スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

ザグレブ新市街 (クロアチアの旅 前編)

2019-09-05 06:09:07 | 旅 ~海外

前回もアップしましたが、とても印象深い路面電車だったので又アップしました。

このモダンな車両はクロトラムと言ってザグレブ市内を昼間15系統、

夜間4系統運行している。1度乗ってみたかったナ!

これも又々アップした落書き。

丸みを帯びたアルファベットは日本でもよく見かける。

これは世界中の共通した落書きなのか?

早朝散歩で最初に目に付いたのがこの路上駐車。

縦に入れるのもあれば横のもある。

歴史ある古い建物の時代は車の駐車場の概念がなく

仕方なくこの方式になったのかも。

クロアチア国立劇場は最初1836年に旧市庁舎に建てられたが、

1895年に現在のローワータウンにあるクロアチア共和国広場に建てられ移転した。

この時オーストリアハンガリー皇帝のフランツヨーゼフ1世が

除幕式に出席したとの事。

この建物は有名なウィーンの建築家フェルディナンド・フェルナーと

ハーマン・ヘルマーの作品だ。

劇場の入り口に生命の泉の像がある。

ここは宿泊したホテルの近くにあり、徐々に朝日が劇場の壁に射してきて、

黄色味を帯び、美しさを増していった。

劇場の周辺は広々とした空間が拡がり、

この様に花が植えられ大変整備されている。

この劇場の前には詳しくはわからないがミュージアムらしき

威風堂々とした建物が建っていた。

外壁は国立劇場と同じイエロー系。

この2棟が相乗効果になって一つの空間を造り上げていた。

この建物の隣にはご覧の様な超モダンなビルが建っている。

周囲が中世のような建物群の中で際立った存在だ。

まるで古風な街に宇宙船が舞い降りてきた様な印象を持った。

この場所から眺めた宿泊先のウェスティンホテルが真ん中に見える。

このエリアは看板をよく見るとミュージアム、シアター、

ギャラリーなどが集中した場所で、文化的施設が固まってあるようだ。

この洒落た味のある建物はザグレブ大学の校舎。

設立は1669年で現存するクロアチアの大学としては最も古く、

中央ヨーロッパの中でも古い大学に属する。

この建物も重厚で素晴らしかったのでパチリ。

いくつかの垂れ幕を見るとミュージアムかもしれない。(ミラマ美術館)

やはり左側に宿泊先のウエスチンホテルが見える。


ザグレブ旧市街(クロアチアの旅  前編)

2019-09-04 06:06:18 | 旅 ~海外

クロアチアの首都ザグレブの旧市街のセンター地域に

飾られてある青銅製の市街地模型。

この模型を見ながらガイドさんから説明を受け観光がスタート。

ザグレブはカプトルとグラデツというふたつの集落が

この街の始まり。互いにライバル関係だったが

17~19世紀に統合してザグレブとなった。

ザグレブの名が現れたのは1094年頃。

旧市街地はゴシック様式とバロック様式の建物が多い。

全体的には中世の街並と

高層ビルが混然としている。

尚、ザグレブ市の人口は市街地で686,568人。

市域で792,895人。(2011年国勢調査)

