スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

チョベ国立公園(ボートサファリ編)

2016-10-15 06:25:50 | 旅 ~海外

サファリドライブを午前中に終え、ランチをチョベ

マリーナロッジで食べた後、このロッジから出ている

船で国立公園内のボートサファリへ

チョベマリーナロッジを下ると船着場にでる

午後は午前中とは趣きの違う水辺からの探索

今度はユッタリ、のんびりだ

船長は若い女性、あまり運転が上手ではなく

途中ガイドのラポさんに変わった。船は当グループの

貸切で、後半から何を話しているのかわからないが

ラポさんと女性は話っぱなしだった

全くおおらかなものだ

体長2.5~3.5M体重450~700kgのアメリカンバッファロー

寿命20年の草食系でオスはツノが大きい

オスのバッファローに突撃されるとサファリ一刀でも危険だそうだ

これはたぶんアフリカハゲコウ。大きなクチバシは

強い力でカバやサイの皮をも突き破ることができる

夜は高い木の上で休み、昼は動物の死体を探す。

ハゲワシと共にサバンナの掃除屋さんだ

群をなすインパラのメスたち。インパラのオスは自分の

ハーレムを作る前の若いオスは青年団のような群れをなす。

よく日なたぼっこをしながら口を開けているナイルワニ

これは口から熱を逃がして、のぼせないようにするためだ

この後このワニは川に入り船を追いかけてきた

2頭のカバ。ほとんど動かず、見る分にはちっとも

面白くない。水に潜る時は、瞬時に耳を

クルリとたたんでフタをする

又、ゾウの群です。アフリカゾウの寿命は

約70年と今まで紹介した野生動物の中では

ダントツで長寿だ。メスの妊娠期間は

約22か月と長い。1回の妊娠で1子をもうける

子ゾウは甘えん坊で親子の情愛が大変深い動物と言われている

コウノトリ科のクラハシコウ(?)

クチバシの中間の鞍のように黒い

最後に数十頭のゾウの群れ

「THIS is Elephant」だ

このDVDを見れば一目瞭然でその多さがわかる

 

アフリカには、「ビッグファイブ」という野生動物がいる

それはライオン、ゾウ、ヒョウ、サイ、そしてバッファロー

その内の3つ(ライオン、ヒョウ、サイ)は見ることができなかった

ライオンは早朝や夕暮れにヒョウは夜

活発に活動する

今回の旅ではゾウとバッファローしか見ることができず

残念であった。

 


チョベ国立公園(サファリドライブ編)

2016-10-14 06:29:59 | 旅 ~海外

いよいよ、今回のツアーのメインイベントの1つ、ボツワナの

北部にある、チョベ国立公園へと向かい、サファリドライブを満喫してきた

いかにもアフリカ大地を思わせるテーブルツリー(?)

(ガイドさんはそう言っていた)の木

ここはアフリカが誇るサファリのメッカ、チョベ国立公園

チョベ川に隣接する約1万500k㎡の広大なエリアだ

アフリカに数多く点在する国立公園のなかでも

クルーガー国立公園(南アフリカ共和国)と並ぶ

圧倒的な規模の広さと生息する動物の多さを

誇ることで有名だ

サファリツアーはこの日産製のジープに乗る。乗客席は

一列3名、3段に成っていて互々高さが違い雛壇の様にしてあり

皆の視界が見え易く作られている

チョベ国立公園のあるボツワナ共和国に入国

この国はイギリス連邦加盟国で、南を南アフリカ共和国

西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をサンビアに

囲まれた内陸国でツアナ系の民族が多く住んでいる

人口約203万人(2011年総計)

