スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

万里の長城(八達嶺)

2019-11-12 06:24:07 | 旅 ~海外

いくつもある万里の長城でも、ここ八達嶺長城は

もっとも有名な長城だ。北京から約60Kmという

アクセスの良さもある。1987年世界遺産に登録された。

中国は世界遺産の宝庫で世界第2位に当たる47件もの

世界遺産を保持している。(2014年)

万里の長城へ行くには駐車場からしばらく

ゆるやかな坂道を上がっていく。

その歩道は中国一の人気観光スポットの為か広々として

素晴らしく整備されていた。ここを歩いても

中国の発達進歩を実感した。

前のブログでも記したが、道中に飾られた

植栽のモニュメントも素晴らしい。

まさに国力のゆとりが伝わってくる。

坂の途中にはこのような立派な石張りの壁に彫刻が

施された巨大な壁の前を通っていく。

思わず一つ一つのレリーフに目が行き足が止まってしまう。

いよいよこの重厚な門を抜けると万里の長城への登り口に入る。

入ってみると門というよりはトンネルに近く、

とても存在感のある門だ。

この日は殊の外、警察と軍隊が大勢いた。

その理由は後程記すが、この警察官の姿勢は素晴らしい。

手のひらがズボンの縫い目にピタリと当せ、しかも手の指が

倫理法人で言う密指に成っている。

こういう点は共産国のマニュアルがすごい。

北方異民族の侵入を防ぐための全長約2万1200Kmに及んで

築かれた万里の長城。その起源は秦代の紀元前214年に

始皇帝によって建設されたと言われている。

現存するのは主に明代の造営で中でも観光整備が進んでいるのが

ここ八達嶺。全長3700m最高地点の標高は1050mに及ぶ。

この記念碑が何なのかわからないが、御覧のように記念写真を

撮る為に長蛇の列ができていた。

きっと価値ある石碑なのだろう。

万里の長城は竜の背中と呼ばれる道・階段を登る。

一生に一度は行きたいと言われている万里の長城を

今この足で歩いているのだと思うと2度目とはいえ

感慨深いものがある。それにしても場所によっては

きつい坂・階段があって途中で息が切れた。

ここは北三桜という砦みたいな所の内。

以前、万里の長城は宇宙から肉眼で見える唯一の建造物と

言われていたが、実際は見えないことが宇宙飛行士により

実証された。

万里の長城は農耕民族と遊牧民族の境界線と言われている。

又、2007年に新世界七不思議に選ばれた。

その七つは

①中国 万里の長城

②ヨルダン ペトラ

③イタリアローマ コロッセオ

④メキシコユカタン州 チチェン・イッツァのピラミッド

⑤ペルークスコ マチュ・ピチュ

⑥インド タージ・マハル

⑦ブラジルリオ コルコバードのキリスト像

もうヘトヘトになって上を見上げるとまだまだ長城が続いている。(当然だが)

一番先の楼に向かっている人達はまるで蟻の行列の様だ。

ご覧のような長さからピラミッド・戦艦大和と並ぶ

世界三大無用の長物とされたこともある程だ。

長城の材質は建造当初は版築によって突き固められた土壁であったが

明の時代にレンガで改造されたとの事。

この世界遺産の文化財にほとんど落書きが書かれている。

歩行の注意書きに「小心慢行」とある。

これはゆっくり歩いてくださいとの意だ。

なんとなくこの四字熟語はそんなイメージがある。

しかし、この日の天気はこれ以上無いという

最高に気持ちが良い天気だった。

楼の窓に立つとやさしく肌を包む爽やかな心地よい

冷気が当たり、この思いは一生忘れられないものになった。

こちらは軍隊の兵士がいた。

こちらはなんとなく緊張感がなく歩いていた。

こちらはノルウェーの団体さんが一生懸命記念写真を撮っていた。

こちらのグループは静かでマナーの良い人達であった。

八達嶺の万里の長城には勾配が緩やかなこの女坂と

我々が登った急な男坂がある。

我々が到着した時の女坂は閉鎖されていて

ご覧のように人気が全く無い。

これは国名はわからないがどこかの国家元首一行が

来訪する為の規制らしい。

そうゆうことでこの日は警察と軍の人達が大勢警備

に当たっていたという事でした。

という訳で行きの時は女坂サイドの売店には入れなかったが

帰路はここに入ることができました。

駐車場近くには沢山のみあげ店が並んでおり、

いかにも中国的なみあげ物が売られていた。

その一つがこの京劇の仮面。

そして毛沢東の人民服のコーナーが目立った。

帰りの道にもこのような立派なレリーフの石壁があり

中国人もさかんに記念写真を撮っていた。

それにしてもここ八達嶺の万里の長城は感心する程

よく整備がされていて現在の中国の余裕を

感じてしまった。

八達嶺より手前で車窓から見た万里の長城

これはどこのだろう。

ちなみに他にある金山嶺長城は長城の中の長城と讃えられ

映画のロケ地として有名なところもある。

バスとすれ違った高速鉄道長城号。

 

 