ザグレブ都市圏としては1,110,517人の人口だ。

カプトル地区の丘に建つザグレブのシンボル的存在で

高さ105Mの尖塔が印象的な聖母被昇天教会。

元々はロマネスク様式の大聖堂であったが、

1242年のモンゴル来襲により破壊された。

その後、ゴシック様式で再建されるが1880年の地震で

損壊し、20世紀初頭にネオゴシック様式の

現在見られる姿となった。

内部はルネッサンス様式の祭壇や

バロック様式の説教壇などが残っている。

外壁、展示されてある尖塔の色の濃淡を見ても

その歴史の変動が見て取れる。

キリスト像の上に彫られたあまり見たことのない

不思議な文字。これはスラブ語圏で最古の

グラゴール文字らしく、キリル文字の原型となったそうだ。

主祭壇の奥には列福アロイジエ・ステピナツの石棺がある。

ステピナツ大司教は現代クロアチア史で

激動の時代を生きた聖職者だ。

カプトル広場には噴水と4体の黄金の天使に守られた

聖母マリア像をいただく塔が建っている。

これは広い広場の中でひと際目立ち、

全体の空間を引き締めている。

カプトル広場から青果市場の方へ緩やかな坂を

下っていくと遠く聖マルコ教会の塔が見える。

聖母被昇天教会の前で見かけた上品な色のクラシックカー。

とても目立ったのでパチリしてしまった。

かわいい車ですネー。

さらに青果市場のある広場を渡って白いテントが

張り出されたショップがある路地を下っていく。

路面は古いヨーロッパの街特有の敷石で

時代を感じさせる風情がある。

この坂を下り切ると色とりどりのかわいいカフェなど

賑やかなトカルチチェヴァ通りに出る。

ここで一軒の両替商で皆マネーイクスチェンジ。

ガイドさん曰く

「財布にお金の出し入れはなるべく見られない様に

気を付けて。外国人のひったくりが居るから。」

歩くのに疲れた私はここで見張り役を引き受けた。

この商店街の一角に立っていた等身大のマリア。

ユリッチ・ザゴルカ像。

残念ながらこの女性がどのような人だかわからない。

ガイドさんの説明で初めて知ったのが

クロアチアはネクタイ発祥の国。

これは意外な事。知らなかったナー。

これ以降、ネクタイのお店を幾軒も紹介された。

同行の人がこのネクタイを買って値段を聞いて驚いた。

数十万円もしたそうだ。

ザグレブの石の門教会のすぐそばにある

馬上の騎士が巨大な悪竜を退治したことで有名な

聖ゲオルギウスの像。

3世紀頃のローマ時代の殉教の聖人だそうだ。

これは恐ろしく古い時代の話だ。

ザグレブの起源となったこの街グラデツは中世の時代には

王国自由都市だった。

街は敵の侵入を防ぐ城壁で囲まれていたが、

この石の門は城壁の出入り口のひとつ。

当初は木造の門だったが18世紀に石で固められ

現在の姿になった。

1731年に大きな火災があり、木造部分は焼け落ちたが

焼け跡からイエスを抱えるマリア像が無傷で発見された。

そのマリア像を納めた礼拝堂は今でも篤く信仰されていると言う。

道路の一部には礼拝するテーブルがあり、

この日も敬虔な信者が祈っていた。

グラデツ(現ゴルニィ・グラード地区)の丘に建つ聖マルコ教会。

13世紀にゴシック様式で建てられ、18世紀に再建されて

現在の形となった。

1880年に造られたモザイクの屋根が特徴的で

3つの紋章がひとつになっているのが

クロアチア王国の紋章。

城が描かれているのがザグレブ市の紋章だ。

上が大統領官邸で下が国会議事堂。

昔の建物を使用している為か意外に簡素だ。

丘の頂上付近のこのあたりは政府の重要な建物などが集まっている。

塔があるから教会に見えるが、無ければ普通の建物の中にある

ギリシャ正教の教会。

ここにはエジソンを凌ぐといわれる

天才ニコラ・テスラのレリーフがあった。

交流発電機などを発明したクロアチアが生んだ巨人の一人だ。

ここで奇妙な車と遭遇。

車上にトランクがあるから観光客の車か?

4隅にクロアチアの国旗。

1本はお人形が持っている。

2匹のキツネの人形の間に2組のスキー板が。

とにかくこの車、目立ったナー。

アッパータウンから望むザグレブ市街の全景。

ここは丘の上で眺めがとても良かった。

因みにクロアチアの人口構成は

クロアチア人が92%、セルビア人が2.41%、

ボシュニャク人が0.8%、ムスリム系1.02%、

アルバニア人0.83%、スロベニア人0.14%、、モンテネグロ人0.27%

クロアチア人以外は少数だが、バルカンの国は多民族国家

だということがよくわかる。

同じくアッパータウンから見た聖母被昇天教会と聖マルコ教会。

スロベニアではあまり見なかった落書きが

クロアチアではひどく目立った。

この狭い通りはあえて行政側が落書きを認めた壁だとか。

高校生が多く書くらしいがモラルの差を感じてしまう。

カプトルとグラデツの丘の中間にある広場で

街のほぼ中心にある共和国広場。

クロアチアの国民的英雄の名前をとってイエラチッチ広場とも

呼ばれ、広場の中央には彼の像が立つ。

広場の周囲はカフェテリアやレストランが取り囲み、

ザグレブ市民の憩いの場となっている。

古い街並のザグレブ市内をモダンな路面電車が走っていて

市民の大事な足になっている。

 

 


リュブリャナ旧市街 その2(スロベニアの旅)

2019-08-14 07:10:21 | 旅 ~海外

 