ここからが国立公園のゲート。なぜか、ジェラシックパークへ入る様な

ワクワク、ドキドキ感を感じた

この人が園内を熟知したドライバーとガイドを

兼ねた「ラポさん」とても陽気な人で

元気に案内をしてくれた。スピードメーターを見ると

10k~20k位なのに40~50k位のスピード感で

けもの道みたいな道をガタガタ走る。決して乗り心地は

良くないがこれがゲームサファリの真髄だ

この辺から風景が一変する。低木の林みたいな

所をぬけてくると一挙に視界が開けてきた

この先がチョベ川のエリアに入る

動物の糞(ポポ)を発見。ポポの近くに

動物が居るとラポさんが説明。このポポは

キリンのだそうだ。この時からウンチ(ポポ)の

単語がジープ内で飛び交い続けた

まず、最初にインパラの群と遭遇

インパラは草食系で寿命は約12年位

1回のジャンプで10mも飛ぶ

ツノは主にオス同志の力比べに使われる

肉食獣に対しては速いスピードで逃げるのが一番有効だ

ラポさんが「カバカバ!」と叫んでいたが、はじめは

どこに居るのか分からなかった。湿地帯の中でゴソゴソ動いていたが

ようやく上半身が見えてきた

カバは体重1.6t~3.2tの草食動物。寿命は

約20年で昼間は川や湖でグタグタしているが、夜に

なると活発に草を食べまくる。大きな口でちぎる様に

草を食べるのでザックザックとすごい音がする

水中に潜っていられる時間は5~6分位とか

立派なキバを持ったイボイノシシ。体重60~150kgで

寿命は約18年位の草食が基本の動物

前足をたたんで草を食べる独特のお食事ポーズで

足に座りダコができている

このイノシシは街の中で何回も見かけ、野良犬と

間違えてしまう程だった

親子の象か。チョベ国立公園は世界でもアフリカゾウが

最も多く暮らす公園として知られ、その数は約5~7万頭ともいわれている

この後数十頭に及ぶ大群に幾度も遭遇した

ドライバーのラポさんが「見ろ見ろ」と指差したのが

サンショウウミワシ(?)湖など水辺に多く

美しい羽根と野性的な鳴き声で有名だ

ラポさんが「トリトリ」と言って発見した

見たことがない程美しい鳥。しかも撮るのが難しい鳥を

奇跡的に上手に撮れた

鳥の名前を聞いたら「ライラックブレスト」と言っていた

体の側面の白いラインが目印フッシュバック

体長が110~150cmの草食動物。寿命約12年

ツノが実に立派だ。木の葉を食べている

目のまわりがトキのように赤い為、和名はアフリカトキコウ

英名は黄色のクチバシから「イエロービルドストーク」

この様何台ものジープが川と林の間の

砂地を走っていく。ガイド同志が目撃情報を

交換し合ってポイントポイントに移動していく。

マントヒヒが林から出てきた。ヒヒはもっと森の中で

生息していると思ったので意外だった。しかも

ご覧の様にゾウのポポ(糞)を上手に割りながら

中味を食べだしたのには衝撃だ

なぜかこの日以降、街中など色々な所でマントヒヒを見た

あっちもこっちもゾウの群。川を渡るゾウ

ジープの目の前を横断する十数頭のゾウ。泥水を

鼻でかけ合っているゾウのファミリー。本当に種々なゾウを見ました

因みにゾウが耳をパタパタしているのは自家用のウチワで

風をおこして体温を調整しているとの事

ここで折り返し点。冷たいコーラを飲んで一服休憩

サファリ中の服装は動物を刺激するような赤や黄色など

の原色服は避け、マスクやサングラスも必需品だ

空気は乾燥していて汗はかかないが、陽射しは

アフリカならではの強さだ

しま馬発見。しま馬も大平原の中を大群を

成しているのかと思っていたが、今回は希少動物で

価値のある存在だった

 

これは立派な鹿だ。ここには数種類の鹿が

生息しているが、これはウォーターバックかハーテビーストか

メモをなくしたので正確な名がわからない

 