南羅鼓巷散策

2019-11-07 06:34:27 | 旅 ~海外

 北京東城区に位置する南羅鼓巷。

北京で一番古い大規模な元代の建物が残っているエリアだ。

ここは元代に端を発する碁盤の目状の街区や中国北方伝統の四合院形式の住宅、

路地(胡同)が見事に息づいている。

入口の所には横浜中華街の門に似たゲート(中国が本場だから逆か)がある。

全長786mの狭い通りに、肩が触れあう様な人混み。

まるで原宿の竹下通りの様な雰囲気だ。

通りには柳の木をはじめ、比較的大きな街路樹があり、

潤いのある空間を造り上げている。

南羅鼓巷全体の案内図。

これを見れば街が碁盤の目状になっているのが良くわかる。

この案内図には一部イラスト的にポイントの家の絵が

描かれていて観光客にはわかりやすい。

740年の歴史を持つこの街には四分院造の家を改造したカフェ、雑貨店が並び

古き良きものと現代のものとが融合した景観を楽しめる場所になっている。

この街も10月1日の国慶節を祝う国旗・五星紅旗が通り全てに掲げられていて、

とても印象的な風景となっていた。

その中の比較的広いファーストフード店に入ってみた。

売られている飲食物はかなり多彩で、

なかには何これ?といったものもあり、とても興味深い。

ではその幾つかを紹介しましょう。

長い串揚げもので一番先にエビが刺さっている。

丸いボールみたいなものは何か忘れた。

こちらは中国風たこ焼き。

一見すると日本のたこ焼きと同じだが、味はかなり違っていた。

女性店員のユニフォームはとてもファッショナブルで

口元には透明なマスクをしていて衛生上もしっかり配慮しているのがわかる。

ここでは一杯丸ごとのイカの串焼きが鉄板で焼かれていた。

日本の祭りの屋台でも売られているが、

ここのは身に切れ目を入れているのが違う。

こちらは台湾一口蟹。

写真看板には「美味 不当 不在 」と書かれてあるが、

不当 不在とはどんな意味だろう?

これは珍しい。

カステラを文字焼きにして串に刺している。

漢字も画数の多いものを結構使っていて型を作るのが大変だったのではないか。

なんとなく四文字熟語っぽくてユニークだ。

メインストリートの裏手には宮邸、中庭付の屋敷があり、

無傷で保護されてきたのは非常に稀なことだそうだ。

以前にも紹介したが、北京の街は想像していたよりずっと綺麗な街であった。

日本に来た中国人観光客、あるいは海外で会った

中国人観光客のマナーの悪さには眉を潜めるものがあるが、

さすが国の顔、首都の北京はちょっと違っていた。

ここで見かけた大きなごみ箱を見て、

ごみ問題では一生懸命取り組んでいるようだ。

ショーウインドーで目がとまったかわいらしい中国チックなお人形さん。

お店の中に入って買おうかなと値段を聞いたら

思ったより高かったのでやめた。

北京の物価は思いのほか高いという印象だ。

通りで一生懸命スマホをしていた元時代(?)の

民族服を着ていたお嬢さん(?)

その容姿と服が気になったのでパチリしてしまいました。

 

 


天壇公園

2019-11-06 06:20:09 | 旅 ~海外

天壇は明・清二代の皇帝が天を祀り豊穣を祈った祭祀のための建設群で、

総面積が故宮の約4倍の約270万㎡。

天壇は祈年殿、圜丘壇、皇穹宇などを合わせた総称で、1998年に世界遺産に登録された。

天壇公園の案内図の横には当然中国語そして英語、韓国語、

そしてしっかり日本語の説明文が書かれてあった。

やはりなんだかんだと言って日中韓は簡単には切り離せないことがこの看板でも示している。

切符売場をはじめ、入口エリアはとても綺麗で整備されていて、

しかも電動掲示化されて中国のインフラ整備は思っていたよりずっと進んでいた。

それはここだけではなく、これから観光したあらゆる所にも言えた。

確か高齢者は入園が無料の為か、祈念殿につながる回廊の欄干には隙間がない程、

トランプと中国の将棋らしきものに興じる年配者で一杯になっていた。

やる人、見る人、互々善良な市民という感じで微笑ましい光景だ。

この回廊と天井と特に梁に施された文様、デザインと色の配色が素晴らしい。

この下をゆっくり歩んで行くと遠い昔の王朝時代にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

天は中国人にとって昔から至上のもの。

万物を支配する最高権威を意味する。

皇帝はその天命を受けた天子であり、天を祀る特権を持っていた。

日壇、月壇、地壇など北京にある「壇(祈祷場)」の中でここ天壇は最も重要とされ、

明・清時代の皇帝はここで五穀豊穣を祈った。

この天壇は明の永楽18年(1420年)、永楽帝が建立したとされる。

天壇でもっとも有名とされる建造物がこの祈念殿。

天安門や紫禁城とともに北京のシンボル的存在だ。

祈念殿は直径32m、高さ38mで釘を使わず

25本の柱のみで支えられた祭壇で、現存する中国最大の祭壇。

中国建築史上重要な建造物とされている。

木造で宝頂は金メッキがなされ、屋根は瑠璃瓦葺きの三層になっていて、

明の時代は上から青・黄・緑となっていたが、1751年にすべて青色に変えられた。

現在の建物は1896年に再建されたもの。

中国の人はスマホで記念写真を撮ろうとすると、かならずといっていい程、

ちょっと大げさなポーズを取ることを知った。

その姿がおもしろいので写真に撮ってしまった。

祈念殿の近くにある博物館。ここの天井の配色も良い感じだ。

漢字の国、中国の展示物はわかりやすい。

この表は明朝皇帝と清朝皇帝の一覧表。

もう一つの博物館内部と皇帝の肖像画。


北京事情あれこれ(その2)

