーナーが目立った。
帰りの道にもこのような立派なレリーフの石壁があり
中国人もさかんに記念写真を撮っていた。
それにしてもここ八達嶺の万里の長城は感心する程
よく整備がされていて現在の中国の余裕を
感じてしまった。
八達嶺より手前で車窓から見た万里の長城
これはどこのだろう。
ちなみに他にある金山嶺長城は長城の中の長城と讃えられ
映画のロケ地として有名なところもある。
バスとすれ違った高速鉄道長城号。