後半はリュブリャニツァ川に架かる3本の有名な橋の1つ竜の橋からスタート。

竜はリュブリャナのシンボルである。

1901年 開橋、祝賀橋と命名されたが4頭の竜の彫刻によって

装飾されていることから竜の橋と呼ばれるようになった。

因みにこの橋はリュブリャナ初の鉄筋コンクリートの橋。

竜の橋のたもとにものすごく目立った存在感のある

カッコイイバイクを発見。こんなすごいバイクは初めて見た。

よく見るとHONDA製、ナンバープレートを見るとフランスから来たようだ。

リュブリャナ城へ登るケーブルカーの乗り場の前に

操り人形(マリオネット)を公演しているとても美しい劇場がある。

駐車場にはマリオネットの写真が描かれた車が置いてあった。

いよいよこれから小高い山の頂に建っている

リュブリャナ城へ向かってケーブルカー(フニクラーレという名)に乗る。

ご覧の様に全面ガラス張りのリフトといった造りだ。

リュブリャナ城は市街を見下す山の上に建っていて

街のランドマークになっている。

この城は1144年に建設された歴史のあるお城。

1335年からはハプスブルク家に継承され、

一時は刑務所としても利用された時期もあった。

現在は1階に人気のカフェ、2階にはウエディングホール

又展望塔、バーチャルミュージアムなどもある。

塔内にある教会。天井には鮮やかなフレスコ画が。

そして壁にハプスブルク家のマリアテレジアの紋章も描かれている。

小さな教会だが素晴しい空間だ。

これがお城の模型図。

左下2本線がケーブルカー。

ブロンズ製の模型はなかなか味がある。

それにしてもこの日の城は真夏の日差しが照りつけて

サングラスをしなければ目が開けられない程の晴天だった。

城の展望台から見たリュブリャナの市街地風景。

旧市街地の屋根はオレンジ色の瓦で統一され、景観的に美しい。

遠くにはスイスやイタリアのアルプスから続く

ユリアン・アルプス2000m級の山々が見え、まさに絶景だ。

前述したケーブルカー(フニクラーレ)のアップ写真。

全面ガラス箱で、人の姿からコンパクトなケーブルカー

だということがわかると思う。

市庁舎前の広場に立つミニオベリスクの様な石柱塔。

どんな意味の塔なのかはわからない。

あまり大きくないが立派な市庁舎の建物。

中に入ると中庭があり、柱とアーチ状の壁を見ると

イスラムの影響を受けた感じがする。

市庁舎の奥の角にはギリシャ神話に登場する美少年

ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたという

エピソードをモチーフとした像がある。

この神話からナルシズム、ナルシストという言葉が生まれた。

因みにナルシストとは自己愛、自己陶酔、

うぬぼれといった意味で使われる。

ここはリュブリャナで有名なチョコレート屋だそうだ。

色々試食をしてみたが、ここの売りは塩チョコ。

甘いチョコレートがしょっぱい複雑な味でけっこういけた。

旧市街地の真ん中に堂々と停車していたチューチュートレイン。

まだ真新しく、ユニークなバス(?)だ。

デザインもお洒落で中世の街に未来が飛び込んできた様だ。

片やこちらは電気自動車か?

こちらもグリーンで環境を考えた輸送手段なのでは。

又、中心部の三本橋エリアに戻ってきた。

リュブリャニツァ川を走る遊覧船と三本橋とは

対照的な近代的ブリッジ(木製とガラスでできた)のコントラストが

うまく撮れた一枚になった。

古い街並と三本橋の中をゆったりと走る遊覧船は

この町にとっても似合っている。

やはりこの船もグリーンを採用していた。

この川の両川沿いにズラリ出店している露天商。

小物のおみあげを取り扱っていて、

観光都市の風情を作り上げている。

ガイドさん曰く、この通りは典型的なユーゴ時代の通りだと。

ちょっと近代的だがもう古くさい通りに成っている感じ。

このビルはユーゴ時代、ユーゴスラビアで一番の高層ビルだったそうだ。

その時代、全国からこのビルを見に大勢の

人が来たというから、時代は変わってしまうものだ。


リュブリャナ旧市街 その1(スロベニアの旅)