2019-11-05 06:27:31 | 旅 ~海外

今年の9月は私的にはイレギュラーな事がいくつも続いた。

このブログでも紹介したが、豊洲市場の見学が臨時休業でダメになった事、

続いて台風15号により防衛大学校の研修も中止になった事。

そしてこの北京観光も10月1日 70周年の国慶節準備の為

是非行きたかった天安門広場と故宮博物館の見学が叶わなかった事。

そして究極の出来事は当社の会長が急逝した事だ。

中華人民共和国は今年10月1日、建国70周年という空前の

国慶節が祝われた。その壮大な準備の為

10日前から天安門前広場周辺は厳しい規制が引かれた。

我々が宿泊したホテルもその規制エリアに入り、

夜になるとおびただしい数の空バスが通過していった。

おそらく人民軍輸送の為だろう。

その為、当初予定していた天安門広場、故宮博物館も

閉鎖され、とうとう見ることができなかった。

これはある意味滅多に見ることができない体験となった。

こんなすごい規制は日本では考えられないことだ。

大通りには70周年国慶節を祝ういかにも中国的な

朱色のランタンが至る所に設置されていた。

大げさに言えば、中国の威信をかけた

飾り付けに見えた。

この様に北京市内のあらゆる所に国慶節70周年を祝うスローガン

たれ幕、のぼりなどがあふれていた。

中国の核心的価値観は「富強」「民主」「文明」「和諧」

「自由」「平等」「公正」「法治」「愛国」「敬業」

「誠信」「友善」だそうだ。

この中のいくつかは日本から見るとクレッションだ。

北京の街は想像していたより綺麗と前述したが

さらに街路のポイントポイントには花が植えられており

とても華やかで素敵な通りをいくつも見かけた。

これは国策なのか、地方自治体の政策なのかわからないが

余裕がなくてはできない事だ。

又、早朝から清掃員が道を掃いている姿も何回も見た。

又、車窓から気に成ったのが樹木の幹の下の方が

白く塗られているのはどうしてだろう?と。

20数年前、中国の他の都市郊外の街路樹がそうであったので

その当時のガイドに聞いた所、まだ街路灯が整備されてなく

夜光塗料を塗って道路幅を明示し交通事故防止の為やっているという

話を記憶している。今回もそうかと聞いた所

防虫剤を塗っているという答え。

随分時代は変わったと思った。

早朝散歩でまだ規制前の「王府井大街(ワンフーチン)」を

歩いてみた。すると広い歩道に2組のブロンズ像が。

一つはチャイナ服を着た男女の像が楽器を弾いているもの。

もう一つは男性が女性の髪を結っているもの。

これはいったい何だろう?

王府井(ワンフーチン)は北京の中央部にある繁華街で

巨大デパートや飲食店が立ち並び一帯は

歩行者天国になっている。

日本人はここを北京の銀座と呼んでいる。

王府井という地名は、かつてここに王府(皇族の座敷)の井戸が

あったことに由来するといわれている。

この個性的で一度見たら忘れられないデザインのスタジアムは

北京国家体育場で中国最大のスタジアムであり、

北京オリンピックのメインスタジアムであった。

中国政府が2002年に国際建築設計コンペで

スイスの建築家ユニットヘルツォーク&ムーロン、

構造設計でアラップ社、中国側でも主任設計者と現代美術家が

協力して採用された。

その独特の形状から愛称は「鳥の巣」といわれている。

総工費35億元。

鳥の巣の近くに巨大な塔がモヤの中迫ってきた。

上には五輪のマークが、下にはパンダの絵と

2022年の冬季オリンピックのPRの為の塔のようだ。

もう1棟、鳥の巣のそばにとても目立った意匠の

高層ビルがあった。炎のビルと称して

聖火をモチーフにしたビルとの事。

これが勢一ぱい規制の中撮った天安門広場の一部。

赤い建造物は建国70年記念のものかもしれない?

これは天安門近くで車窓から撮った立派な門。

何という門だかはわからない。

やはりこれらの建物の天安門に近くで目に付いたビル。

天安門からやや離れて渋滞した環路を進んで行くと

近代的なオフィス街を通る。このエリアは通信関係の会社

あるいは「人寿」と書いて生命保険のビルが立ち並んでいる。

こちらは北京北駅で同じアールの意匠の三つ子のビル。

旧市街をちょっと離れると近代的なビルが

続いていて中国、北京の発展を象徴している。

2008年北京オリンピックのシンボルマークが付いたビル。

このマークは「中国の印章 舞い踊る北京」(中国印)と名づけられた。

印章の図案は京という字に似ているが酒脱、飄々として力に満ち溢れ

「舞い踊る北京」を寓意している。

そして北京首都国際空港(PEK)から帰路へ。

さすが世界第3位の規模だ。

出発ロビーはバカデカイ。

 

 

 

 

 


北京事情あれこれ(その1)

2019-11-04 06:37:23 | 旅 ~海外

羽田空港から北京首都国際空港(PEK)まで約3時間

次第に高度を下げてくるとはっきり、郊外の町並みが見えてきた。

北京市の人口約2200万人の住宅はこの様におびただしい数の

高層マンションでカバーしているのだろう。

この光景にまず圧倒された。

 

