おじさんライダーの独り言

乗り物好きのおやじです。時事ネタありの独り言を書いてしまいます。です

鉢形城に行ってみた

2022-04-17 06:45:00 | お出掛け時の話題はこちらです
ここのところなかなかブログ更新が出来ていなくて。
でも、お出かけはしていたりするので、追いかけ更新です。
まず最初は鉢形城です。


まずはこのマーク。
フィッシャーじゃね?と思いました。
ちょっとタテ・ヨコの比率が違うけど。
お城のマークらしいですが、どっちかというと、
フィッシャー、鉢形城真似たんじゃね?が聞き方なのかもね?(笑)


寄居に鉢形城の跡があるのは、ちょくちょくバイクで通ったりするので
当然知っていました。
でも、今まであまり興味が沸かずに通り過ぎていました。
でも、一度はきちんと見ておこうということで行ってみました。


「 1590年(天正18年) 豊臣秀吉による小田原征伐がはじまり、
鉢形城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸、徳川家康麾下の浅野長政、
本多忠勝、島田利正、鳥居元忠 らの連合軍 (35000) に包囲され、
北条氏邦の老臣黒澤上野介ら (3000) が約1か月の籠城戦を戦ったのち、開城した」
(ウィキペディアより)
という歴史があるという、私にとっては衝撃の事実。
なんと有名な武将さんたちが寄居に集まっていたのですね。
「彼らがこの地に居たことがあったんだ〜」って改めて思って、ですね。
凄くないですか?寄居で大々的な戦ですよ。
いまの様子からは想像出来ない。











以前、鐘撞堂山に登ったことがあります。
鉢形城の北側の小山です。
「山名は中世戦国時代、北条氏支配のころ、鐘を置き
危急の役に立てたことに由来する。」(ヤマケイオンライン)
なのです。
山城で、空堀などもきちんと残っている見張りの山。

でもね、自分的に鉢形城に行ってなかったから
繋がらなかったんですね。
見張りがいかに重要だったかについて、のことにですね。
「なにやってたんだ、こんなとこで」くらいに思ってました。

ところが、こんな武将たちに落とされたとか、それ以前には
武田や上杉とやりあったとか。
それなら見張りを含めいろいろやるのもうなづける。
寄居ってそんな場所だったか〜、と今更ながら恐れ入りました、の気分です。


車山、百名山のあれではない車山が鉢形城の西側にあります。
鉢形城に行くのはこの車山に登ってみよう、とセットでした。
でもこの地も鉢形城を攻める武将が陣を張った場所。
今は穏やかな折原(八高線)界隈ですが、ここもそんなことがあった。
いやもう何か信じられないです。










バックのが車山です。






自分的にいろいろ発見があって面白かった〜。



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