ラポさんが「キリンの匂いがするヨ」と言い出したら

しばらくしてキリンのファミリーを発見、きっと

無線で情報を取っていたのだろう

この後、何回もキリンと遭遇した

下の2頭のキリンはメスを獲得しようと長い首を

激しくぶつけあい、すごい音がした

このシーンを見られるのは珍しいとラポさんが言っていた

今回のゲームサファリで一番感動したのは

このキリンを最後に見たことだ

どことなくゆっくり歩く姿が恐竜みたいで

映画「ジェラシックパーク」の

シーンとかぶって、なにか映画の世界にいる様な気に成った


ビクトリアの滝

2016-10-12 06:06:23 | 旅 ~海外

ジンバブエとザンビアの国境に接しながら流れる

ザンベジ川の中流に位置する世界遺産のビクトリアの滝

こちらがジンバブエ側の入口

さあ、これから2ヶ国から見たビクトリアの滝を紹介いたします

最初にガイドから説明を聞く

ビクトリアの滝は、南米のイグアスの滝、北米の

ナイアガラの滝とともに世界三大瀑布として有名

1855年、英国探検家のリビングストンによって

当時の大英帝国ビクトリア女王の名をとり名付けられた

現地の言葉で「モシ・オア・トゥンヤ(雷鳴のとどろく水煙)」という意味

説明資料のサンベジ川の全体図

アフリカ大陸の4大川(ナイル川、コンゴ川、ニジェール川

そしてザンベジ川)、ザンベジ川に生息する動植物の写真

そしてこれがビクトリアの滝の全容図

展望ポイントはジンバブエ側で16か所もある

説明を聞いた後、この土産物屋を通って入って行く

天井から下がっているライトの布カバー大胆なデザインで

なかなか魅力的ですよネ。

ここでもアフリカンドレスを着た気に成る婦人をパチリ

この人がガイドさん。天候は最高、湿気が無く

本当に清々しい陽気だ。アフリカというとものすごく

暑い所というイメージがあるが、南部アフリカは日本より

ずっと過ごしやすかった

こんな雑木林みたいな所をしばらく歩いて行く

滝に近づいて来ると轟音が聞こえてくる

風向きによっては水しぶきが霧のようにかかる

滝に出る前のポイント地点。ジンバブエと

ザンビアの国境の鉄橋、ビクトリアフォールズ橋

1905年に完成したアーチ橋で長さ250M

高さ128Mあり、バンジージャンプをしている

できて既に110年以上歴史的にも重要な価値がある

ビクトリアの滝は時期(雨季と乾季)によって

水量が全く変わる。4月と11月では水量に10倍もの違いがある

ご覧の様に9月は残念ながら水量が少ない

ここは最も高い(108M)ポイント

後半にザンビア側から見たこのポイントをアップしておりますが

その臨場感はそちらのほうが伝わってくる

ポイントポイントから撮った滝

ザンビア側のヘルプールと言われているポイント

遠くから見ると信じられない光景だ、どうなっているのか

行ってみないとわからない

この動画で滝の轟音を聞くだけだけでも臨場感が伝わってくると思います

是非見てください

デビル・キャタラクトから見た、最も水量の多い滝

ビクトリアの滝を発見したデイビット・リビングストンの像

(1813年~1873年)

ヨーロッパ人で初めて、当時「暗黒大陸」と

呼ばれていたアフリカ大陸を横断した

滝を見終わって出口で会った首都ハラレから来た子供達

ビクトリアの滝観光の極め付け。ヘリコプター遊覧飛行で上陸へ

次の動画を見ればザンベジ川とビクトリアの滝が一発でわかります。

それでは2分36秒の空の旅疑似体験をどうぞ

上空からの光景

 

今度はザンビア側から見た滝。模型でガイドさんから説明を聞いてから

ジンバブエが側と違う

角度でビクトリア・フォールズを観る

こちら側にもデイビット・リビングストンの像があった

逆光に成ってしまった

雨季の時の写真が掲示してあったので参考に撮った

その激しさが全然違うのがわかる

恐怖のナイフエッジ橋からの眺めは迫力満点だ

この4枚の写真はジンバブエ側の最高地点を

ザンビア側から撮ったもの。赤いシャツの男性が背にした

石を押すとコロコロ崩れ落ちそうだ

 


チャマボンド小学校訪問

2016-10-11 05:45:08 | 旅 ~海外

最近のパック旅行の企画はどんどん進化して今回のスケジュールの中に

ジンバブエの公立小学校訪問があった。ここが訪れたチャマボンド小学校。

学校に入った校庭にアフリカ特有の花木ジャカランダの花が咲いていた。

一般的には現地の春、9月下旬から11月中旬にかけて一斉に咲き

美しい紫色に染まる。特に南アの首都プレトリアの街路樹のジャカランダは

圧巻でツアーの翌週からはジャカランダ観賞が加わってくる。

そういえば3年前に行ったスペイン・ポルトガルでも見たっけ・・・。

(2013-7-12付ブログ:イベリア半島の植物参照)