実は北京に来たのは20数年ぶり、2回目だ。

今回の旅の一番の目的はこの20数年間での中国の発展ぶりを

この目で実感すること、確認したいという事。

その最初がこの国際空港の姿であった。

当然と言えば当然だがその当時の空港とは別世界だった。

20数年前はあまりにもお粗末で

どこかの後進国のローカル空港みたいだったことを思い出す。

この空港は1958年に開港し、1999年に大改造が行われ

3倍の広さになった。この時第2ターミナルが建設された。

2004年9月に第1ターミナルが改装オープン。

2008年北京オリンピックに備え、5階建ての第3ターミナルや

新滑走路が建設された。この空港は中国最大の空港であり

アジアでも最大規模、世界第三の規模を持っている。

尚、今年北京市南方に北京大興国際空港が建設され開港された。

これが北京城区の地図。

細かくてわかりずらいが、赤く4角に書かれているのが

北京の主要道路動脈の環状道路。

この旅でガイドさんの口からいつも出て来たのが、この道路の話だった。

これが北京市内の信号機、歩行者用の信号機の

「等待」という漢字の意味がなんとなくわかる。

もうすぐ青に成るのでちょっと待てと解釈した。

これが北京のタクシー。

アメリカに似てイエローキャブのカラー。

車の車種はなぜか韓国、現代自動車が圧倒的に多かった。

市内至る所に設置してあったレンタルサイクル。

現在北京は車の排気ガスが大気の汚染原因の大きな原因の1つとして

問題となっているようで、自転車が推奨されているようだった。

逆にバイク利用はあまり多くは見かけなかった。

街角で見つけた輪タク。

数は滅多に無かったがなんとなく中国のイメージにあっていて

シャッターを押してしまった。この輪タクはよく見ると

まだ真新しい。北京全体の印象はこの輪タクが象徴的な様に

全てが真新しい。

どうやら北京の渋滞状況は深刻の様だ。

どこの幹線道路も大変な混雑状態。

前述の環状道路網が整備されても追いついていかない。

逆に言えば車がドンドン売れていると言うこと。

この視点からも中国の経済発展のすごさがわかる。

日本では滅多に見ない松の街路樹。

特に下の写真の通りはまるで庭園のようで

美しい道であった。松と道路の組み合わせは

とても新鮮で斬新な風景とすら言える。

今回の旅で認識を変えなくてはと思った1つは

北京の街の綺麗さ、清潔さだ。

行く前は街にはもっとゴミが散乱していると予想していたが

ゴミが気に成った事はほとんど無かった。

街にはご覧の様なゴミの回収箱があり、リサイクル分別、

生ゴミ分別等分別化もされていた。

しかも驚いたのはそのゴミ箱もデザイン化され、洒落ていた。

下の写真のゴミ箱はいかにも中国的ですごく大きい。

少なくとも中国の顔、首都北京のマナーは中国のイメージに

反してかなり進化している印象を持った。

北京を観光していてこれ何?と気づいた一つに

観光ガイドさんが皆、旗ではなく鯉のぼりを持っていた事。

同行のガイドにこのことを聞いた所

唯、目立つからという返事。

よく鯉を見ると微妙にデザインを変えているのが笑ってしまう。

ここからは北京市内で目立った建物、ビルを紹介します。

昨年10月に完工した北京一の超高層ビル

中国尊ビル(高さ528m)。地上108階、地下8階。

投資総額は約3600億円だ。

このビルは20数年前に宿泊したホテルニューオータニ。

その当時はこのビルでも結構高いビルだったが今では

ほとんど目立たない普通の建物だ。

これだけを取ってもこの四半世紀のビックリする様な

変わりようがわかる。

北京市に本店を置く中国銀行が入っているビル。

中華人民共和国では第3の商業銀行だ。

中国建設銀行、中国工商銀行、中国農業銀行と共に

中国四大商業銀行とされる。

中華人民共和国外交部のビル。

朝陽区にあり元駐日大使の王毅氏が外交部長(外務大臣)。

よくTVで鉄仮面の美人報道官の記者会見が報道されているのが

この建物で行われている。

北京市の長安街と王府井大街に建つ五ツ星の高級ホテル北京飯店。

1900年開業の歴史あるホテルで世界各国の国賓、著名人が

利用する北京の代表的ホテルだ。

北京の中心部、ビルが林立しているエリア。

道路も片側3車線と広く、全く近代的都市の風景だ。

商業エリアで、日本のコンビニ2軒を発見。

ローソンとファミリーマートだ。

ファミリーマートは中国語で「全家」と書く。

なんとなく意味が伝わってくる表現だ。

この2つのコンビニを見てなぜかうれしい気持ちに

なるのはなぜだろう。

これは北京郊外の地下鉄駅。

中国らしい意匠の建物で渋い造りだがまだ新しそうで

とても良い雰囲気の駅に見えた。

街を散歩していたら自動の一輪車に乗っていた人と遭遇。

日本では規制されてしまいそうな乗物が

共産主義規制国家の中国では許されている。

何か日本と中国の違いの象徴的な光景に見えてしまった。

紀元前の春秋戦国時代、燕国の都が置かれたことから北京の歴史が始まる。

その後、金、元、明、清という歴代王朝の都として栄えた。

現在も中国の首都として悠久の歴史と劇的に変化する現代都市の表情を伝える。

この2階建の建物は典型的な昔の中国の建物だそうだ。

前来た時はこの様な建物が汚らしく思えたが

今回は周囲の近代化が進み、逆にクラシカルで

味のある建物に見えるから不思議だ。

この一風目立つ建造物はいったい何の建物だろう。

よく見るとAPECと書かれている。

ひょっとして北京でエイペックが開催された時のモニュメントか?

とにかく目を引いた。

この旅のチェックポイントの1つは北京市内での

建設状況はどんなものか?だった。

以前行った時の上海がそうであった様に北京も建築ラッシュで

クレーンが街中林立しているイメージで来た。

しかし、この予想は見事に裏切られ、3日間の市内を走った中で

この様な建設現場は10件位しか無かったのではないか。

首都北京では近代化の街作りは一段落し

現在は出来上がった状態なのかもしれない。

これが北京の自動車ナンバー。

皆、頭に「京」の字が付いている。

 

 

 

 

 


ドブロブニク旧市街地観光 (クロアチアの旅 後編)

2019-10-02 10:22:11 | 旅 ~海外

ドブロブニクはクロアチア、アドリア海沿岸のダルマチア最南部に位置する都市で、

ボスニア・ヘルツェゴビナの唯一の漁港であるネウムが

回廊状態で分断しているため、

クロアチア本土とは飛び地に成っていて陸続きではない。

人口は42,615人(2011年時点)で1979年に世界遺産に登録されている。

ホテルから見た旧市街は時間の経過とともに刻々と表情を変えていき、

それはそれは美しい街並みである。

よくドブロブニクを「アドリア海の真珠」「世界の宝」と呼ばれるが、

決して大げさな表現ではないと実際に見て納得してしまった。

Lozicaとドブロブニクの間に2002年に完成した白い吊橋・ドブロヴニク橋。

横たわる入江に架けられた近代的な白い吊橋は

中世のままの佇まいの街並みの中で強烈なインパクトで目に飛び込んできた。

この日も大型客船が2隻着岸しており、この小さな町に大きな船体が

狭い入江の中に居る姿はなにか浮いた存在にも見えた。

この日も勿論早朝散歩に出発。

この町に繰り出さないでどこに行くんだ!という気持ちで

旧市街への下り坂一本道をGO!