2019-08-10 06:27:24 | 旅 ~海外

スロベニア共和国の首都はリュブリャナ。人口が33万人。

ドイツ語ではライバッハと呼ばれ、ハプスブルク家の

支配時代が約500年の長きに渡って続いた。

赤レンガ屋根の家々が並び、緑にあふれる町は

落ち着いたたたずまいを見せている。

いよいよリュブリャナの古い市街地に入ってきた。

建物も一つ一つ風情があって味がある。

スロベニアの歴史を簡単に記すと6世紀末、

スラヴ人(スロベニア人)がここに定住を開始。

アヴァール王国等、異民族による支配が続いた。

1282年、ハプスブルグ家の所領となり、

以後1918年までハプスブルク帝国の領となった。

1945年ユーゴ構成共和国の1つとして発足。

1991年独立と主権を宣言。

1992年EU各国等が国家を承認した。

市内で最髙級のホテル、グランドホテル・ユニオン。

国家元首などが宿泊するホテルで、

クリントンアメリカ大統領も泊まったとの事。

このホテルの近くに建っていた派手な模様の派手な色のビル。

柄はイスラムかアフリカンの流れをくんだような目立つビルだ。

この建物も素敵な建物でちょっと控えめな印象だが存在感があった。

特に軒天のファザードは素晴らしい。

この街の中心部、三本橋近くのプレシューノレフ広場周辺には

次々と素晴らしい建物が並んで建っている。

下の写真はアールヌーボの影響を受けているデパートだとか。

リュブリャナの中心広場、

プレシェーレン広場にあるフランシスコ会教会。

イタリアの影響を強く受けたルネッサンス建築の教会だ。

ピンクの外観が目立つ可愛らしい外観だが、

内部は落ち着いた色合いのクラシックな造りだ。

又、この広場に堂々とした銅像があったが誰の像だかはわからない。

銅像の頭の背後に居る像が何を意味しているかが気にかかる。

プレシェーレン広場の南側に流れるリュブリャニツァ川に架かる

「三本橋(トロモストウィエ)」は市内で最も有名な橋といわれている。

この三本の橋は並列ではなく、

市内のほぼ中心から放射線状に広がっているのが特徴。

1930年代に街の景観を創造したといわれる

スロベニアの建築家ヨジェ・プレチニックによる設計だ。

三本橋を渡り、川沿いに歩いていくととても雰囲気のある

等間隔に立てられ柱の回廊のような所に出る。

ここにはアイスクリーム屋などの屋台が並んでいていい感じだ。

そういえば気のせいかこの旅先ではなぜかいつも

おいしいアイスクリーム屋の話が出てくる。

鮮やかなブルーのドームと2つの塔が印象的な

聖ニコラス大聖堂(リュブリャナ大聖堂)。

スロベニアにキリスト教が布教されたことを記念して1708年に完成した。

1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家

アンドレア・ポッツォによって建てられ、

内装はイタリアのフレスコ画家ジュリオ・クアーリョにより

描かれており、豪華で美しい光景が広がっている。

現スロベニアドアという名前のフロントドアは、

1996年からスロベニアの領土でキリスト教の1250年代の記念日と

教皇ヨハネパウロ2世の訪問で作られた。

因みにパウロ2世はポーランド出身で教皇を27年間務めた。

リュブリャニツァ川に架かる肉屋の橋。

有名な三本橋と竜の橋の間にある。

この橋はごく最近になってから観光用に造られたような歩行者専用の橋。

両脇がガラス張りになっていたり、

初めから愛の南京錠を取り付けるためのワイヤーが張ってある。

現代アートのオブジェもあれこれ置いてあってとても個性的な橋だ。

 


ブレッド城(スロベニアの旅)

2019-08-08 06:19:38 | 旅 ~海外

ホテルに到着した夕方、刻々と表情を変えていくブレッド城を

ホテルのテラスから撮った。

まだ明るいうちのブレッド城、

ブレッド湖の岩山の上に建っていて存在感のあること。

30分後の夕日に映える黄昏のブレッド城。

まるで物語に出てくるような雄姿だ。

そしてまだライトアップされた早朝のブレッド城。

岩山は青白く、城はピンク色にライトアップされ、

それは幻想的な光景で感動しました。

翌日、ブレッド湖の手漕ぎボートから撮ったブレッド城。

後にはユリアアルプスが控え、アルプスの瞳、

真珠と言われるのが素直に納得できる風景だ。

ブレッド城は、スロベニア最古の城の一つで、

最古の文献は1011年5月22日に書かれたもので、

ドイツ王ヘンリック2世がブリクセン司祭アデルベロンに

城を譲渡した時のものと記されている。

 

城内にはグーテンベルクの活版印刷機が再現された部屋がある。

活版印刷は1445年頃に

ドイツのヨハネス・グーテンベルク(1398~1468年)によって

発明されたと言われている。

活版印刷技術は羅針盤、火薬とともにルネサンス

3大発明の1つとしてあげられ

ルネサンス、宗教改革、啓豪時代、科学革命の発展に寄与した。

ここの活版印刷では有料だが印刷機を使って自分の名前と

日付を入れた記念のカードを作ることができる。

城内の建物はそれぞれの中庭を中心に2階構造になっている。

上下階ともに、回廊と防衛塔がある

ロマネスク時代の城壁に囲まれている。

下階には印刷所、プリモジュ・トゥルバル記念室、

ギャラリー「ストルプ」、ハニーショップ、カフェが、

上階には礼拝堂、博物館、レストラン、鍛治工房があり、

下階、上階、の間にはワインセラーまである。

城内の展望テラスからはブレッド湖の全景、ブレッド島と聖マリア教会、

そしてゴレンスカ地方とカラバンケアルプス、

ユリアンアルプスの素晴らしい絶景眺望が広がっている。

展望テラスからこの景色が目に飛び込んできた瞬間、

皆「ワウォー」という感嘆の声が上がった。

イケメンの鍛治職人さんとコインのポスターと

なぜか色々な所で見たドラゴン。

職人さんの腰に巻いた道具を見ると職人さんというよりは

マイスターという言葉がよく似合う。

城内で最も重要な建造物である16世紀に建設された礼拝堂。

堂内は全体的にパステル調のロマンチックでかわいらしい教会だ。

壁にはフレスコ画が描かれ、よーく見渡してみたら

小さくキリストらしき顔が描かれていた。

こちらは青銅時代から今日までのブレッド近郊の

歴史を示す展示物がある博物館。

アンモナイトの化石があるのを見ると大昔、太古の時代

ここは海の底だったことがわかる。

又、7000年前の鹿の骨も展示されてあった。

展示室の一角に監視カメラのモニターが。

全体的に中世の時代の雰囲気の中でここだけが

現代の設備があってそのギャップの差に

思わずシャッターを押してしまった。

スロベニアの盛んな産業の1つに養蜂業がある。

自然を大事にしている緑の国スロベニアだけにすぐ納得してしまう産業だ。

当然おみやげの代表的な物の1つに蜂蜜がある。

実に沢山の種類(アカシア、栗の木、菩提樹、ソバの花etc)の

蜂蜜がこのハニーショップで売られていた。

蜂蜜の試食、テイスティングは初めてだ。

スロベニアは世界でも有名なはちみつ大国だった。

この写真の左上に宿泊したホテルと

早朝散歩でアップした建物、街並みが広がっている。


ブレッド湖散策(スロベニアの旅)