学校に入るとこちらの女性教師が応対してくれた。

ちょっとした青空会議になった。

・生徒数は1700名で二部制となっている

・なぜかというと職員と教室が足りていないから

・教師が少ない理由としては公務員なので給与水準が低く、なり手が少ない

・通学は基本的に歩きで、遠くの生徒はスクールバス

・授業料は3か月で5500円程度

・こんな状況でもジンバブエの識字率は99%

生徒を見た限りではそんなに貧しさは感じられなかった。

全員制服で、裸足の子供もいない。

どこの国の子供も目が輝いているが、この国の子供は殊更輝いており

握手、ハイタッチを求めて群がってくる。

フィリピンでの国際奉仕活動を思い出してしまった。

(2014-3-17付 2014-10-20付ブログ参照)

教室の中にいた二人の女性教師。

教室を一回りした後、こちらの副校長と面談。

学校にボールペンなどの文房具を寄付してきた。

学校側が一番悩んでいるのは給食関係の建物のこと。

建物はできたが、肝心の設備、施設関係が政府の資金不足の為にストップ

してしまったとのこと。

大きな木の下での授業風景。

二部制の中での青空教室。

この子供たちが国の将来の担い手になると思うと支援したくなってしまうのは私だけではないはず。

教室の天井を見ると照明器具が見当たらなかった。地震がないとはいえ、天井の梁等は貧弱。

風が吹けば屋根ごと持っていかれそうな造りだ。

屈託のないこの子供たちの未来に幸あれ!


ザンベジ川サンセットクルーズ

2016-10-07 08:52:46 | 旅 ~海外

アフリカ第4の大河、ジンバブエとザンビアの国境を流れる

ザンベジ川のサンセットクルーズに行って来た。

船に乗船する前に、ここでもジンバブエの民族ダンスで

私達を迎えてくれた。その音色とリズムは人々の生活の中に

息づいているのが伝わってくる。

この様な平たい船に乗船。観光客はほとんど白人達。

さすがここでは中国人、韓国人はあまり見かけなかった。

これが雄大な流れのザンベジ川。ナイル川、コンゴ川、ニジェール川に

次ぐ長さの川でアフリカ南部を流れ、インド洋に注ぐ川だ。

夕方5:00頃には陽が落ちてきて、ゆったり流れるザンベジ川の

川面に夕陽が映る姿は本当に美しかった。

やはりここの時の流れはユッタリユッタリで日本とは違う。

我々の隣りのグループはフランス人。奥はスペイン人グループだったか。

現地のガイドさんに聞くとヨーロッパからアフリカへは

そんなに遠いという意識が無い様だ。

この人が船長。癖のある英語で色々説明していたが、

周りの素晴らしい景色に見とれて、何を話しているか忘れた。

(メモ紛失の為)

フランス人グループのディナー風景、なかなか絵に成っていますネ。

そしてこれがディナー料理。説明が無いので

何の料理だが分からない。揚物料理が多い。

ビールは地ビールのザンベジビールを。とても軽くてくせもない。

口当たりの良いビールだった。ビールの栓は合理的に

出来ていて手で開けられた。

 

 