これがホテル前の通り。早朝の為、人気が全く無い。

旧市街地の近く、隣は税関事務所のあった宮殿の跡。

このビーチは人気ビーチらしいが、ここも早朝の為、当然人一人居ない。

ここがその税関事務所の跡。

昔は美しい宮殿だったということだが、ちょっと見ても荒れている。

整備をしない理由が何かあるのか。

この建物は何に使われているのかわからないが、

どうやら住居系のレジデンスに見えた。

立派な建物なのでアップしてみた。

いよいよ旧市街に入ってきた。

城壁の向こうには聖ルカ要塞が見える。

ベンチの横には大砲が、そして隣のカフェテラスには

若いカップルが朝の時間を楽しむように語らいあっていた。

無人のプロチェ門から入城。

門を過ぎると多くの船が停泊している旧港とその先に聖イヴァン要塞が見える。

この塔はドミニコ会修道院の塔か?

塔の中に時を告げる鐘を打つ人が見えた。

旧市街内も段々人の気配がでてきた。

物資を搬出入するトロッコ風ミニトラックが目の前を走っていった。

車輌の紅白の市松模様がいかにもクロアチアっぽい。

さあー、これから旧市街地観光のスタート。

入城はメインゲートのピレ門から。

門の上のアーチの上にはドブロヴニクの守護聖人である

聖ヴラホの彫刻が人々を出迎えてくれる。

ピレ門をくぐるとすぐオノフリオの噴水にでる。

ここは12km離れた源泉から天然水を引き込んだもので

昔から人々の喉を潤す憩いの場として親しまれてきた。

今でもこの水は飲むことができる。

8世紀頃に築かれ、市街を取り囲んでいるこの城壁の上は

約2kmの遊歩道になっていて、約1~2時間程散歩しながら

街の屋根瓦やアドリア海を眺めることができる。

残念ながら時間の関係と旅の疲れから登ることができませんでした。

1337年に建造が始まり、15世紀に完成したフランシスコ会修道院。

入り口は質素な印象だが、中に入ると14世紀当時の姿を今なお残している。

特に美しいのが中庭で、そこを取り囲むルネッサンス様式と

ロマネスク様式の回廊が巡っている。

床はつるつるに磨かれた石灰石の廊下。

よく見ると柱の上部にはディズニーアニメの「101匹わんちゃん大行進」で

描かれたダルマチア犬(この地域ダルマチア地方産の犬)が彫られている。

又、内部には1391年創業というヨーロッパで3番目に古い薬局があり、

現在でもハーブを使用した自然派コスメが売られており、お土産にぴったりだ。

そして付属の博物館には修道院の宝物のほか、陶器の薬壷や処方箋、

薬学書なども展示されている。

ここを訪れた世界各国の有名人が国旗とともに掲示されている。

日本からは2002年、その当時の清子内親王のサインが。

ここはブラカとも呼ばれるメイン通りのブラツァ通り。

まるで中世にタイムスリップしたような通りで、

ジブリ映画「魔女の宅急便」のモデルになった町といわれている。

土産店、レストラン、カフェが建ち並び、

ショッピングやカフェ巡りで大変な賑わいだ。

かつてここで激しい内戦があったとはとても思えない程、修復されていた。

ドブロヴニクの路地も絵になる程美しい。

この路地はかなりの高低差があり、とても風情があった。

中世の街並みの中にお洒落なお店が並んでいた。

このお店はおとぎの国の様なキャンディー屋さん。

とても素敵な店だ。

沖合で難破した英国王リチャード獅子心王が助けられ、

お礼にこの大聖堂を建てたといわれる。

12~14世紀にロマネスク様式で改築されたが、

1667年の地震で倒壊してしまった。

その後イタリア人建築家らによってバロック様式で再建され、

1713年に現在の姿になった。

祭壇の奥にあるティツィアーノ作の「聖母被昇天」は必見。

この建物は聖ヴラホ教会だと思う。

似たような聖堂を見たのでわからなくなってしまった。

ここは旧総督邸。この日は日射しが強く、

日陰のテラスカフェはどこも満席だった。

旧港のおみやげ屋さんにぶら下がっていた沢山のお人形さんがかわいくて

思わずパチリ、パチリ。とてもいいでしょう!