2019-08-06 06:10:55 | 旅 ~海外

ブレッド湖はスロベニア北西部ユリアン・アルプスがある

ゴレンスカ地方にある氷河湖で、ブレッドに隣接する

この地域一帯は温暖な気候の為、ヨーロッパ中の貴族が

訪れていた所でアルプスの瞳、アルプスの真珠と言われている。

長さ2,120m、幅1,380m、深い箇所で30.6m

湖にはブレッド島が浮かび、スロベニアでは唯一の自然の島である。

エメラルドグリーンの湖面と緑豊かなブレッド島へ行くには

pletanaと呼ばれる手漕ぎボートに乗っていく。

これは油を使うエンジン付きは湖の環境を壊す為

ここでは使用できないとの事。

このボートにはそれぞれ名前が付けられていて

漕ぎ手の妻や母の名前を付ける人が多いらしい。

この伝統的手漕ぎボート、プレトナボートは1590年頃から

聖マリア教会へ巡礼に訪れる人々を運び続けてきたと言われている。

平べったい底が特徴的な木製のボートで、

たったひとりの船頭さんが2本のオールを漕いで進める。

船頭さんのこの仕事はブレッドでも限られた人々にのみ

(23世帯の男子のみ)就くことが許されており、

お父さんから息子さんへと代々大切に受け継がれてきた。

まるでおとぎ話の世界からそっくり抜け出してきたような

ブレッド島の聖マリア教会が段々近づいてきた。

湖畔に静かに佇む立派な建物。

これはユーゴスラビアの大統領だったチトー氏の別荘だった。

チトー元大統領はこのブレッドをこよなく愛していたらしい。

尚この別荘には昭和天皇も来訪されたとか。

のんびりと湖を行き交う2隻のプレトナボート。

ここは本当に時間がゆっくりと流れ、癒される。

又、この湖はボート競技に条件が良い場所で過去4回

世界ボート選手権が開催された。

湖北岸、約130mの切り立った崖の上に建つ中世のブレッド城。

スロベニア最古の城のひとつで11世紀初頭に建てられたと記されている。

詳細は後日アップいたします。

ブレッド島に到着。

聖マリア教会には98段の階段を登っていく。

階段を一段一段進む度にまた異なる美しい表情を

見せてくれる湖に思わず足を止めて見惚れてしまう。

聖マリア教会入口の手前の中庭に立っていた石造のマリア像。

顔のまわりが黄ばんでいて何かを語りかけているようにも見える。

ブレッド島に建つ、街のシンボル的存在でもある聖マリア教会。

島に教会が建てられたのは8~9世紀頃に遡るとされるが、

17世紀になり現在の52mの白い巨塔が印象的な

バロック様式の教会へと改装された。

島と教会を空から撮ったポスター。

この島は写真では髙ければ髙い程、その美しさが際立ってくるようだ。

教会内部の写真。

祭壇の中央には聖母マリア像が、その両脇には11世紀に

実在したブレッド領主のヘンリック2世と

彼の妻のクニグンダの像が安置されている。

又、教会を訪れる最大の目的は鳴らすと願いが叶うと伝説を持つ鐘。

天井から長いロープが垂れ下がっているので

しっかり3回鳴らすことは結構難しい。

湖畔をじっと眺めながら愛を語っているカップル…のように見える2人。

ここでは定期的に結婚式が行われているとか。

その時は98段の階段を新郎が新婦をお姫様だっこをして登るらしい。

この夢のような島にも当然現実があり、働いている人がいる。

トラクターで作業していた男性を見ると

何か違ったインパクトを感じてしまった。

このブレッド湖を含めて今回の旅で見た湖、池、海は皆、

夢の世界のようなエメラルドグリーン色が多かった。

このバルカン半島は石炭岩でできている所が多いため

水に溶けて太陽光に反射してこの色になるらしい。

そして小魚がいっぱい泳いでいたのも目についた。

このおとぎの島ともお別れ、

また同じ船頭さんの船に乗って島を出航。

全く波がない湖面をじっと見ながら余韻に浸る心地よさ。

一時、天国の近くへ行けた様な気持ちに成った。

チトー元大統領別荘前に着岸。

そこから一般に開放されている広々とした散歩道を歩く。

その途中、ブレッド城と睡蓮、カルガモ一家、

そして自転車を楽しむファミリーと出会いながら次の地へ。

朗らかで気さくな人々の笑顔と美しい景観との出会いに感謝の

ブレッド湖散策でありました。


ブレッドの街とホテルKOMPAS(コンパス) (スロベニアの旅)

