ワカタケル大王は雄略天皇
1.神武 7.孝霊 10.崇神 12.景行
15.応神 16.仁徳 21.雄略 33.推古
熊本 ・銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀
埼玉・金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)
東西でワカタケル大王の印字の鉄剣が出土 ワカタケル大王は雄略天皇
古墳時代の歴史が動き出した。 古代に戦国時代があった。
ワカタケル大王は雄略天皇は海上航路を利用して覇者となった。
吉備の穴海どう利用したか?隠れた4.5世紀の歴史が焙りだされる。
謎の時代 古墳時代4-5世紀
稲荷山航空写真 稲荷山古墳
(いなりやまこふん)
稲荷山古墳は5世紀後半に造られた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の中で最初に出現(しゅつげん)した古墳です。
以前、古墳の上に小さな稲荷社(いなりしゃ)があったことから、稲荷山と呼ばれるようになりました。
さきたま風土記の丘を整備するために、1968(昭43)年に稲荷山古墳の後円部を発掘調査(はっくつちょうさ)したところ、
頂上から2基の主体部(しゅたいぶ)(人を埋葬(まいそう)した施設)が発見されました。
ここからは、表面に57・裏面に58の文字が刻(きざ)まれた金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)や甲冑(かっちゅう)・馬具(ばぐ)などの副葬品(ふくそうひん)が出土しました。
東国の稲荷山古墳の被葬者ヲワケは宮廷の親衛隊長「杖刀人首(じょうとうじんのかしら)」として仕えた。
115の文字には、ワカタケル大王(雄略天皇 ゆうりゃくてんのう)に仕えたヲワケの功績(こうせき)などが記(しる)されており、我国の古代史を考える上で貴重な資料となっています。
これらの遺物(いぶつ)は1983(昭58)年に国宝に指定され、さきたま史跡の博物館の国宝展示室に常時展示されています。
江田船山古墳(えたふなやまこふん)
熊本県玉名郡和水町(旧菊水町)に所在する前方後円墳。
清原(せいばる)古墳群の中で最古・最大の古墳で、日本最古の本格的記録文書である75文字の
銀象嵌(ぎんぞうがん)銘をもつ大刀が出土したことで著名である[1]。国の史跡に指定されている。
被葬者のムリテは雄略の宮廷で役所に勤務する文官「典曹人(てんそうじん)」として仕えた。
5世紀中葉以降のヤマト政権は、各地域社会から出身の大・中・小首長達を宮廷に出仕させ、
王権が直接掌握し、倭社会を統治していたことが考えられる。
「天の下しらしめしし、ワカタケル大王の世、典曹に奉事せし人、名はムリテ、八月中、大鉄釜を用い、四尺の廷刀をあらわす。
八十たび練り、(九)十たびうつ。三寸上好の(刊)刀なり、この刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、
恩を得るなり。そのすぶる所を失わず。刀を作る者、名はイタ(ワ)書するのは張安なり。」
歴史時代別 索引
葦守八幡宮 2016.01.08 「255」
吉備の姫君たち
謎の時代 古墳時代4-5世紀
歴史 原始・古代の索引
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