ここは市場で大変な賑わい。特産品のはちみつも売っていた。

日本語の「はちみつ」の字を見つけて思わす、まいったです。

そして果物も豊富に売られていた。

ここは聖イグナチオ教会。

旧市街から登る坂はローマのスペイン坂によく似ていた。

もうこの辺ではフラフラ状態で意識が朦朧として鮮明に覚えていない状況だ。

さらに奥の城壁の方へ行くと人混みも少なくなってきた。

露店の土産屋さんも個人の手作りのものをオバサン達が

素朴に売っていてホッとする雰囲気だ。

この城壁をのんびり歩いていると町の起源の

古きローマ帝国時代に迷い込んだ気になる。

改めてドブロブニクの魅力にとりつかれてしまった。

 

 


ドブロブニク ロープウェイとボート観覧 (クロアチアの旅 後編)

2019-09-30 06:27:21 | 旅 ~海外

アドリア海の真珠と呼ばれているドブロヴニク。

この地を訪れたら絶対に見るべき絶景はここ

標高約412Mのスルジ山のロープウェイ山頂だ。

乗り場はピレ門から徒歩10~15分。

このロープウェイは通常、長蛇の列ができるが

始発にあわせて来たためすんなりと乗れた。

因みにこのロープウェイは1969年に開通した。

これがよくTV、雑誌などで紹介されている

ドブロヴニク旧市街の絶景。

この写真だけでコメントは野暮になるので差し控えましょう。

とにかく絶景です。

ドブロヴニク ロープウェイとボート観覧①

展望台が大混雑の為、あまり良く撮ることができませんでしたが

動画をアップしてみました。

山頂にあるスーベニアショップ。

そして華やかなドブロヴニク側とは逆に山頂の裏側では

悲惨な内戦の傷跡がいまだに生々しく残っている。

詳しくは後日、この事に絞ってコメントしてみたいと思います。

上りと下りの客でごったがえすロープウェイの乗り場付近の光景。

旧市街地の旧港から出航しているボートクルーズ。

ロクルム島を一周する約40分のコースに出航。

小さな貸切りの船の窓から見た要塞。

城壁の外は絶好の海水浴場になっている。

やはりここも白いテントが空間のワンポイントになっていて美しい。

オレンジ色の屋根が連なる街並みと紺碧に煌めく

アドリア海のコントラストはため息が出るほど美しい。

ドブロヴニク ロープウェイとボート観覧②

ヨーロッパでもっとも美しい街のひとつといわれているドブロヴニク。

「ドブロヴニクを見ずして天国を語るなかれ」という

言葉があるくらいだ。そのドブロヴニクの旧市街と

アドリア海の美しさをDVDでお楽しみください。

 

ドブロヴニクで大人気なアクティビティのカヌー体験。

この日も多くのカヌーが海に出ていた。

2枚目の写真はロクルム島の洞窟を巡るカヌー。

前回書き込んだビックリした事はこのロクルム島の一部が

ヌーディトビーチであったことだ。

この光景を見て感じたことは決していやらしい風景ではない。

太陽の下で解放感に浸っている健康的な情景であったということ。

沖合いには数隻の超豪華クルーズ船が停泊していた。

ガイドさん説明では外国の大富豪の個人の船だとか。

この山には印象的な糸杉が密集して群生していた。

山の崖の下に見えたプライベートビーチ。

ここのテントの色は白ではなくパープルだ。

ここは宿泊先のグランヴィア・アルゼンティーナのプライベートプール。

ホテルグランヴィア・アルゼンティーナの隣りにある

小さいが超ハイクオリティなホテル。

トルコブルーのドームの屋根が一段と目立つグリーンドームホテルだ。

ガイドさんの話によると一泊100万円もするとか。

最近ではレアルマドリーからユベントスへ移籍した

クリスティアーノ・ロナウドがバカンスで

泊まっていたとか。他にも一昔前の大女優

エリザベス・テーラー、ソフィア・ローレンなども

よく来たらしい。

鐘桜の西側にあるスポンザと呼ばれる税関(ディヴォナ)

のあった美しい宮殿の跡。

とても表現豊かなゴシック・ルネサンス様式で

建設されたドブロヴニクの特徴的建築物だ。

あっという間のクルーズも終わりいよいよ着岸です。


スプリット旧市街観光 (クロアチアの旅 後編)