さぁーこれからサンセットクルーズで出会ったアフリカの野生動物です。

かわせみの一種。鳥を撮るのはむずかしい。

今回の旅でワニを見ることは少なかった。このワニ、アップして

撮ったから大きく見えるが樹木の上に登ったかわいらしいワニだった。

このワニを撮ろうと真剣にシャッターを押し続けている外国人。

写真に人間を入れると絵に成って、物語が生まれてくる。

ザンベジ川では結構カバは見たが、被写体としては難儀な動物だ。

普段は水中の中。時折、呼吸をする為に鼻を出す程度。

口を開けたものなら大喝采ものだ。今回の旅で全身のカバは一度も見られなかった。

そうはいいつつ、カバが水面に現れるとご覧の様に

皆スタンディングでカメラを向ける。

そして、とうとうアフリカ象を発見。来る前は大平原にいる象を

イメージしていたが、以外にすぐそばで警戒感もなく

草を食べたり水を飲んだりしている。群馬サファリか、東京ディズニーランドの

ジャングルクルーズとちょっと錯覚してしまいそうだった。

この時の象は新鮮だったがその後この旅で数百頭の象を見て、

ありがたみが減ってしまったとは人間、勝手な動物だ。

このアップの正面から見た象、迫力ある一枚でしょう。

気に入った一枚なのでアップ。

乗船して1時間程、陽もだいぶ落ちて来て夕焼けが美しい。

正にサンセットだ。

夕陽を見てウットリ物思いに耽る女性。ポエムです。

ザンベジ川の夕陽とアフリカのアルコール いいですネー。

 

 

 


ジンバブエ

2016-10-05 05:19:42 | 旅 ~海外

ジンバブエの国旗。国名はショナ語で「石の館(家)」を意味する。

かつては南ローデシア(イギリス領)だったが、

2003年イギリス連邦を脱退した。

首都はハラレ。人口は1372万人。モザンビーク、ザンビア、

ボツワナ、南アフリカ共和国と隣接している。

ジンバブエは共和制国家だが、1980年から36年間

強権的政治手法でロバート・ムガベ大統領が統治している。

ジンバブエの平均年齢は1990年62才だったが、現在は36才。

世界で最も短い年齢だそうだ。一体この26年間で何があったのか?

