民話 『 お満さんと 硫黄夜祭 』
むかし、湖西の比良村に八荒という力士がいました。あるとき、湖東の鏡村で相撲が行われ、各地から力士たちが集まってきました。そのなかでとりわけ容貌がよく体もりっぱで強そうな力士がいました。八荒です。鏡村には、お満(おまん)という美しい娘がいました。年ごろのお満は、八荒を一目見るなり心を引かれました。それぞれ力士が郷土に帰ろうとしました。お満はどうしても恋心をおさえることができません。とうとう、「およめさんにしてください。」とたのみました。すると、八荒は「それほど私を思う心があれば、百日通い通したらよめにしてやってもよい。」と言いました。
この難問題で、おそらく娘は恋をあきらめるだろうと思ったからです。ところが、お満の恋心はますます高まって思いとどまることにはなりませんでした。お満は人目を忍んで、毎夜、今浜(美崎)の燈籠崎(とうろうざき)より、たらいに乗り、杓子で水をかいて湖上を白髭明神の明りをめあてにして、八荒のもとに通いました。あまりのことに八荒は、ある夜、「どうして毎夜遠路の湖上を来るのか。」とたずねました。すると娘は、「白髭明神の明りをめあてに通うのです。」と答えました。八荒はその大胆さに驚くとともに、一念の恐ろしさを思い浮かべました。
そして、九十九夜には明神さんの灯明を消しておきました。お満は、それとも知らず、いつものとおりたらいに乗って湖上にこぎ出してしまいました。しかし、灯明が見えないため方向がわからず湖上をさまよっていました。すると、にわかに暴風が吹き起こり、ものすごい大波にもまれ、たらいはひっくり返り、お満は湖の底にしずんでしましました。九十九夜の恋もはかない最後をとげたのでした。この大風は数日止まず、今浜の人が湖岸に来ると、お満の乗っていたたらいはこわれて浜にうちあげられていました。村の人たちはこの木片を拾い細く割って硫黄(青い火でもえる)をつけ「燈籠の灯を消さないようにしよう」と言い、娘の心をあわれんで、この硫黄を神社に供えて慰めました。すると、この大風は止んだと言われています。あわれなお満の霊をなぐさるため、湖岸に燈籠が建てられ、これにお満燈籠と名がつけられたのです。
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【歩きメモ】
7300歩・5.1km・19g・1721kcal
日記風575
「タライ船 琵琶湖大橋 東詰」
「どれだけの 史実に因るか 知りたくて」
「明富の 中学生 登下校」
守山市立・明富中学校から約百メートル地点に
タライに乗って漕ぎ行く姿石像がある。
「小野小町 通い詰めては 99日目で」
京都伏見区醍醐寺近く小野の随真院へ深草の少将が通い詰めて
ー1年前今日のブログ記事ー
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