岩沼RCメンバーの案内でこのエリアでは最も
復興が遅れている山元町に行った。
町立中浜小学校。津波が来た時は屋根裏部屋に避難して
生徒は助かった。1年前に訪問した仙台市若林区の
荒浜小学校と全く同じ状態でこの1年間はなんだったんだろう
と考えさせられる。
破壊された体育館内部、ここも校舎の妻側が海に
向かって設計されている。津波を意識してとの事で
それなりに対応していたようだ。
この写真の庇下の影の中の青いプレートの所まで
津波が来たと表示されている。
校舎の向こうは海、遮るものが何も無い
門扉の柱がなぎ倒されて、そのまま放置されている。
この小学校は明治9年開校という。
その石板が途中で割れて置いてあった。この歴史ある
学校は今後どうなるのだろう。このエリアは全て
破壊されていて人気が無い ゴーストタウンとなってしまっている。
小学校の校庭には、グチャグチャになった車輛数百台か数千台か
わからない程、野積みされたまま放置されている。
行政対応の遅さを痛感する。
車輛に貼られた紙がその当時の生々しさを伝えている。
この山元町の海に近いエリアはすべて破壊されて
夜は真っ暗、怖くて車でも来れないと言っていた。
近くにあった2か所の墓地の墓石がやたら真新しく
復旧されていて、胸にキュンとくるものを感じた。