2019-08-05 06:12:56 | 旅 ~海外

歴史と共に歩んだ鮮やかで美しい街。

中世ヨーロッパの気配が満ちる歴史の宝石箱のような

スロベニア・クロアチアの旅に行って来ました。

この2ヶ国は旧ユーゴスラビアでつい最近、悲惨な内戦を経験した。

空港の出口にはスロベニア語で「ようこそ」と書かれ、

そこには日本語は無く中国語はあった。

これが海外旅行の現実かもしれない。

スロベニア共和国の首都・リュブリャナにあるリュブリャナ空港。

アドリア航空の本拠地で政治家を記念して

リュブリャナ・ヨジェ・プチニク空港とも称する。

ここは小さな空港でのどかな麦畑、トウモロコシ畑の中にある。

ここでほとんど知られていないスロベニア共和国について記してみます。

国土は四国とほぼ同じで東欧最少国だ。

人口は199万人、スロベニア人88%、クロアチア人2.7%、

セルビア人2.5%、その他ハンガリー人などの構成だ。

言語はスロベニア語で宗教はカトリック。

ユーロに加盟しているので通貨はユーロが使える。

この国は自然がいっぱいで別名「緑の国」と言われている。

国旗は白・青・赤の横三色旗、さお側の上部に3つの星と

3つの頂を持つ山からなる盾型の紋章が入る。

2泊したホテルはこれでも4ツ星スーペリアクラスの「ホテルKOMPAS」。

ヨーロッパでは一般的にバスタブにお湯をためて

お風呂に入るという習慣がない為シャワーのみ。

ここブレッド(BLED)はスロベニアを代表する観光地で

かつてハプスブルク家のリゾート地だった

ブレッド湖の近くにホテルはある。

ベランダにはいかにもアルプスの山小屋風の花壇が植えられてあり、

リゾート感を醸し出している。

宿泊したHOTEL KOMPASの

ビュッフェスタイルのブレックファースト。

これといった特色がない一般的なものだが、味の方も普通のレベル。

サラダの種類は少なく、ドレッシングがない。

だいたいこの種の朝食はあまり旨いと思ったことはない。

最後の太いサラミもどきはこのホテルのオリジナルか。

これがこの日の朝食全部。

これだけ見てはどこの国の料理なのかわからないですよね。

ここが朝食のレストラン会場。まあまあの雰囲気かな。

仕切り枠の向こうで朝食をとっていた

中年と若い男性のワンショット。

一幅の絵のようでなんとなくポエムを感じる。

ホテルのテラスから見た夕方の湖と山の山頂にあるブレッド城。

それをじっと見ている男性。

レストランの屋外テラスでは外国の観光客(?)が談笑している光景。

これを見るとここはリゾート地だなーと感じる。

ブレッド城の袂にあるライトアップされた教会。

聖母被昇天教会というらしいが、良い感じでとても目立った。

スロベニアは治安が良いということで習慣の早朝散歩に出てみた。

この時間は午前5時。

このショッピング街は宿泊ホテルの目の前。

なかなか凝ったレイアウトで昼間は

スーパーマーケットもあり賑わいの場所らしい。

早朝なのにここだけは店内も光がついていた。

ここはブレッド湖湖畔のパブ。

リゾート地の為、早朝は全く人気がなく、不気味なくらいだった。

ブレッドという小さな町でカジノを発見。

ここだけはネオンが光輝いていたが、やはり人気がない。

閑静なブレッド市街地にあるホテル、中華レストランなど

風情のある、いかにもヨーロッパ的な建物。

ここはとてもメルヘンチックな街だ。

片や市街地から一歩入った住宅街で見かけた

さらにメルヘンチックな住宅。

午前6時頃に成ってきて空も明るくなってきた。

この街はおとぎの国の様な建物が続き、

とても素敵な街だということが歩いてみて実感した。

最後にスロベニアという国は想像以上に環境問題に

気を配っている国だということを感じた。

このゴミの分別も住宅街の中でしっかり3種に分けている。

しかもこのゴミ箱が木製のお洒落なもので感心した。

 

 