昨日アップしたザンビアよりすごい事で驚きの一語に尽きる。

国民の3割がHIVに感染しているのも大きな理由だろう。

ここがジンバブエとザンビアの国境ライン。入国手続きをしている間に

バスの窓越に、目で何かを訴えている様な切ない顔で

独自通貨ジンバブエドルを広げている。「これは一体何?」。

始めはよく理解できなかったが、その後意味が分かった。

ジンバブエドルをUSドルで買ってほしいという事。

なんとこれが500億ジンバブエドル紙幣と200億ジンバブエドル紙幣。

こんな桁のお金見たこと無い。思わずゼロの数を数えてしまった。

250億ジンバブエドル=1US$だそうだ。これは

ムガベ大統領が第二次コンゴ戦争へ派兵した結果、

経済、医療、教育、治安が悪化し、第2次世界大戦後、

世界で最悪と言われているハイパーインフレが起きているとの事。

なんと年間インフレ率は約2億3000万%だとか。ビックリ仰天です。

観光地には必ずこの様な土産物屋がある。動物はじめ、

民芸品を中心に所狭しと置いてある。全体的に数百円単位の物が多いが、

値段交渉するとすぐ30%位はディスカウント。この交渉が結構楽しめる。

そして建物の屋根は日本では無くなってしまった茅葺きがほとんどだ。

ゆるやかな曲線がなんとも言えず、良い。

この国にはまだまだ茅葺き職人が沢山居るのだろう。

技術レベルもかなり高そうだ。

いろいろな場所で、ポイントポイントに現地の人が民族衣装で

民族楽器を使って歓迎の踊りで迎えてくれる。民族楽器

「ムビーラ」は親指ピアノと別称されるジンバブエのショナ人の

伝統的な民族楽器。これを見ると今、アフリカにいるんだナーと実感できる。

「さー次は市場に行きましょう」ということで来たのが、この土産物売り場。

簡易の屋根のバラックの様な小屋の下に、所狭しと民芸品が並んでいる。

ちょっと見ていると、店員が寄ってきて、売りつけられそうな空気だ。

丁度日中でカンカン照りで肌には暑いが

空気は乾燥していてどことなく心地が良い。

さあ昼食時間。ここがレストラン「THE LOOKOUTCAFE」。

この写真から見るととてもレストランとは思えないでしょう。

土の広場の奥に忽然と現れるといった感じ。不思議な空間であった。

ここも茅葺きであとは柱、梁だけの掘建て小屋の様なレストランだが、

これがかえってお洒落ないいレストランだった。

ロケーションは断崖絶壁の端に建ち、景色は絶景。

ご覧の建物だけに風通しは良く、とても気持ち良かった。

何か久し振りといったバンバーガーにポテトフライ。ベィリーグッドであった。

レストランの隣りでは渓谷の上を渡るワイヤケーブルの様な

恐怖のアクティビィティに若い欧米人が挑戦していた。

ここは街中にある立派なスーパーマーケット。商品は驚く程豊富だった。

ここで又、ジンバブエについて記してみる。面積は日本とほぼ同じ。

公用語は英語で前述通り、ハイパーインフレの為2015年

ジンバブエドルは廃止され、USドルが現在使われている。

1965年~1979年ローデシア紛争があった為か

反英反米反白人感情が強い。ここでも最近中国との友好関係を深めている。

在留日本人は86人在日ジンバブエは153人

意外にもツアートーナメントで活躍しているプロゴルファー

ニック・プライスはそういえばジンバブエ出身だと思い出した。

アフリカンの女性の髪形、ファッションは大胆で素晴らしい。

最貧国なのにこの髪を結うのに美容院で1500円もかかると聞いた。

女性の美に対する追求心はお金の世界を超えている。

かと思うと働く女性の姿も神々しい。頭の上に荷物をのせて運ぶのは

イメージとして女性の方が絵になる。アフリカンな柄の服装で

頭上だけでなく背にも荷を背負っている。

蛇足として帰国して日本で聞いた話を一つご紹介します。

1991年に創設された「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」

に対して与えられるノーベル賞のパロディーのイグ・ノーベル賞。

天の橋立の股のぞきを通じて物の見え方がどう変わるのか

研究した立命館大学教授と大阪大学教授にイグ・ノーベル賞

「知覚賞」が授与され、賞品として1兆ジンバブエドル(5000円)が与えられた。

 


リビングストン(ザンビア)

