今日見た記事です。
中を見ると「若害」の言葉があります。
そんな言葉が出来ちゃったのかな?と思いました。
中を見ると「若害」の言葉があります。
そんな言葉が出来ちゃったのかな?と思いました。
若害だとかなんとかではないのですが、
いくつの子たちがそれだったのか知らないですが、
たとえば公園に危険な遊具があったら撤去していましたね。
ボール遊び禁止とかも。
だいたいが「親からのクレーム」とかの印象でした。
自分的にはま、安全になるんだから良いんでしょ!と外面は装いますが、
「ばっかじゃないの?」と思うんです。(私見です)
危険は自分で察知して避けるものなのでしょうにと思うのです。
そのための知識をつけるために子供の周りにはいろいろなものが
必要なのだと思うのですね。
安全なものも、危険なものも。
もちろんここでいうのは過度に危険なものも体験したら良いんじゃん!
とまでは言っていません。
歳相応に危険なものに接してみたら良いのです。
小学1年生に小学6年生の授業は受けさせられないのと同様で
小学1年生に小学6年生が感じる危険は体験させられない。
あたりまえです。
でもね、小学1年生に「あれは小学6年生になったら大丈夫かもよ」
と伝えることは別途として必要です。
「いま無理なものは無理だけど、年数がたって適宜の努力をしたら
可能になるものもあるよ」と伝えるということです。
でもね、ということは誰が問題なのかと言うと親世代ですよね。
子は親を写す鏡です(でしたよね、たしか)
ということはみんな「害」なんですね、それぞれの年代で、
そのすべて、で。
だったら、害だ害だとか言っていないで、どうあるべきか
考えて行動すべきかと思いますね。
飛躍しすぎかもしれないですが、先日の東京15区の投票率は
40%ほどだったようです。
40%のうちなにがしかの投票数を受けての当選は
40%ほどだったようです。
40%のうちなにがしかの投票数を受けての当選は
信任を受けているのか?という疑問もなしとはしないのですが、
それは置いておいて、
「投票しないってことは、あなたには世の中に言うべき文句はないという
理解をして良いわけだよね」
と解しておきます。
でもね、行動しなければ害は害のまま続くということで
いろいろ世の中変わらないと思うんですけどね。