飛ぶ汗に 涙と笑い 芝居には
隣で笑う 私のばあちゃん
メモ 都若丸一座を見て
歓喜の輪 溢れる熱狂 いつの日か
政治が無くした 感動のパワー
メモ
満員の客席、老若男女を楽しませて、感動させる熱狂の舞台。いま、私達は、政治は市民を、国民を心震わせ、感動させることが出来てるだろうか。いやない、むしろ見捨てられて、愛想尽かされて、どうでもいい存在に。おれはいやだ。俺は高校生の時、政治家の演説を聞いて泣いた。共産党の正森せいじという国会議員だ。心が奮い、感動し、泣きた。政治家を決意し、共産党にほれた。
俺にできてるか。当時の政治家の熱意、国民の魂を揺さぶる、そんな政治ができてるか。
大衆演劇でおばあちゃんが元気になり、喜んで、熱狂しているのを目の当たりにして、悔しかった。
完全に俺たち政治家は負けてる。市民の目を輝かせているだろうか。座長は体の悪いおばあちゃんの目を輝かせている。
明日も来るよ。大声で叫ぶおばあちゃん。嫉妬した。あまりの力の差に、また座長の芝居に、泣いた。悔し涙か、芝居の感動からか、分からない。
でも涙が込み上げた。この20年、いったい私は何をしてきたのか。何に追われていたのか。
私が学生時代に感動し、泣いた、政治家の演説。今は芝居の、演芸の迫力、役者の表現で泣いている。
政治では泣かなくなった。いや泣けなくなったのだ。
命をかけれないからだ。俺は学生時代に政治で命をかけようと思った。日本を変えてやると思った。
日本のためなら死ねると思った。国の為に死ぬのは政治家だ。国民じゃない。
いま、国の為に国民に死ねという。福祉を削って軍事費にといっている。人権削って黙れと言っている。
クソだ。ウクライナに影響を受けて、それ今こそと、日本を護るとか、威勢のいいことを言っている。
戦争を決断するのは政治家、でも戦争に行くのは若者、戦争で死ぬのは国民。こんなバカな話があるか。
戦争を決めるのも政治家なら、戦争に行くのも、戦争で死ぬのも政治家だ。他人事ではない。国民の為に死ぬ覚悟があるか。人気取りが政治じゃない。死ぬか生きるかだ。
だったら、軽はずみに、軍事とか、戦争とか、絶対に言えない筈だ。平気な勇ましいこと言っているのは、国民に死んでもらおうとしている。死ぬ覚悟のない政治家だ。
騙されるな。戦争だとか、中国、北朝鮮潰せとか、調子こいて、煽っているやつは、戦争になったら、ぼく死にたくないとケツ割って逃げる。
派遣の人が死になよ。給料低い人が死になよ。僕は政治家一家で偉いんだぞと。死ね。
やーやー我こそは、この日本の政治家である。この国を、この国民の生活を、命を預かっている者である。
戦争を起こす訳にはいかない、私がカタをつけるので、まずは我々日本の政治家に免じて、矛を収めて頂きたいと。言えるか、問われている。
元気なく 笑うあなたの 力にと
何もできない この虚しさよ
海を見て はしゃぐ娘の そばにいて
なんていい日だ 楽園のよう
なんもない 作るあなたの 料理には
野菜たくさん 気遣うからだ
父やまい 付き添う医院 手続きを
しばらく優雅に 入院生活
子育てが 終わった途端 親をみて
病院◦介護に 親子二人で