統一会堂

2018-12-12 06:45:27 | 旅 ~海外

この宮殿の建設は植民下に置いていたフランスによって

1868年に始められ1873年に完成した。

しかし、1962年のクーデターの際に戦闘機による爆撃を受け

大破し取り壊されてしまった。ということで現在の建物は2代目。

この建物は数奇な運命を経ている。政情が不安定だった時代に

建物の呼び名が度々変遷した歴史を持つ。1873年から1955年の

呼称は「ノロドン宮殿」1955年から1975年の間は「独立宮殿」

そして1975年から現在まで「統一会堂」として事実上の博物館になっている。

建物は地上3階地下1階の4階建てで、屋上も開放されている。

ここは宴会場ということもあり全体的に豪華な造りに成っている。

ここは内閣会議室で30個以上の椅子があり、

大人数で会議していたのが想像できる。

会議室という名の宴会場。500人という大人数で立食パーティを

行なったこともある。立派な屏風があり、赤色で統一されている。

ホーチミンの胸像もデンとしてある。普段は見学できるようになっているが

重要な国際会議などがあると現在でも公式に使われている。

2階にある国家安全会議室。壁には南ベトナムの各地域の

地図が張り出され、テーブルには色分けされた電話機が置かれていた。

電話機はダイヤル式でその時代の空気が伝わってくる。

この部屋はなんとも生々しいものを感じた。

この部屋は大統領執務室。その当時の写真も掲載されてあり、

後の絵もそのままで保存されてある。その当時の大統領は

グエンバンチュー。その後チャンバンフォン、ズオンバンミンと続いた。

大統領レセプションルーム。写真を見ると絨毯もその当時のままだ。

副大統領のレセプションサロン。写真の真ん中の人が

グエン カ オキ副大統領。彼は空軍の軍人上がりだ。

館内の随所には警備員が配置されていたが、のんびりした雰囲気で立っていた。

各国大使の認証書伝達会議室。

敷地内に2台のソ連製T-54戦車が展示してある。

1975年4月30日に解放軍が戦車でフェンスを破った殊は

世界で放送され、無血入城として知られている。

事実上のベトナム戦争終結であり、一つの国家が終焉を迎えてた瞬間であった。

2階の真ん中吹き抜けにある中庭と大統領私邸のダイニングルームとベットルーム。

この建物は1966年に再建され、ベトナム戦争終結までは

ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府及び官邸として使用された。

ホーチミンで最も美しい建物のひとつと言われている。


ビンズン新都市開発

2018-12-10 05:48:21 | 旅 ~海外

現在、ビンズン省において、ベトナム最大級となる街づくりが

日本の東急グループとベトナム地元企業BECAMEX IDC CORPORATION

(2012年3月設立)との合弁会社BECAMEX TOKYUで進められている。

約1000haの土地に人口12万5000人の住む街。

そして40万人の働く人のニューシティという遠大なプロジェクトだ。

因みにBECAMEX IDC CORPは1976年に設立された

ビンズン省の都市開発分野における先駆者の会社だ。

東急グループは「美しい時代へ」をスローガンに人々の多数な

価値観に対応した「美しい生活環境の創造」を

グループ理念にしている。東京急行電鉄(東急)は国内の

「東急多摩田園都市」といった街づくりのノウハウや東急グループとしての

ネットワークを活用することにより、日本企業としては

日本初の街づくりパッケージの輸出をしようとしている。

その様な背景で日本国旗とベトナム国旗が並んで立っているのを見ると

日本人として大変誇らしい。

前述のビンズン新都市の全体像を表す模型の見学や

Becamex Tokyu の事業内容を知ることができる

ベカメックス東急セールスギャラリーの建物。

中にはサービスオフィスもある。

ベガメックス東急によるビンズン省初の高層アパートメント。

「SORA ガーデン」。日本式のサービスをおもてなしの心で提供している。

このビルの中にはコンビニ(ファミリーマート)レストラン、

マッサージ、クリーニング店、銀行からオフィスまで

複合施設になっている。他にもプール、ジム、ゲストルーム

(サービスアパートメント)まで備わっている。

まだ開発が始まったばかりでひと気が無くなんとなく無味乾燥な

街にベトナム名物の三角の菅笠をかぶった女性が黙々と

草取りをしている姿を見るとホットする。

ビンズン新都市のランドマーク、ベトナムにおいても有数な行政センターの

ビンズン省庁舎。2014年2月にここに移転してきた。

最も近代的な建物でシンガポールのマリーナベイに似た外観だ。

 この巨大な建物の周りにはまだあまり建物が無く現在はものすごく存在感がある。

ご覧の様に行政センターの前庭は広大な広さで何もない。

ただ1つ巨大なベトナム国旗があるのみでホーチミンとは別の国の様だ。

緑と住むガーデンタウンハウスの「MIDORI  PARK」。

広大なランドスケープの中に小川が流れ、花々が咲き誇る

ベトナムで全く違う空間だ。セールスギャラリーにはモデルルームがあった。

このタイプは61.01㎡(18.49坪)で日本のマンションと

ほとんど変わらないグレードだ。

新都市の中心には快適でモダンなホテル(ベカメックスホテル)が既に開業していた。

因みにこの新都市には外国人が70%住むだろうと予測されているとか。

ビンズン新都市の中には250社程の工業団地もできるとか。

既に日系企業の東京ロープが進出していた。

まだ新都市全体はこの様に道路などのインフラ整備が終わったばかりの状態で

この様な風景がどこまでも続いていた。


ホーチミンの街

2018-12-07 06:48:12 | 旅 ~海外

ホーチミン市と日本とは時差が2時間ある。現地時間夜9:00頃タンソンニャット

国際空港に到着。ここはホーチミン市街中心部より

北西約8㎞の位置にある。当空港の沿革は1930年代初期、

フランス植民地政府によってタンソンニャット村に飛行場が

創設されたことから始まる。国際線の新ターミナルは

日本政府のODAにより2007年に建設された。

現在年間800万から1000万人の旅客に対応している。

夜のサイゴン・オペラハウス。ホーチミン市民劇場とも言う。

ベトナムのフレンチ・コロニアル様式の建築物の1つで

フランス人建築家ウジェーヌ・フェレにより

1897年に建設された。1956年以降は南ベトナム共和国

下院議会の議場として使用されたが1975年以後は再び劇場となった。

ホテルの部屋から見た、そして早朝と夜のグエンフェ通り。

この大通りは人民委員会庁舎からサイゴン川まで約1㎞あり

ホーチミン髄一のショッピングストリート、ドンコイ通りと

並走している。又この通りのエリアは金融商業地区の中心で

銀行、デパート、土産物店などが建ち並び、2015年から

通りの中央は歩行者天国となった。その結果、ご覧の通り

夜は若者のたまり場になり、ストリートミュージシャン、

大道芸、屋台、行商が出て大変な賑わいと成っている。

レタントン通りから中に入ったエリアが日本人街(リトルトーキョー)と

言われている日系レストランショップが多いエリアだ。

ご覧の様に迷路の様な路地が続き、

タクシーは通れない様な細い道が続く。

夜になると一大歓楽街になり、ネオンが瞬きまるでミニ新宿の様だ。

ホテルの部屋から見たホーチミンの中心街。最近経済発展が

目覚ましく、高層ビルがドンドン建っていく。

1枚目、3枚目写真の超高層ビルがホーチミンのランドマーク81(Landmark81)