2019-09-25 05:36:15 | 旅 ~海外

スプリットはクロアチア第2の都市で人口は17.8万人(2011年現在)。

都市圏で34.8万人。

アドリア海東海岸の小さな半島に位置し、

クロアチア南部ダルマチア群の最大の都市だ。

293年から305年ローマ帝国がディオクレティアヌス宮殿を

造営したのが都市の起源だ。

ローマ時代の遺跡、ディオクレティアヌス宮殿の内部に入るとそこは薄暗く、

ローマ帝国の面影を垣間見ることができる。

その内部の一部はお土産屋さんがひしのいていて、

一種独特の雰囲気を作り出している。

この宮殿を造ったディオクレティアヌスはこの地、ダルマティア属州の

生まれで284年から305年までローマ帝国の皇帝に在位していた。

彼はローマ帝国の安定化に努め「3世紀の危機」と呼ばれる

軍人帝国時代を収拾した皇帝だ。

スプリットのこの宮殿はもちろん世界遺産に登録されている。

このエリアは9000人以上も収容した地下の一部で

半円筒ヴォールトを見えた石造建築物だ。

正にここは古代の上に中世が乗っている遺跡となっている。

この部屋の中には1000年前のごみが溜まっている貴重な遺跡だ。

下の写真は天井に穴を開けて中世のごみを

古代の倉庫に落としこみ穴を塞いだ後のごみ。

ごみの処分を通じて歴史がつながっているすごいコーナーだ。

293年にディオクレティアヌス皇帝が神殿を建てたところ、

近くにあった重要都市サロナが異民族の侵入により放棄され、

市民が宮殿の周囲に移住してきたのが街の始まりと言われている。

この時代は日本では弥生時代の頃というから全くすごい歴史だ。

その後12世紀から14世紀には自治都市として繁栄し、

その後ヴェネツィアの支配下に入った。

この場所はイベントに使われている様で、仮設のステージが出来ていて、

すみずみに照明器具が設置してある。

こんな仮の設備でも古代の建造物が息を吹き通して

モダンな施設に見えてくるから不思議だ。

宮殿は北、東、西側のファサードからそれぞれ塔が

突き出ており、城壁に囲まれている。

北門は金の門、東門は銀の門、西門は鉄の門と呼ばれ、

南側のファサードのみで海に接し、無防備状態に成っている。

仮ステージの横とST.John院の所にあったスフィンクス。

約3500年前にエジプトから持ち込まれたもので

オリジナルスフィンクスが12個もあるらしい。

ステージ奥には円筒形状の部屋があり、

なぜか天井がぽっかり丸く穴があいていた。

この中で丁度男性3名のコーラスイベントが行われようとしていたが、

そこへブラジルの観光グループが来て、

ガイドさんがその場の空気を読まずに長々と観光ガイド説明が始まってしまい、

なかなかコーラスを始めることができなくなってしまった。

スプリット旧市街観光

そのコーラスを動画で撮ってみました。

ドームの中でそのソフトな歌声が響き、一瞬異空間の空気が流れ、

心地よい一時を過ごせた。

古い建物も中庭的な所から洗濯の干し物が目に入ってきた。

旧市街地ではあまり生活のにおいが無かっただけに

この光景は新鮮な印象を持った。

この度の1つのテーマは路地と以前も書いたが、

ここスプリット旧市街地でも狭い路地空間はとても目に止まった。

特に3枚目の石畳は古そうで、古代ローマ時代の香りがする。

ここは路地裏にあるスプリットの有名チョコレート店。

ガイドさんの紹介により、ここで皆買い物をしていた。

外国の人も後からドンドン入店してくる。

何の記録だかわからないが店頭にギネスの記録の表示が貼ってあった。

何門だったか忘れたが宮殿城壁の門。

ここには観光用だと思うがローマ時代のコスチュームを着た兵士が立っていた。

門を出た所には10世紀頃のゴレゴール神父の巨大な銅像が迫って立っていた。

足元に触れると願いが叶うということで足の指あたりが光っている。

他の街でも似た配色、デザインの女性用ロングドレスが売られていたが、

スプリットでも古い街並みにフィットしたドレスがディスプレイしてあった。

これは民族服かもしれない?

このエリアはガイドさんの説明によると古代遺跡を修復している所とか。

レンガと石の塀はまだ真新しく見えた。

修復されたのかもしれない。

いくつかの写真を見れがわかるかもしれないが、

この日もものすごく陽射しの強い日であった。

その為、木陰の所には観光客が集まってくる。

このブーゲンビリアの所もそうだ。

このショーウインドーのガラスにも日本語で書かれているが

ネクタイの発祥の地はクロアチア。

クロアチアが誇る最高級ネクタイブランド「Croata」がここで売られている。

 


トロギール旧市街地観光 (クロアチアの旅 前編)

2019-09-14 06:06:19 | 旅 ~海外

紀元前3世紀にできたギリシャ人植民都市がトロギールの街の始まりで、

11世紀には司教区ができ、自治権を持つ都市として繁栄した。

島ではあるが陸地とこの橋で繋がっており、周囲は城壁で囲まれている。

これがトロギールの地図で、現地ガイドさんに説明を受けている所。

ご覧の様に中世のままの旧市街は小さな島で、

1997年に世界遺産に登録されている。

ここが旧市街地の入り口となる北門。

この島は南北500メートル、東西1キロメートルで

約2時間もあれば一回りすることができる。

アドリア海から吹く風がとても心地よい。

トロギールの豊かな文化は古代ギリシャ、古代ローマ、

ヴェネツィア共和国の影響で生み出されたもので、

このすり減ったライムストーンの石畳にもなんとも言えない味があり、

長い長い歴史を感じさせる。

トロギールの最大の見どころはこの聖ロブロ大聖堂。

13世紀から15世紀にロマネスク=ゴシック様式で建てられた。

扉に彫られたアダムとイブの像は

クロアチアの宗教美術を代表する傑作だそうだ。

大聖堂の両側に軒を並べる石造りの建物からは歴史が伝わってくる。

観光の中心イヴァン。

バヴァオドゥルギ広場に建つ15世紀に建てられた時計塔。

右隣は15世紀以来の彫刻と柱頭装飾な柱で支えられたロッジア。

(中世の集会所、涼み廊下。)

現在は周りにはレストランのテラス席が張り出され、

一休みするのにちょうどよい空間となっている。

時計塔の左にある市庁舎。かつては宮殿であった。

その中庭にはヴェネチアン=ゴシック様式の階段や窓がある。

窓枠を埋めた石は昔、監獄で使っていた時代の名残り。

賑やかな広場から一歩中に入り込んだだけで

ひっそりとした空気が漂っていてタイムトリップ感満載だ。

クロアチアの海岸沿いの街はこの夏は暑い。

その為か、各街には評判のアイスクリーム屋さんが多い。

この店もガイドさんによると有名なアイスクリーム屋さんだそうだ。

17世紀に造られた城門(南門)を出るともうそこは港。

中世から急に現在のモダンな船を見ると時のギャップに戸惑ってしまう。

トロギールはクロアチアのスペリト=ダルマチア郡の港町で、

アドリア海に面し2300年に亘って続く

植民都市としての伝統で人々を魅了してきた。

ここは中欧でももっとも保存状態のよい

ロマネスク=ゴシック建築群がある所だ。

ヴェネチア統治時代の15世紀に造られたカメルレンゴ要塞。

この建造物はいくつもの教会を見てきたので

とてもインパクトの強い建物に思えた。

やはりここも狭い路地が長い人間の営みを訴えてくるものがある。

今回の旅のテーマの1つは「路地」だと思えてきた。

又、北門を出てトロギールの新市街の入口に青空市場がある。

ここにはクロアチア産のいろいろな名物・物産が安く売られていた。

1つはラベンダーの香り袋。

又、いろいろな花から採れた蜂蜜。

地産の果物、野菜、そして試飲ができるクロアチアワインなどだ。

その中でもサッカー所のクロアチアのユニホームも山のように売られていた。

やはり背番号10のモドリッチのものが目立つ。

ランチのレストランからトロギールの街へ行く途中の

エメラルドグリーンのアドリア海の風景。

これからもこんな風景が続いていくが、夢のような美しさに感動した。


シベニク旧市街地観光 (クロアチアの旅 前編)