2016-10-04 05:41:22 | 旅 ~海外

ヨハネスブルグから空路、ザンビアのリビングストンへ。

約1時間45分の旅。ご覧の様に赤茶けた土地に、

まだ早春の為か、緑が芽吹く前の灌木の林。これがアフリカの大地だ。

これがリビングストン国際空港。最近完成したらしく

まだ新しいが、日本の地方空港程度の規模だ。

英国の探検家であり、宣教師のディヴィット・リビングストン

(1855年 ヴィクトリアの滝の発見者)に因んで名付けられたという。

ザンビアの国名はサンベジ川に因んで付けられた。

7つの国と接していて最貧国の1つで、GDPは島根県と同じ経済規模だ。

ここリビングストンは人口13.7万人でヴィクトリアの滝の玄関口となっている。

ザンビアは共和国制国家で首都はルサカ。

人口は1621万人(2015時点)で、公用語は英語だ。

そして現在の大統領は2015年から額に飾られている

エドガー・ルング氏(第6代)だ。

ここでも出迎えの人が数人、札を持って立っていた。

ザンビアの人の平均寿命は38.63才と日本人の半分にも満たない。

これにはビックリ。その理由を知りたいものだ。

そう言えば、当社協力会社の解体業者が言っていたが、

「5人のザンビア人が今働いていて、すごく力があって良く働く」。

因みに在日ザンビア人は158人と極めて少ない。

マイクロバスにトランクを積んでトレーラーが付いた車。

これはあまり見ないスタイルだ。このバスは車内を見ると

禁煙のプレートが貼ってあった。日本から輸入された中古車らしい。

ザンビアは昔、イギリス領北ローデシアだった。

今でもイギリス連邦の加盟国で、その為、日本と同じ左側通行を

採用している。産業は銅の産地として世界的に知られている。

他にも、鉛、亜鉛など鉱山金属が採掘されている。

ザンベシ川にかかるヴィクトリアフォールズ橋(1905年)。

この橋の真ん中がジンバフエとの国境となっている。

ジンバフエに入国する手続きをしている間に、発見した日本中古車。

ビスタ富山のステッカーには驚いた。

ザンビアと中国との関係はタンザン鉄道建設など深いと言われているが、

労働デモで中国人がザンビア人を数十名射殺した事件から

対中感情は悪くなっているらしい。一方、日本は

援助に力を入れていて、経済協力は対アフリカ援助で3番目とのこと。

国境の所でずーと座り続けていたご婦人たち。

本当に時間がゆっくり流れている。ザンビアはアフリカで

もっとも平和な国の一つとして評価されている。


ヨハネスブルグ国際空港

2016-10-02 21:23:45 | 旅 ~海外

足腰がしっかりしているうちにと思い、アフリカ大陸に行って来ました

旅の半分はブログを意識しながら廻ったが

肝心のその都度記録したノートを最終日の

ヨハネスブルグ空港で落としてしまった。その時は頭の中が真っ白

細かく書き込んだ資料が無くなり

ガックリしましたが記憶を辿って、この大作

「南部アフリカシリーズ」を連載してみます

ヨハネスブルグの国際空港は2005年にアパルトヘイト

闘争の英雄であるオリバー・タンボの氏名をとり

「オリバー・タンポ国際空港」となった。

そして2010年FIFAワールドカップを契機に

拡張され、各航空会社のハブ空港となっている

年間旅客人員数はアフリカの空港で

最多の1944万人だとか。

手荷物受取カウンターの前から床が鮮やかな

カラーと成っていた。この色は南アフリカ国旗のカラー

赤は過去の対立の中で流された血

青は空と二つの海、緑は南アフリカで欠かせない

農場と自然。黄は南アフリカで産出される金に代表される

天然資源。黒は南アフリカの黒人の国民と他のアフリカ諸国とのつながり

そして白は南アフリカの白人の国民と平和を表していると言われている

 

到着ロビーの風景。成田から香港経由で

ここヨハネスブルグまで実質飛行時間約18時間

本当に永く、遠くの地へ来たもんだと

つくづく感じた

どこの空港でも見かける光景だが、黒人の人達がずらりと

並んでいる姿は、やはりここはアフリカなんだと

強烈な印象となってこの旅のスタートが切られた。

我々が到着した時、大勢の白人中学生(?)が床に座っていた。

一体何事かと思ったが、よく周りを見渡すとどうやら、

パラリンピックで活躍した南アフリカチームの凱旋らしい。

そういえば自宅を出る前にリオパラリンピックの閉会式をTVで見て来たっけ。

ステージの前には多くのマスコミ関係者が陣取っていて

今か今かと熱い視線が注がれていた。

 

檀上では民族服を着た歌手がビートの効いたリズムの歌で

歓迎していた。ガイドさんに聞いたら超有名なシンガーらしい。

椅子に座っていたユニフォームの人が活躍した選手でしょう。

観客の一部の人は踊りだし、ノリのいい姿を見ると

さすがアフリカンと見とれてしまった。

ヨハネスブルグからザンビアのリビングストンへ乗り継ぐ為、

ショッピング街を移動。時間があったので

土産物屋で目についたものにシャッターを向けた。

大きな元ネルソンマンデラ大統領の人形前で

記念写真を撮っている人をパチリ。

巨大な籠らしき前、やはり記念写真を撮っている女性。

民族服がとてもお洒落でカッコいい。頭のターバンみたいなものも素敵だ。

そして大きな籠の柄がいかにもアフリカンチックで気に入った。

思わず目に止まってしまう人形が次から次へと並んでいる。

昔の土人的な人形と野生の動物をモチーフにした土産品が

すごく新鮮に感じた。やはりアフリカはこれだけを見ても個性的だ。

これはアフリカのどこの店でも置いてあった。

ダチョウの玉子を使ったグッズ。手に取って見ると思ったより大きい。

そして種々なデザインの絵が書かれていて宝石の様だ。

空港で見かけた、お洒落で素敵なおばあちゃん(?)。

ヒョウ柄のコートを肩に掛け、赤い眼鏡が良く似合う。

ヘアースタイルが粋で、なんといっても紫色の靴は日本人が

履いたらキザとしか見えないが、アフリカンにはこの全てが合って

「カッコイイ」と声が出てしまいそうだ。

片や、ハリウッドの映画で出てくるベテランメイドの様な

貫禄のある体系の女性の後姿。タップリ目のワンピースと

バンダナが同じ柄で白い襟がバッチリ効いている。

この人も空港で絵になっていた。

ザンビアへはこのブリティッシュ・エアウェイズで。

このキャビンアテンダントは何をしていると思いますか?