高さ350Mでハノイのランドマーク72を抜いてベトナム

最高層のビルとなった。2017年末に完成。

サイゴン川はカンボジアに端を発してホーチミン市内を大きく蛇行し

同市内7区付近でドンナイ川と合流してニャーベー川となり

南シナ海に流れ込む。ホーチミン市にとって水道の拠点として

又、水の供給源としても重要な川となっている。

サイゴン川沿いのメリン広場の中央に建っているチャン・フン・ダオ像(陸興道像)。

氏はモンゴル軍がベトナムに攻めて来た時に迎え撃った英雄だ。

交通量(バイク)が半端ではないロータリーの真ん中に立っている。

ベトナムに来て(特にホーチミン市)最初にそして一番ビックリするのが

バイクの数の多さだ。初めて来た13年前に比べると

かなり減ったとはいえ、道路を横断するのが怖い程

(実際は恐ろしくてできなかった。)途切れなく走っている。

横断をするコツはゆっくり歩くことだと言っていたが

この相手次第の考えにはついていけない。

ガイドさんの話では、夜間バイク量が多いのは目的もなく

ドライブをする習慣があるからとか(ホーチミンは暑い為)。

そして空気が悪い為、多くのドライバーがマスクをしている。

ショップにはこの様な絵の描かれたマスクが売っていた。

昔のバイクには3人~4人乗っているバイクが当たり前だったが

今回は3人乗りは少なくなっていた。(4人乗りはいなかった)。

2010年に完成したビテクスコ・フィナンシャルタワー。

高さは265.5M、地上68階地下3階。施工者は韓国の現代建設。

このビルにはオフィスや会議室、商業施設、展望台

ヘリポートなどが置かれている。ご覧の様に意匠的に

とても目立つビルだが、このビルは危ないという噂が立っている。

鹿島の人も、ここにはなるべく行かない方が良いと冗談半分で言っていた。

入口の所に大勢の女性が集まって何かパフォーマンスをしているところを

メディア(?)が取材していたので、珍しい光景に

思わずパチリしてしまった。

タワー最上階展望台。柱もアールになっていて凝っている。

世界のICONIE(象徴的)ビル ベスト20の第5位に

当ビルはランキングされている。因みに第1位はエンパイアステイトビルディング

(ニューヨーク)、第2位は中国中央電視台(北京)

第3位はCOMMERZBANK本店ビル(フランクフルト)

そして第10位に東京モード学園コクーンタワー(東京新宿)が入っている。

このタワーはハスのつぼみ(ハスの開花)をイメージデザインしているとか。

グエンフェ通りの向かい側、グリーンのガラスの高層ビルが

宿泊したザ・レヴェリー・サイゴン(後日詳細をアップします。)

建築ラッシュのホーチミン市内にはご覧の様な建設ストップした

現場がいくつかあった。こんな大きなビルで一体何があったのだろう?

この仕事に携わっている人間としてはとても気に成る。

金銭のトラブルか、法的、技術的な問題なのか。

1941年に設立された歴史的市場のベンタイ市場。

第2次世界大戦時に大きな被害を受けた。

売場には生鮮品、食品、衣類、服飾品など人々の生活が

ぎっしり詰まっている。ここは日本人と分かるとボッタクリを試みる人達が多いと言う。

ベトナムにはまだ地下鉄がない。バイクが多いのも、公共交通機関が

貧弱だからと言われている。バイクや自動車による

大気汚染と交通渋滞が社会問題化している中

1号線、2号線は2020年に完成予定だそうだ。

当工事はJICA(ジャイカ)の協力の下

ODAでベトナム国営ゼネコンと住友商事などの日本企業が

共同事業体を組み発注している。この工区は清水建設・前田建設工業JVの

現場で、日の丸が掲示されているのが誇らしい。

小さなビル住宅の屋上には高架水槽が目に入り、気に成ったのでパチリ。

 

昼間の人民委員会庁舎。通称ホーチミン市庁舎。サイゴン市庁舎とも

言われている。1902年から1908年にかけて

当時のサイゴン市庁舎としてフレンチコロニアル様式で建設された。

1975年から今の名称だ。内部は一般公開されていないが

特にライトアップされた建物はとても美しい。

ホーチミン市1区にあるカトリック大司教座大聖堂のサイゴン大教会。

聖マリア大聖堂とも呼ばれる。サイゴンがフランス植民地だった

1863年から1880年にかけて建設されたネオ・ゴシック様式の教会。

ベトナムはカトリック教徒も多い。

この建物はサイゴン中央郵便局。1886年に建設が開始され

1891年に当時のフランス領インドシナの郵便、電信施設として完成した。

鉄骨設計はギュスターブ・エッフェルが手掛けた。

パリのオルセー美術館(当時駅舎)をモデルにしたと言われている。

現在でも通常の郵便・通信業務を行っている。

ベトナムの紙幣50万ドン。現在1円が205ドンだから

このお札は2500円程でベトナムの貨幣単位に馴染むのに

多少時間がかかった。紙幣は1000ドン(5円)~50万ドンまで

9種類あり、ポリマー紙幣になっている。ドンとは漢字の銅の意で

ベトナムでは古くから銅銭が流通し通貨名はこれからとられた。

尚硬貨は存在しているが流通はまれだ。