2019-09-12 06:13:06 | 旅 ~海外

スロベニア・ブレッドの街からクロアチア・ザグレブ市に入り、

そこからずっと続いていたバルカン半島内陸部のバスの旅もいよいよ最終段階。

もうすぐ海岸エリアに近づいてきた。

ここまで来てわかったことはバルカン半島の山は

石灰岩でできていることが多い事。

その結果ポストナ鍾乳洞、プリトヴィッツェ湖群などの景勝地を生んできた。

これは自然の恵みの贈り物。

逆に生活上のマイナス面も多くあるのだろう。

いよいよ旅の工程も5日目にしてエメラルドグリーンのアドリア海が見えてきた。

これが最初に目にしたアドリア海。

海というよりは深く陸地に入り込んだ湾。

一歩間違えると湖のように見えてしまう。

これが到着したシベニク(Sibenik)の港と旧市街の風景。

陽気の方も山のリゾート地の涼しい気候から

地中海的な暑い夏の気候に変わってきた。

シベニクは要塞のある小さな漁村だったが、

クロアチア王・クレシミル4世によりシベニクと名付けられて以降、

アドリア海の貿易港として発展していった。

聖ヤコブ大聖堂の城壁と外の広場。

植物もヤシの木のような南国的樹木に変わり芝生の緑もずっと濃く感じる。

太陽の光も強く木陰がとても心地が良い。

海岸沿いの街路樹にネムの木並木があった。

2019-6-1付ブログ「ねむの木の庭」で紹介した花はこの花です。

美智子上皇后が愛していたネムの木の花を思い出して撮ってみました。

聖ヤコブ大聖堂の裏門の階段で1人ポツンと座っていた女性が絵になっていて

思わずシャッターを押してしまいました。

カトリックの聖ヤコブ大聖堂は2000年にユネスコの世界遺産に登録された。

レンガや木の補助を全く使わずに建てられた

石造建築の教会としては世界で一番大きい。

1991年9月、セルビア人部隊によりシベニク砲撃で

大規模に破壊されたが数年で修復された。

この大聖堂の建設計画は1298年からあったらしい。

1431年に工事が着手し、巨匠ジョルジョ・オルシーニの指導により

多くのベネチア人と地元職人たちが

ゴシック様式の教会を建立し、1555年に献堂した。

この建物の特徴はアーチ型ドームの天井で高度の技術力がいった。

又、柱のアーチ型も特色がある。

聖堂の隣には小部屋の洗礼台があり、現在でも使用されているそうだ。

洗礼とは新約聖書の福音書において、

洗礼者ヨハネがヨルダン川にて行っていた浄化儀式で、

頭部に水を注いだり(藻水)、頭部に水で水滴をつけたり(滴礼)、

身体を水に浸す(浸礼)やり方がある。

とにかくシベニクという街は古い。

まるで古代ローマの街に迷い込んだ錯覚に陥るほどだ。

ここはクロアチアの歴史的都市でアドリア海東岸では

クロアチア最古の街だ。人口は都市部で34,302人。

http://www.sibenik.hr/

街全体が真っ白い色調の中で赤とか黒がここはとても目立つ色だ。

又、街角のカフェで撮影会をしていたのが

生活感があって印象的な風景だった。

クロアチアはサッカーが盛んな国。

ロシアワールドカップで活躍し、準優勝に導き、

大会MVPゴールデンボールを受賞。

又、レアルマドリードで2018年クロアチア人初となる

バロンドールにも選ばれたルカ。

モドリッチ選手のユニフォームが売られていた。

モドリッチはクロアチアの英雄になった。

路地に敷かれた石畳はローマ時代のものがそのまま残っている。

それにしてもここは暑かったナー。

古いこの街は路地が多い。

又、この路地が味があって絵に成るんだナー。

この街の路地が街全体の風景を造り上げている。

今回の同行ベテランガイドさんのすごさを1つ紹介します。

この小さな穴は猫の水飲み場だそうですが、

ガイドさんからこの穴の説明を受けた後、

「もう1つこの先にもあるので見ていって下さい」と。

いくら幾度も来ているとは言え、

こんなささやかな事を良く知っているなと感心してしまった。

こんなケースの話が旅中に幾つもあった。

ここ聖アンナの城の洞穴はクロアチア人が実際に定住する前の長い間、

居住に利用されてきた所で歴史的に価値のある場所だそうだ。

この街には白いテント、庇がよく似合う。

年配の男性グループが井戸端会議(?)で

盛り上がっていたのがなんとも微笑ましかった。

思わずシャッターを押したくなったワンショット。

本当にこの街は絵になる。

古い街で珍しく建設現場に遭遇。しかも大型現場だ。

手前には鉄筋が散乱し、錆がひどい。

日本だったら配筋検査でアウトになるような鉄筋だ。

街角で見かけた電動チックスクーター。

他の街でも見かけてとても気に成っていた。

しかもこの少年が楽しそうに路地を乘り回していたのでパチリ。

日本ではあまり見ないですよネ。

城壁の外で見つけた地球儀のようなペットボトル用の大きなごみ箱。

見ようによっては前衛的な芸術作品にも見える。

クロアチアは環境問題にはなかなか厳しい国の様だ。