ガイドに聞いたらスプレーで防臭剤を撒いているらしい。

これは初めての光景でちょっとショックをうけました。


ホノルル フェスティバル

2016-04-23 09:01:05 | 旅 ~海外

 

ハワイで一番有名な風景。ダイヤモンドヘッド

19世紀にイギリスの水夫たちがこの山を登った時

火口付近の方解石の結晶をダイヤモンドと間違え

「ダイヤモンドヘッド」と名付けられたと言われる

第22回ホノルルフェスティバルに「さいたま竜神まつり会」

に参加しました

このフェスティバルは、アジア太平洋地域とハワイ間の

相互文化理解、経済協力を目的としている

120団体の祭り、フラダンス、伝統文化などの

紹介とパレード。「さいたま竜神まつり会」は

13回の出場で表彰されました

オバマ大統領が卒業した高校の生徒たちが

ボランティアで踊ったり、竜の綱を引っ張ってくれた

パレードはアメリカ陸軍、空軍、海兵隊のステキな

制服姿の儀仗兵の行進でスタート

ミシハワイ、ミスフィリピンそして沖縄から歌手の

夏川りみさんパレードに参加していた

ワイキキの前のカラカウア大通りをシャットアウトして

沿道には何万人もの現地の日系人、各国のツーリストがあふれ

ダイヤモンドヘッドの下の動物園まで2KM約1時間以上かけて

竜神踊りそして全長120Mの竜が練り歩くと

沿道の人達は大喜びだった

笛吹市からは「川中島合戦戦国絵巻」甲冑隊

武田氏、上杉氏の武士の装束はハワイの人達に大受けだった

パレードのラストは火を吹きながら山車がいく

大牟田の大蛇山、そして長岡の花火

日本の素晴らしい祭りにハワイの人達、旅行者

全ての人がニコニコ顔の楽しい祭りだ

ピンク色のロイヤルハワイアンホテル。ワイキキの青い海

フラダンスそしてハワイアンソング・・・・・

やっぱりハワイはいいナー


ホイアン ランタン祭

2016-03-08 07:07:22 | 旅 ~海外

レストラン「cargo club」から見たトゥホン川沿いの黄昏時の風景。

ランタン祭は毎月満月の夜(前のブログに年一回と書いたのは誤りでした。)に

行なわれる。因みに満月になるのは旧暦の14日。

この日は街に欧米人の観光客が大勢いたのには驚いた。

特に昔、フランス領だった為にフランス人が多いそうだ。又、

アマチアカメラマングループもフォットスポットに陣取りを始めた。

エキゾチックなテイストがこの人達を魅了するのだろう。

徐々に日が暮れて、水面に映る光が、なんとも言えない情緒を醸し出している。

ホイアンは15C~19Cにかけて、アジアとヨーロッパを結ぶ

海上交易の中継地として栄えた町で、約180年前の木造家屋が建ち並んでいる。

川には日本の屋形船みたいな船が繰り出してきて、より一層お祭り気分を

盛り上げている。この時間(pm6:30)頃から人出が徐々に増えて来た。

まるで日本の縁日の様な雰囲気だった。

満月の下でランタンが怪しく光る街通り。ある時間になると、

ホイアンの家々の電気が消え、提灯の明かりだけが街を照らし、

昔にタイムスリップした気分で幻想的な夜の町を散策できる。

これがホイアンのランタン(提灯)だ。

お供え物の前で手を合わせる姿はとても印象的だった。

街の電気が消えても、ローソクの光で将棋風なゲームに興じる市民。

これも絵になっている。

先祖の霊を弔っているのか、川いっぱいに流れる灯ろう。

これは日本の精霊流しと同じだ。

道端では大勢の少女、老婆が露店を出し灯ろうを売っていた。

1個50円位だった。

私達も約400年前の日本人商人たちの活躍に思いを馳せながら、川に灯ろうを流した。

明るいうちは、人通りもまばらだった橋が夜になると

ご覧の様に満員電車のような混み様。すごい人出だ。

 

 

ホイアンはチャンバ王国時代からの港町で、16C以降ポルトガル人、

オランダ人、中国人そして日本人が来航。国際貿易港として繁栄した。

現在の街並みは、すべて大火後の19C以降のもの。

その後のベトナム戦争時代にも破壊されることもなく現在に至っている。