なぜか、支配に都合が悪いからだ。すごい叩くことで。ルールに従わないと村八分にされると、支配対象の国民をビビらせる。
屋外でマスク外そうと政府も言っているのに、ほとんど外さない日本人。なぜか、世間から叩かれるのを恐れているからだ。
支配者側の政府の想定をも大きく超えてしまった、支配される側の精神性。ちょっとやりすぎたかなと思っているはずだ。こほままじゃ景気やばいなと。
おそらく、政府が望むの望まないとに関わらず、こうした支配、奴隷の関係性は雪崩を打ったように進む。
もしかしたら、そうした支配のしやすさを狙っていた政府ですらも止められないかもしれない。
そういう下地が出来れば、あとは簡単だ。
善人による、善人のための政治が出来上がる。それは完全な支配の始まりだ。
そうなれば、自民党的な人ですら、権力の座から追われることになる。古きよき自民党はざっくばらんな印象がある。ある意味おおらかなのである。
私も5年前無所属で立候補した時、事務所に遊びに来た議員さんが4人いたが、全て自民党の議員さんだった。
4年前に議員を引退していたので、看板を見て、しんごちゃん、元気にしとるかと。しっかり頑張りやいという感じでだ。
別に共産党でも、自民党でも、保守でも、革新でも関係ない。そういう感覚だ。神仏習合の日本人的とも言えるだろう。
この感覚が政治には大事である。俺たちは正しい、あの党は間違っている。という対立の構図ほど危険なものはない。
たとえ、正論でも、正しくても、
それは完全なる支配への近道だからだ。だから、他党批判する政党は少し気をつけた方がいい。
うちらは正しいと声高らかに訴える政治家は注意したほうがいい。
なぜならば、そもそも人間は世間的な善悪は論じられても。根源的な善悪を論じる能力が与えられてないからである。善悪判断がそもそもできない。価値判断ができない。する能力がないのである。
考えて見てほしい、私も含めてこの地球、この宇宙の極々一部のことすらまともに知らない、ましては自分が何たらかも分からない人間が、何の善悪を論じることができようか。
それは人間の業であり、それは聖書的に罪、しかもただ唯一の罪、原罪である。
なので、政治を見る上で肝心なのは、その政治家。その政党の目線で、価値判断をしてるか、してないか。
そういう目で見ると面白いかも。^_^